表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
政略結婚から逃げた令嬢は、獣人の王に愛される 〜森で助けた傷だらけの獣人は、国を背負う王でした〜  作者: 砂本りつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/14

第11話 特別な感情

 ――満月の夜。

 隠れ家全体が、重く冷たい緊張感に包まれていた。



 兵士たちは地下へ続く扉の前に厳重な警備を敷き、使用人たちの口数もいつもより格段に少ない。



 ノクスは、自らの意思で地下の石牢に入ったという。



 理性を失った自分が誰も傷つけないために、彼は毎月そうして孤独な夜をやり過ごしてきたのだ。



「セラフィナさん、ルドガーさん。私も地下へ連れて行ってください」


 いつもの鞄を抱え、リリアは二人の側近にまっすぐに頭を下げた。



「私が行けば、ノクスさんを助けられるかもしれません」


「発作の症状を直接見ながら処方すれば、今よりも絶対によくなるはずなんです」



 いつになく自信を込めたリリアの目を見て、ルドガーとセラフィナは無言で視線を交わした。



 やがて、ルドガーが深く息を吐き出す。



「……わかった。俺たちも一緒に行く」



「まったく、王様も王様なら、薬師様も頑固ですこと」


 セラフィナが呆れたように肩をすくめたが、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。



「もし陛下が暴れたら、ルドガーを盾にして逃げますから、リリアは安心して薬を作ってくださいな」



「おう、安心しろ。理性のないアイツなら簡単に勝てる」



 ルドガーが、笑いながら力こぶを作る。


 リリアが過剰なプレッシャーを感じないよう、二人がわざと軽口を叩いてくれているのが分かった。


 その優しさに、リリアは小さく頷き、地下へ続く重い扉の先へと足を踏み入れた。





 地下の石牢は、ひんやりとした空気に満ちていた。


 松明の薄暗い炎が揺れる先、頑丈な鉄格子の向こうに、ノクスの姿があった。



「ノクス……」



 先頭を歩いていたルドガーが牢のあるエリアに足を踏み入れた、その瞬間だった。


 鉄格子の奥で、金色の瞳がぎらりと光る。



 ゴォオオオオッ!!



 空気が爆発するような轟音とともに、鉄格子の隙間から灼熱の火炎が放たれた。



 熱波が地下室を舐めるが、ルドガーが咄嗟に構えた大盾でその炎を難なく防ぎ切る。


 事前に予測していなければ、重傷を負っていたほどの威力だった。



「……っ」


 炎が収まると、そこには半ば黒狼化し、獣性を剥き出しにしたノクスの姿があった。



 本能のままに火炎のブレスを吐いたノクスだったが、大盾を構えるルドガーの姿を見て、わずかに理性の光を取り戻したようだった。



 遅れて入ってきたリリアたちの姿を認めると、彼は荒い呼吸を繰り返しながら、喉の奥で低く唸った。



「……来る、な」



「ノクスさん」


 迷いなく鉄格子の前へ進み出たリリアは、鞄から小瓶を取り出し、特殊なお香に火を点けた。



 細く立ち上る煙が鉄格子の奥へ流れていく。その匂いを嗅いだノクスの耳が、ぴくりと反応して動いた。



「……大丈夫。これならきっと、助けられる」


 リリアは自分に言い聞かせるように小さく呟くと、その場で素早く薬の調合を始めた。



 セラフィナとルドガーは黙ってその背中を見守る。



 無駄な動きの一切ない手際で、あっという間に深い青色の薬が完成した。


 しかし、鉄格子の隙間から薬瓶を差し出しても、ノクスは本能的にその匂いを拒んで後ずさる。



「……帰れ」



「飲んでください、楽になります」



「だめだ……俺は、お前を傷つけるかもしれない」


 どうあっても近づこうとしないノクスを見て、リリアは迷わずルドガーに告げる。




「ルドガーさん、私も牢に入ります。鍵を開けてください」



 セラフィナとルドガーが顔を見合わせる。



「……リリア、本気なんだな」



 リリアは、真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返した。



「私は薬師です。患者をひとりにしません」



 その迷いのない言葉に、ルドガーは苦い顔をして押し黙る。


 セラフィナも、降参したように小さく息を吐いた。



「……本当に、困った方ですね。ルドガー、開けて差し上げて」


 ガチャリ、と重い音を立てて鉄格子の扉が開く。



 リリアが檻の中へ足を踏み入れると、ノクスはひどく怯えたように、必死で壁際へと後ずさった。



「近づくな……!」



「近づきます」


 一歩、また一歩。

 リリアは逃げ場を失って壁に背をついたノクスの前で膝をつき、その口元へそっと薬瓶を寄せた。



「ゆっくりでいいです。少しずつ、飲んでください」



 ノクスは苦しみながらも、リリアの穏やかな声に反応して少しずつ薬を飲み下していく。



 リリアは一度にすべてを飲ませるのではなく、彼をじっと観察しながら、慎重に量を調整していった。



 やがて薬が効き始め、ノクスの全身を覆っていた危険な熱がスッと引いていく。



 暴走が鎮まりかけた、その時だった。



 残った獣性が最後の一揺れを起こし、ノクスの大きな手が、リリアの細い手首を無意識に強く掴んだ。




「きゃっ……」



 骨がきしむほどの強い力に、リリアは思わず痛みに息をのむ。



 その小さな悲鳴で、ノクスは完全に正気を取り戻した。


 彼は弾かれたように手を離し、血の気の引いた顔でリリアの手首を見つめた。



「……すまない」



「大丈夫です、痛くありません」


 リリアは気丈に首を振って微笑んだが、ノクスの声はひどく低く、沈んでいた。



 ノクスの視線の先。

 リリアの白い肌には、彼が握った指の形にそって、くっきりと痛々しい赤みが残っていた。




「……やはり、俺のそばにいるべきではない」


 すべてを諦めたような暗い声。

 その声を聞いた瞬間、リリアの中で、今まで抑え込んでいた何かがぷつりと弾けた。




「それを、ノクスさんひとりで決めないでください!」



 薄暗い牢の中に、リリアの張り上げた声が響いた。


 初めて明確な怒りをぶつけられ、ノクスは目を見開いて言葉を失う。




「私は、薬を作るためだけにここにいるわけではありません」



「……」



「あなたが苦しんでいるなら、そばにいたいんです。私を遠ざけて、ひとりで傷つかないでください」



 ノクスは、リリアを見つめ、やがて絞り出すように尋ねた。




「……なぜだ?」



 リリアは言葉に詰まった。



 どうして、ここまで彼に執着してしまうのか。



 どうして、彼が苦しむ姿を見ると胸が張り裂けそうになるのか。



 自分でもまだ、その感情にふさわしい名前をつけることはできなかった。



 けれど、これがただの「薬師としての義務感」ではないことだけは、はっきりと分かっていた。




「……わかりません。でも、放っておきたくないんです」



 理屈ではない。

 心からの不器用な本音。


 自分自身の感情の正体さえわかっていないのに、彼女は一切誤魔化すことなく、真っ直ぐにそれをさらけ出した。




 そのあまりにもひたむきな姿に、ノクスはずっと目を背けていた、自分自身の弱さを、はっきりと突きつけられた気がした。




……俺は、逃げていただけだ。




 薄々、自分でも分かっていたことだ。



 「お前は自由でいるべきだ」などと、もっともらしい理由をつけて彼女を突き放したのは、彼女のためなどではない。




 本当は、自分が傷つくのが怖かっただけだ。




 化け物だと恐れられ、いつかその温かい手を振り払われるという結末から、ただ逃げていただけだった。




 彼女は今、必死に自分の心と向き合い、檻の中にまで踏み込んできた。




 それに引き換え、自分はどうだ。



 国を背負う王でありながら、一人の娘の心からすら逃げようとしていた。




 ……ああ、もうだめだ




 もう、手放せるはずがない。手放してやるつもりもない。




 彼女を縛る過去やしがらみがあるのなら、王としての力のすべてを使って排除してやる。




 彼女がまだ自分への感情に名前をつけられないというのなら――



 振り向くまで、何度でも手を差し出し、いつか必ず俺だけを見るようにさせてみせよう。




 どんな手を使ってでも、この愛おしい令嬢を自分の隣に繋ぎ止める。




 ノクスはふっと目元を緩めると、リリアの小さな手を、今度は痛ませないようにそっと優しく握った。





 ようやく素直になれた獣の王は、すべてを彼女のその温かい手に委ねるように、やがて静かに目を閉じた。





 ――夜明け前。


 激しい発作は完全に鎮まり、ノクスは石牢の壁に寄りかかったまま、疲れ果てて深い眠りに落ちていた。



 リリアもまた、彼のすぐそばで薬箱を抱きしめたまま、座り込んで小さな寝息を立てていた。



 鉄格子の外で、その静かな光景を見守っていたルドガーが、ぽつりと口を開く。



「……リリアは、黒狼族の運命を変える存在になるのかもしれんな」



 何百年と続いてきた人間との確執。


 そして、王を蝕み続けた孤独な呪い。


 そのすべてを、あの小さな薬師はたった一晩で塗り替えてしまった。



「ええ。そうかもしれませんわね」


 セラフィナも目を細め、同意するように深く頷いた。



「俺は、念のために二人が起きるまでここを見張る」


「お前は自室に戻って休んでいいぞ」



 ルドガーが気遣いを見せると、セラフィナは嬉しそうに口元を綻ばせた。



「いいえ。私も一緒に残りますわ」


「あなたも、お喋りの相手がいたほうが嬉しいでしょう」



 そう言って、セラフィナはルドガーの隣に腰を下ろす。



 薄暗い地下の石牢



 二人の側近は、主君たちの穏やかな寝顔を見守りながら、仲睦まじく昔話に花を咲かせるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ