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政略結婚から逃げた令嬢は、獣人の王に愛される 〜森で助けた傷だらけの獣人は、国を背負う王でした〜  作者: 砂本りつ


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第15話 贖罪

 侯爵邸からの帰路は、重苦しい沈黙に支配されていた。



 無理もない。あの地下室に残されていた壁の無数の爪痕、独特な薬品の匂い、そして同胞たちが受けたであろう果てしない痛みの痕跡――。




 その凄惨な記憶が、全員の胸に鉛のように重くのしかかっていたからだ。




 冷たい夜風を抜け、一行はようやく黒狼族の隠れ家へと帰還した。



 重厚な扉が内側から閉ざされ、安全な屋敷の広間へ足を踏み入れた時のことだった。



 道中ずっと生気を失ったように俯いていたエリオットが、ふらりと足を止めた。




「……ごめん、リリア……本当に、すまない……」



 完全に血の気が引き、ひどく憔悴しきった顔。掠れたその声には、取り乱す気力すら残っていない、心底からの深い後悔が滲んでいた。




「僕はただ、みんなを救いたかっただけなんだ……」



「君をあんな、地獄みたいな場所に送るつもりなんて、本当に……少しも、なかったんだ……」



 ぽつり、ぽつりとこぼれ落ちるエリオットの痛々しい懺悔を、ノクスは静かに見下ろしていた。



 ノクスの瞳に宿っているのは、怒りではなく、どこかひどく冷えた、やるせない光だった。



「……お前なりに、周囲の者や彼女を守りたかったのだろう。その情まで否定するつもりはない」



 静寂に包まれた広間に、ノクスの低く落ち着いた声が響く。



 王として、国や同胞を背負う重圧を知っているからこそ。


 方法を間違えたとはいえ「みんなを守りたかった」というエリオットの必死さ自体は理解できた。




「だが、無知な善意は時に悪意よりも残酷だ」



「お前が見ていたのは彼女自身ではなく、自分にとって都合のいい理想に過ぎなかった」



 ノクスは、懐から取り出した禁薬の証拠――侯爵の机から暴き出した研究資料の束を、うなだれるエリオットの足元へ静かに落とした。



「……ッ」




「詫びる暇があるなら、これを持って人間の第二皇子のもとへ行け。侯爵の悪行を告発し、これまでの事を包み隠さず伝えろ」



「第二皇子であれば、俺たちとも面識がある」



「奴は人間の中では数少ない、獣人絡みの禁薬問題に目を光らせている男だ。この証拠を見せれば必ず動く」



 顔を上げたエリオットを真っ直ぐに見据え、ノクスは冷徹な王としての威圧感を放ちながら、静かに告げた。



「……それが、お前が彼女に対して示せる誠意だ」



 エリオットは足元に落ちた紙の束と、ノクスの冷たい宣告に絶望的な表情を浮かべた。



 それでもすがるように、震える手をリリアへと伸ばす。




「リリア……一緒に帰ろう。今度こそ、僕が君を守るから……っ!」



 その見当違いな言葉に、ルドガーが微かに眉をひそめて前に出ようとした。



 しかし、リリアはそっと手を出してそれを制する。



 そして、自らの足で一歩、エリオットの前へと進み出た。



「エリオット」


 静かな、けれど張り詰めた広間によく通る、凛とした声だった。



「あなたは昔から優しかった」



「……でも、その優しさは自分にとって都合のいい世界を守るためのものでしかなかったの」





「え……?」





「あなたの中の『みんな』に、私は最初から入っていなかった」




「……そのことに気づいた時、私の心はもう、あなたの元から離れていたの」




 すがりつこうとしていたエリオットの手が、力なく空を切り、だらりと下がる。




「地下室で、あなたが本気で絶望してくれたこと……それだけが、せめてもの救いでした。だからもう、私にすがらないで」




 リリアは、かつて幼なじみだった青年の目を真っ直ぐに見据えた。



 そこに迷いは、一切なかった。





「私は私の足で、自分の生きたい場所で生きます」





「――さようなら、エリオット」




 その完全なる決別の言葉に、エリオットの心は完全に砕け散った。




 もはや返す言葉すら見つからず、彼は震える手で床の証拠をかき集めると、ふらつく足取りで立ち上がった。




 そして一度も振り返ることなく、重い扉の向こう、夜の闇の中へと消えていった。





 重い沈黙が降りた広間で、ノクスは背後に控えていたルドガーへ短く命じた。




「ルドガー。手の空いている者を一人つけろ。人間の屋敷の近くまででいい」



「……正気か。あのガキを護衛しろって?」



「あんな足取りでは、夜の森を抜け切る前に野垂れ死ぬだろう。それでは困る。奴には第二皇子へ直訴し、侯爵を道連れにしてもらわねばならんからな」




「……まったく。相変わらず、素直じゃない王様だな」



 やれやれと肩をすくめながらも、ルドガーは小さく指笛を吹き、闇に潜む部下へ追跡と監視の指示を飛ばした。






 ノクスが振り返り、リリアを静かに見つめる。



 先ほどまでの冷徹な王の顔はそこにはなく、その瞳には柔らかな気遣いが浮かんでいた。




「……よく頑張ったな」



 その穏やかな、すべてを包み込むような声に返事をしようとした、その瞬間だった。



 ずっと張り詰めていた緊張の糸が完全に切れ、膝の力がふっと抜ける。言うことを聞かなくなった身体がわずかに傾いた。




 倒れ込むよりも早く、逞しい腕がリリアの身体をふわりと抱き留めた。

 

 見上げると、すぐそばにノクスの端正な顔があった。





「もうお前は、誰の犠牲にもならない。お前の居場所は、ここにある」




 ノクスの大きな手が、リリアの頭を不器用に、けれどひどく優しく撫でた。




 その温もりに触れた瞬間。



 リリアは胸の奥で、過去の呪縛が完全に溶けて消えていくのを感じていた。

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