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政略結婚から逃げた令嬢は、獣人の王に愛される 〜森で助けた傷だらけの獣人は、国を背負う王でした〜  作者: 砂本りつ


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第8話 月蝕草と過保護な王

 翌朝。

 薬室の窓から差し込む朝日に目を細めながら、リリアは徹夜明けの重い瞼を擦った。



「まぁ。あなた、一睡もしていないのね」


 呆れたような声がして振り返ると、様子を見に来たセラフィナが腕を組んで立っていた。



「セラフィナさん!  あの、黒い棘のことですが……」



「何が分かったにせよ、まずは自室に戻って朝食をとりなさいな。その後は仮眠ですわ」


 興奮気味に報告しようとするリリアを、セラフィナはぴしゃりと制した。



「でも、早くノクスさんたちに知らせないと……」



「駄目ですわ。あなたが倒れたら、あの過保護な王様がうるさいですからね。 さぁ、休んだ休んだ」



 有無を言わさぬセラフィナの笑顔に押し切られ、リリアは大人しく客室へと戻るしかなかった。





 数時間後。

 短い仮眠をとって少しだけ頭がすっきりしたリリアは、迎えに来たセラフィナと共にノクスの部屋を訪ねた。



 部屋には、ベッドに腰掛けるノクスと、傍らに控えるルドガーの姿があった。



 リリアは机の上に、布に包まれた黒い棘をそっと置く。



「これは……『月蝕草げっしょくそう』という植物の棘だと思います」


 三人の視線が、黒い棘に集まる。



「母の薬草帳と、薬室にあった古い文献を調べました。『月を喰む草』――獣の血に入り込む黒き毒を鎮める効能があるそうです。」



「ジークさんの進行を止めるだけでなく、ノクスさんの体内に残る毒も、これで完全に消せるかもしれません」


  その言葉に、ルドガーがわずかに目を見開いた。



「本当か、リリア」



「はい。ただ……」


 リリアは言い淀み、ぎゅっと手のひらを握りしめた。



「この月蝕草は、採取法を間違えると、触れた者の体内へ毒を送り込む性質があります……」


「たぶんジークさんは、見回りの最中に、あやまってこれに触れてしまったのだと思います」



「ジークが倒れる直前に見回っていたのは、森から少し外れた岩場の山地ですわ」


 セラフィナが静かに口を開く。


 リリアはこくりと頷いた。



「おそらく、そこに月蝕草が群生しているはずです。……私が行って、採ってきます」


「駄目だ」


 リリアの言葉を遮ったノクスが、険しい目でリリアを見据えている。



「危険すぎる。方法だけを誰かに教えればいい。お前が行く必要はない」


「それはできません」


 リリアは一歩前に出た。



 黒狼族の王である彼の威圧感は怖い。

 けれど、ここで引くわけにはいかなかった。



「月蝕草は、薬効の強い株を見極める必要があります。」


「それに、万が一採取に失敗すれば、ジークさんと同じように倒れてしまいます。素人には無理です」



「だからこそ、お前を危険に晒すわけにはいかない」


 ノクスの声が少しだけ荒くなった。



 彼の心配と気遣いが伝わってくるからこそ、リリアはまっすぐに彼を見つめ返した。




「私が行けば、ノクスさんも、ジークさんも助かるかもしれないんです」



 静かな、けれど譲らない声。

 ノクスは苦しげに眉を寄せ、反論する言葉を探すように口を閉ざした。



 張り詰めた空気を割るように、ルドガーが小さく息を吐く。




「ノクス。俺が護衛につく」


「……ルドガー」



「リリアの言う通りだ。これ以上の適任はない。ジークのためにも、行かせてやってくれ」


 ルドガーは深く頭を下げた。



 セラフィナが、楽しげにしっぽを揺らしながら歩み出る。



「私もついて行きますわ。ルドガーの堅物と二人きりじゃ、リリアも息苦しいでしょうし」



 信頼する二人からの言葉に、ノクスは深く息を吐き出した。




「……絶対に、無理はさせるな」


 渋々といった様子で、ノクスが頷く。

 リリアはほっと胸をなでおろした。


 そして、すぐに薬草鞄を手に取る。


 自分の知識が、彼らを救う鍵になる。


 その事実が、リリアの背中を強く押していた。





 森から少し外れた、岩肌の露出した山地。


 ジークが倒れる前に見回りをしていたというその場所に、リリアたちは足を踏み入れた。



 リリアは鞄の紐を握り直し、足元に注意しながら進んでいく。



「それにしても……」


 セラフィナが、背後をちらりと振り返って呆れたように肩をすくめる。



「過保護な王様を持つと、部下は苦労しますわね」



「全くだ。足音が丸聞こえだぞ、あの馬鹿……。あれで隠れてるつもりか」


 ルドガーが頭を抱えながらため息をつく。



 二人の視線の先、少し離れた岩陰には、どう見ても見覚えのある、黒い影がチラチラと動いていた。



 安静にと言ったのに、心配でついてきてしまったのだろう。不器用な彼らしい気遣いだった。


 リリアは思わず苦笑しつつも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。



「ありました、あれです」


 岩の隙間にひっそりと群生する、黒い棘を持った奇妙な植物。


 月蝕草だ。


 リリアは鞄から小さな小瓶を取り出し、中に入っていた乳白色の薬草の汁を手のひらと指先にたっぷりと塗り込んだ。



「素手で触ると毒が入り込みます。この中和液で肌を保護していれば、大丈夫なはずです」


 リリアはさらに、根を傷つけないための先端が湾曲した特殊なナイフを取り出す。


 群生している株の中から、葉の色が最も深い株を見極める。


 息を詰め、慎重にナイフを根本に差し込んだ。



 その瞬間だった——



「えっ……?」


 踏みしめていた岩場の足場が、脆く崩れ落ちた。

 身体が宙に浮き、斜面へ向かって滑り落ちそうになる。



「リリア!」


 強い力で、腕をぐいと引き寄せられた。


 鼻先をかすめる、森の木々のような落ち着く匂い。



 見上げると、そこには岩陰に隠れていたはずのノクスが、リリアの身体をしっかりと抱きとめていた。



「……っ、無事か」


「ノ、ノクスさん……!」



 すぐ目の前に、金色の瞳がある。

 彼がこっそりついてきていることには気づいていた。



 けれど、こんな風に不意に、呼吸が感じられるほどの距離で抱きとめられるなんて思っていなかった。



 密着した身体から伝わる彼の熱と、腰を抱く力強い腕の感触に、リリアの心臓が大きく跳ねる。



(っ、ち、近いです……!)



 安堵よりも先に、顔にカッと熱が集まるのを感じた。


 リリアは慌てて彼から身体を離そうとする。



「あ、安静にと言ったのに……! もし傷が開いたらどうするおつもりですか!」


 動揺と恥ずかしさを誤魔化すように、つい語気が強くなってしまった。



「いや……お前が落ちそうだったから……」


 普段は威厳のある黒狼族の王が、リリアの剣幕に押されて気まずそうに目を逸らす。


 その不器用な姿に、リリアの胸の奥がまた少し甘く疼いた。



「ふふっ。手厳しい薬師様ですこと」


 上から、楽しげな声が降ってきた。

 崖の上から覗き込んでいたセラフィナが、にやにやと口元を隠して笑っている。



 その後ろで、ルドガーが呆れたようにため息をついていた。



「でも、リリア……」



「心配して怒っている割には、耳まで真っ赤ですわよ?」



「えっ!? ち、違います、これはその、落ちそうになって驚いただけですっ!」



 図星を突かれたリリアは、慌てて自分の耳を隠そうとする。

 

 そんなリリアの右手には、しっかりと切り取られた月蝕草が握られていた。





 屋敷に戻り、すぐに月蝕草を使った新しい薬を調合した。



 薬を飲んだジークの呼吸は次第に穏やかになり、ノクスの傷口を覆っていた黒い痕も、見る間に薄くなっていく。



「……ずいぶん楽になった」



 ノクスが、自らの腕を確かめるように動かして言った。


 そして、まっすぐにリリアを見る。


 その金色の瞳には、もう警戒も威圧感もない。あるのは、静かで確かな信頼だった。



「お前のおかげだ、リリア。 感謝する」




――お前のおかげだ


 まっすぐで飾らない言葉。

 それは、リリアの胸の奥にすとんと落ちて、温かい波のように広がっていく。



(私の薬草の知識が、この人たちの役に立っている……)



 実家では「泥臭い薬草遊び」と馬鹿にされた。



 家のために売られるだけの花嫁だったリリアは、初めて自分の居場所ができたような気がした。



「そんな、私は……ただ、少しお手伝いをしただけで……」



 褒められ慣れていないリリアが目を伏せると、ノクスは不器用そうに一つ咳払いをした。




「……それでも、俺は、お前に救われている」



「っ……」




 ぽつりと言われた言葉に、先ほど崖で抱きとめられた時の記憶が不意によみがえり、リリアはまた耳が熱くなるのを感じた。




 照れくささを誤魔化すように、リリアはただ静かに微笑んで頷いた。







――同時刻。



 エルハート邸の裏に広がる、森の外れ。



「リリア……いったいどこに行ってしまったんだい」



 子爵家の青年、エリオット・グレインは、痛ましそうに顔を歪めた。



 その足元で、何かが微かに白い光を反射する。



 彼がしゃがみ込んで拾い上げたのは、泥に汚れた白い布。


 そこには、見覚えのある『若草色の刺繍』が施されていた。




「……やっぱり、この森にいるんだね」



 エリオットは泥のついたハンカチを、まるで壊れ物を扱うように両手で包み込んだ。


 彼の胸には、幼なじみへの純粋な心配だけがあった。



(どうして逃げたりしたんだ。君が少しだけ我慢すれば、君と僕の家も、みんな助かるというのに……)



 ガルヴィス侯爵に嫁げば、借金は無くなり、彼女自身も裕福な侯爵夫人として一生安泰なのだ。




 それが彼女にとって一番幸せな道に決まっている。




 そう信じて疑わないエリオットには、リリアの逃亡が「一時的な気の迷い」としか思えなかった。




「僕が必ず、君を連れ戻してあげるからね。……君の幸せのために」




 独りよがりな善意と優しさを瞳に宿し、エリオットは暗く広がる森の奥へと足を踏み出した。

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