第14話 ガルヴィス侯爵邸
夜の闇に紛れ、一行はガルヴィス侯爵邸の敷地内に潜入した。
豪華な本館はきらびやかな光に包まれていたが、リリアが迷いなく指差したのは、暗く沈んだ雰囲気の敷地の奥だった。
「以前、結婚の挨拶に伺った時、一つだけ不自然な場所がありました」
「本館から離れたあの別棟から、強い薬草の匂いと……微かに、血のような匂いが混ざっていたんです」
ノクスは獰猛に口角を上げた。以前の調査で知った、秘密の実験室と、彼女の証言が見事に合致したのだ。
満月が近く自ら探る余裕がなかったノクスにとって、これは願ってもない好機だった。
彼女を危険に晒すのは不本意だが、結果として、これ以上ない反撃の陣立てが整ってしまったのだ。
「ご案内ご苦労さまですわ、リリア。さあ、エリオット様、置いていかれないでくださいね?」
セラフィナが、足取りの重いエリオットの背中をふわりと押し、一行は別棟へと向かった。
途中、見回りの警備兵数人が松明を持って近づいてくる。
「あ……」
息を呑むリリアの背後に、ノクスが音もなく張り付いた。大きな手で彼女の口元をふわりと覆い、その華奢な身体を自分の胸にすっぽりと抱き寄せる。
「動くな」
耳元で囁かれた声と突然の状況に、リリアの顔が赤くなる。
ノクスは片腕でリリアを完全に庇いながら、もう片方の手で虚空を薙いだ。
ドンッ!
風の塊が撃ち出されたかのような衝撃と共に、数人の警備兵が声を上げる間もなく吹き飛び、白目を剥いて気絶する。
反対側から現れた警備兵も、セラフィナは口元に微笑みを浮かべたまま、軽々と壁に叩きつけて沈めていた。
王と側近の常人離れした戦闘力。そして何より、リリアを宝物のように抱き抱えたまま、一瞬にして敵を制圧するノクスの姿に、エリオットは言葉を失って驚愕することしかできなかった。
警備を無力化し、一行は別棟の隠し扉から地下研究室へと足を踏み入れた。
そこは、吐き気を催すような、おぞましい空間だった。
冷たい石の壁には獣人を繋いでいた太い鎖と、苦痛に悶えてつけられた無数の爪痕が残っている。
机の上には、毒々しい色をした薬品と、薄汚れた実験器具が散乱していた。
「……ッ」
同胞が受けた凄惨な痛みの痕跡を前に、ノクスの金色の瞳に、静かで底知れぬ怒りの炎が燃え上がる。
空気が張り詰め、殺気が膨れ上がりかけたその時。
リリアがそっと、怒りに震えるノクスの腕に手を添える。
「リリア……」
「大丈夫です。……終わらせましょう」
真っ直ぐに見上げる彼女の瞳に、ノクスはふっと殺気を収め、彼女の手の上に自分の手を重ねた。
その時、階段を下りてくる複数の足音が聞こえた。
ノクスたちは素早く物陰に身を隠す。
現れたのは、ガルヴィス侯爵と、数人の部下たちだった。
「ええい、忌々しい! あの小娘はまだ見つからんのか!」
苛立たしげに杖を床に突き立てる侯爵に、部下が恐る恐る口を開く。
「も、申し訳ありません。しかし、ただの小娘一人です。妻にするなら、いくらでも別の血筋の良いご令嬢が……」
「馬鹿め!!」
侯爵の怒鳴り声が、地下室に響いた。
「妻などどうでもいいわ! 私が欲しいのは、あの小娘の母親が持っていた、獣人の薬草知識だ!」
「あの知識さえあれば、実験体を死なない程度に回復させ、何度でも実験を繰り返すことができる。最高の実験体製造機になるのだぞ!」
その非道すぎる言葉を、物陰で聞いていたエリオットの顔面から、完全に血の気が引いた。
みんなのためと信じ、善意で押し付けていた結婚。
それが、幼なじみを、終わりのない地獄の実験室へ送り込む最悪の行為だったのだ。
「ぁ……ああ……」
エリオットは声にならない呻きを漏らし、両手で顔を覆いながら、その場に力なく崩れ落ちた。
後悔と絶望が、彼をどん底へと突き落としていた。
やがて、探し物の見つからなかった侯爵たちが苛立ちながら地下室を去っていく。
静まり返った室内で、ノクスは泣き崩れるエリオットを見下ろし、少し同情するような声で静かに告げた。
「……これが、お前が信じた現実だ」
その声に、エリオットは顔を上げることもできない。
泣き崩れる幼なじみの姿に、リリアの胸はチクリと痛んだ
でも、今は彼の事よりも先に、やらなければならないことがある。
リリアは微かな同情を振り切るように、静かに彼から視線を外した。そして、室内へと向き直る。
どこかに必ず、証拠があるはず……
リリアはただ闇雲に探すのではなく、微かに漂う匂いを辿り、薬品棚や侯爵の机の引き出しを次々と調べていく。
やがて、机の一番下の引き出し――その奥に作られた巧妙な二重底のスペースを見つけ出した。
「ノクスさん、これです」
リリアは、禁薬の研究資料の束を手に取り、決意の表情でぎゅっと握りしめた。




