始動
「坂本、少し手伝ってくれ」
議長を乗せた高級車をお見送りした後、廣瀬はすぐに准尉を呼び出し、書類の束を渡した。その分厚さに、坂本は目を丸くする。
「調査令状の申請書類なんだが、書式は知っているだろう?」
手書きでないといけないし枚数も多いため、新人とはいえ資格のある坂本を使う。小心者なだけに、丁寧な字も書けるから丁度良い。
坂本は初めて書く公文書に緊張していた。
「そんなに肩肘張るなよ。これから大量に書くことになる書類だから、書き方の練習のように思ってればいい」
ついでにボクも楽できるしな、と廣瀬は言って書き方を教えた。必要な記述と、不備で突き返されないために抑えておくべきテンプレートの文言。
「わからなくなれば訊いてくれ」
そうして根気のいる事務仕事を後輩に丸投げすると、廣瀬は自分のデスクで端末を開き、怖いくらいに集中した表情で検索を始めた。
いくつもの数値や文字がチカチカと走り、それをスピーディーに選別していく。画面では何枚もの窓が開いては消え、廣瀬はやっと、軍の除隊者リストにたどり着いた。
「なるほどね、こりゃ問題にされない方がおかしいわな」
各部隊、各組織の名簿から、以前と現在との比較差異を探す。数を調べると、確かにここ数ヶ月の学園での除隊率は、他の時期と比べると目立つほどに高かった。
“急に増えている”というべきで、特に、芦原少尉の死亡した前後が顕著だった。ほぼ毎日、誰かしらが軍学校を去っている。
データ好きの軍隊が、これを放置したまま何も対策を立てていないとは思えない。その割には、それらしき通達が出たという様子もなさそうだ。
(まあいい。必要なことさえわかれば……)
何人か、議長からのリストで見た名前を検索してみる。彼らの所属は、皇国軍内の各兵科に渡っていた。
「特に…共通点は無し、か……」
新任の初等兵が、厳しい軍隊生活についていけず逃走した、というものばかりでもないようだ。確かに入隊数ヶ月での除隊者も複数人いるが、割合にすれば古参兵の方が多かった。
その古参の生徒たちの場合も、階級から年齢から何もかもがバラバラだ。
成績は、優績者ともいえるエリート士官もいれば、劣等生な下士官までいて、その関係の離れっぷりからは、彼らの相互の繋がりなんてものは見えてこない。受けているカリキュラムも、重なりようが無いからだ。
無理に共通点を探すとすれば、全員が皇国籍の男性ということくらいだろうか。女性の除隊者はいない。括る範囲が広すぎて、何の手掛かりにもなりやしないが。
これでは、芦原議長の言う母親団体が危惧したような、軍が何らかの原因(重大な過失or陰謀)によって大規模な行方不明者が出てしまったことを隠している、という憶測は、正直言って難しい。
たまたま偶然が重なって、それによる芳しくない結果であると判断した方が、この場合は自然な理由といえた。
「これは、議長の満足いく回答はできそうにないな」
この状況でも陰謀説はこじつけられなくもないが、それでも客観的にはクレームと変わらない。
しかし、やや呆れ気味に端末を操作していた廣瀬は、ふと気づいて顔を歪めた。
「なんだこれ、単なる退役じゃないか」
議長のリストで行方不明とされていた生徒たちは、軍リストだと行方不明などではなく、ただ単に軍学校を辞めただけと記録されている。
任期途中の中退者が多いが、他にも兵役を終えて正式に退役した者や、任地に赴いた者もいた。
軍の記録上、行方不明などとされている生徒は、ひとりもいない。
事故死も同様、やはり件の芦原少尉ひとりだけが、そう記されているだけだった。
「おかしいな?家族には行方不明になったと伝えておきながら、軍籍では何の問題も無いことになってる」
「どちらかが嘘をついてる?」
坂本が、廣瀬の独り言に付き合って、言った。
「もし仮に、軍が嘘をついたのだとしたら、何で母親連中を不安にさすようなことを言うよ?逆だろ、普通は」
実際に訓練中の事故で行方不明が出たとして、嘘をついてまで誤魔化すのなら、母親側を言いくるめようとするだろう。軍として、そんな嘘をつく必要はない。
かといって、芦原議長が虚偽の証言で要求をねじ込んできたとも思えない。
では、手続き上軍を辞めて、しかし素直に帰郷しなかったという軍生徒の場合、考えられる事は……
「「敵前逃亡」」
廣瀬と坂本の声が重なった。
つまりは、“意図的な脱走”だ。
「それしか無いな。除隊手続きが正常に完了しているのは、それぞれの所属している隊の長を処罰しないためだろう。ボクたちを通さないことで、上手く誤魔化されたんだ。家族の方へ“行方不明”と通知したのは、逃亡の事実を公表しないで済ますためと、捜査し、逮捕した後にかけるであろう軍法会議の結果を、ある程度家族に覚悟させておくためだな」
廣瀬は、端末の画面から視線を外さずに続けた。右手でカチカチと、器用に矢印を操る。
「いまのご時世に、いくら卑怯なる軍からの脱走とはいえ、軍法会議で死刑判決なんか出やしない。でも、長期の投獄は免れないだろうからね」
事を荒立てることなく、出来れば秘密裏に処理したいための措置だ。居なくなった生徒のためではない。抜けられた隊の、他の真面目な隊員達に連帯の責任をとらせないためだ。
「ボクらに話を通さなかったのも、それなら納得いく」
これはあくまで、仮定の話。しかしこれだけのごまかしをするのだ。裏に何かが、無くはない。
芦原議長の要求は、当たらずとも遠からずなのだ。それだけの、脱走とおぼしき除隊が頻発したのには、何か原因があるのだろう。
「まぁそれは別として、これだけの事務処理をどこがやったのかは気になるな。ボクたち以外でこれ用の公文書を扱えるのは……」
廣瀬は端末の画面を前にして、頬杖をついてムスッとした鼻息を吹き出した。前髪が一筋、揺れた。
「何かお持ちしましょうか?」
手を休めた坂本が、廣瀬の顔色を伺うように立ち上がった。何をするのもトロいくせに、あれこれと気だけは回してくる。絵に描いた小市民だな、と廣瀬は鼻で笑った。
「あぁ、頼むよ。…そういえばさっき、議長が来られていたときに茶を持ってくるように言ったのに、なぜ持ってこなかった?」
「あ、あれは……」
廣瀬に責めるつもりは無い。ただ話の継ぎ穂にしただけだ。
「何か変なマナが流れ込んできてて、言われてた茶葉とかが、ほとんど湿っ気てしまっていたんですよ」
「給湯室がか?」
坂本の言い訳じみた回答にイラつくわけでもなく、廣瀬は不思議なものを見るように、キョトンと坂本の薄い顔をながめた。坂本が、そういうつまらない自己保身なんかで嘘をつくような人間でないことは、知っている。
「あそこの学棟は管理が行き届いてるはずだが、珍しいこともあるもんだな」
最高級の調度品を揃えているだけに、余所よりも圧倒的に、清潔かつ最適の環境に整えられているはずだ。同じ学棟にある第五図書館は、士官クラスでも一部のエリートのみに、閲覧を規制されてるほどのところだった。いくら鬱陶しい雨が続いていたとはいえ、変なマナなど、どこから流れ込んできたのだろうか?
「わかりません、かすかに臭った程度なので。ただ、かなりの人工的な感じはしました」
申し訳なさそうに、頭を垂れた。
「でも勿体無かったですよね。私も一度は飲んでみたい。前に土居大尉が、『人生の味がするよ』と言ってました。一体、どんな味なんでしょう?」
「そりゃあ、苦いんだよ」
いつも人生というものについて考えてるような、土居のインテリ顔を思い浮かべて、廣瀬はアッハと楽しそうに笑った。
坂本は、いまいち分かっていないようだった。
「まぁいい。コーヒーでも淹れてくれ。ちゃんと、コーヒー味のするやつをな」
廣瀬は適当に相槌を打つと、再び画面とにらめっこを始めた。
「とりあえず、個室を持っている士官クラスから調べていくか。この少佐は二週間ちょっと前の訓練中に不明…と。どんな訓練をしてたのか、軍の業務運用記録に当日の行動か何かが、残ってるかもしれないな」
廣瀬は、軍リストで退役となりながら、行方不明者として芦原議長の名簿に名前が載っている理由を思って、ひとり苦笑した。他にも一部、軍リストではただの落第除隊扱いにされている人間が、数名いた。
(軍を辞めて、家にも帰らずに何をしてるんだか。これが単に、どこか女のところにでも転がり込んでるだけなら、たまらんなぁ。まぁ……)
ジジジッと、ふたつのリストに共通する名前をプリントアウトしながら、廣瀬はそれをボーっと見つめた。
(大方はそうなんだろうがね)
我が身を振り返り、苦笑した。落ちこぼれて母親に合わせる顔がない男は、優しくしてくれる女のもとに逃げ込むものだ。
全部が全部とはいわないが、この中にも、ただ母親に心配をかけているだけの親不孝者が含まれていそうだ。まず自分が落ちこぼれて、故郷に逃げ帰る立場なら、嘆きながらも馴染みの女性のとこへと、甘えん坊のように慰められに転がり込んでしまうだろうからね。
もっとも、廣瀬は成績優良で、落第なんかするわけがないが。
そんな廣瀬は、優しい心を持った馴染みの女性の顔を思い浮かべて、表情を曇らせた。
(嵯峨たちは、大丈夫だろうか?)
遠く魔巣窟の空を思い、胸を押してくる焦燥に、同僚の安否を気遣った。




