表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
政略結婚から逃げた令嬢は、獣人の王に愛される 〜森で助けた傷だらけの獣人は、国を背負う王でした〜  作者: 砂本りつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/20

第18話 黒狼王の決意

 月が中天に昇り、森が深い静寂に包まれる頃になっても、ノクスの執務室には明かりが灯っていた。



 静まり返った部屋の中で、デスクの上に広げられた第二皇子からの書状だけが、白く不気味な存在感を放っている。




 ――確かに、あの食えない皇子の言う通りだ。



 ノクスは重い溜息をつき、背もたれに深く体重を預けた。



 天井を見上げると、これまでの日々が脳裏をよぎる。




 彼女は、没落寸前の家を救うためだけに政略結婚の道具にされかけた、傷ついた人間の令嬢だ。



 本来なら、獣人族の王である自分などと関わるべきではなかった。




 獣人国のある北の地は気候も厳しく、人間の文化から遠く切り離されている。



 皇室の庇護下で、日の当たる華やかな貴族社会で、薬師として称賛されながら守られて生きるほうが、彼女にとってどれほど幸福なことか。




 理性的な思考が、何度もノクスに「彼女を帰すべきだ」と冷酷に告げていた。




 だが、その理性を切り裂くように、胸の奥で獣のような独占欲が激しく咆哮を上げる。




 ――絶対に、離したくない。




 理性を失い、炎を吐いて暴れ狂う化け物のような自分を前にしても、彼女は決して逃げなかった。




『私を遠ざけて、ひとりで傷つかないでください』



 あの時、鉄格子の奥まで踏み込んできた彼女の温かい手の感触が、今も鮮明に手のひらに残っている。




 もし彼女を失う選択をすれば、自分は、この選択を一生後悔し続けるのだろうか。




 それとも、時が経てば案外すぐに忘れてしまうのだろうか。




 ノクスは、ギリッと血が滲むほど力強く拳を握りしめた。




 ……いいや。俺はもう、逃げない。何も諦めない。




 彼女が欲する幸福が人間の国にあるのなら。俺は俺の全人生を懸けて、彼女にそれ以上の幸福を与えてみせる。




 ただ、もし彼女が、俺よりも安全で穏やかな未来を望むなら、その時は――。






 朝焼けの光が執務室に差し込む頃。



 ノクスの瞳には、熱い決意が宿っていた。




「……おはようございます、陛下。一睡もしていないのでしょう」




 夜が明け、ノクスが執務室を出ると、廊下の壁に寄りかかっていたセラフィナとルドガーが呆れたように出迎えた。




「お前たち……」




「第二皇子からの書状の件、リリアにどう話すか、一晩中悩んでいたんだろう?」



 ルドガーが腕を組みながら、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。




「あいつには帰る家も、後ろ盾もある。お前が引き留める名目は、もう何一つ残ってないぞ」



 痛いところを突かれ、ノクスは微かに眉間を寄せた。しかし、その瞳から光が失われることはなかった。




「ああ、分かっている。……名目など、最初からいらなかったんだ」



 真っ直ぐに響いたノクスの声に、ルドガーとセラフィナはわずかに目を見張った。




 迷いを完全に断ち切った、王としての揺るぎない覇気。




 その顔を見て、側近の二人は満足そうに肩をすくめ、道を譲るように壁際へ退いた。




「行ってこい。フラれたら、やけ酒くらいは付き合ってやる」



「ふふっ。リリアは早起きですから、もう起きているはずですわよ。存分に、思いを伝えてきてくださいな」



 憎まれ口を叩きながらも温かい激励を受け、ノクスは無言で頷き、リリアの部屋へと真っ直ぐに足を踏み出した。






 コンコン、と控えめなノックの音が響く。




「……ノクスさん?」




 扉を開けたリリアは、朝の支度を終えたばかりの様子で、驚いたように瞬きをした。




「少し、話したいことがある。庭へ来ないか」




 緊張を滲ませたノクスの声。



 そして、彼の目の下に落ちた微かな疲労の影を見て、リリアは何かを察したのか、少しだけ表情を引き締めて頷いた。




 裏庭は、木漏れ日が心地よい静かな場所だった。




 そこで足を止めたノクスは、ゆっくりと振り返り、静かな声で切り出した。




「……昨日届いた、第二皇子からの書状のことだ」



 その言葉に、リリアの肩がわずかに揺れた。




「あそこに書かれていた通り、お前を縛る借金はもうない。皇室専属の薬師として迎えられれば、人間の国で一生、安全で不自由のない暮らしが約束される」




 事実だけを淡々と並べるノクスの言葉に、リリアは次第に表情を曇らせていく。その目は、少しだけ不安に揺れていた。




「……ノクスさんは、私に、ここを出て、帰れと言っているのですか?」



 その問いに、ノクスは言葉を詰まらせた。



 正直に言えば、喉が張り裂けそうに苦しい。



 帰ってほしくない。ずっとそばにいてほしい。



 だが、愛する者の将来を、自分のエゴだけで強要するわけにはいかない。




「……俺たちは、もうすぐ獣人国に帰る」



「俺たちと一緒にいれば、獣人国の過酷さや、人間に対する差別が、お前を苦しめるかもしれない」




 ノクスは一歩、リリアとの距離を詰めた。



 そして、今まで誰にも見せたことのないほど、真っ直ぐに、真摯に、その瞳を見つめた。






「だが……俺は、お前を手放したくない」




「ノクス……さん?」





 ノクスはリリアの前に、ゆっくりと片膝をついた。




「俺は、お前を無理に縛るつもりはない。もし許されるのならば……」



 ノクスは、愛おしげに、リリアの小さな手を取った。




「人間の国で得られるはずだったどんな幸福よりも、俺が一生をかけて、お前を幸せにすると誓う」





「俺の財も、命も、すべてお前の好きにしていい」



「俺の妃になってくれ、リリア」





 静寂が庭を包み込む。


 風の音さえ止まったような、長い沈黙。




 ノクスは、彼女の返事を待つ間も、心臓が爆発しそうだった。



 もし「帰ります」と言われたら、自分は彼女を止める権利がない。すべては、彼女の選択次第なのだ。




 しかし、リリアの目からは、驚きと共に、次第に大粒の涙が溢れ出していた。



 リリアはポロポロと涙をこぼしながらも、花が綻ぶような、この上なく幸せそうな笑みを浮かべた。




「……嬉しい、です」




 リリアは震える声で呟き、ノクスの手の上に、自分の手を重ねた。




 まだ明確な返事は言葉になっていない。



 けれど、涙で潤んだその熱い眼差しが、何よりも雄弁に彼女の心を語り出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ