第95話 悪役令嬢、デートの余韻で平常心を失います
翌朝。
私はいつも通り厨房へ立っていた。
「追加分、お願いします!」
「はい、今いきます」
声が飛び交う。
パンを並べる。
葉野菜の水気を確認する。
火加減を見る。
いつも通り。
問題ない。
……はずなのに。
(……アル)
昨日のことを思い出した瞬間。
ぶわっと顔が熱くなった。
湖畔。
繋いだ手。
「……もう一度」
「っ……!」
私は思わず額を押さえた。
「アメリア様?」
見習いが不思議そうにこちらを見る。
「だ、大丈夫です」
「顔、赤いですけど」
「暑いだけです!」
今は朝だ。
全然暑くない。
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「……様子がおかしいな」
料理長がぼそりと言った。
「そうでしょうか」
「ふわふわしてる」
鋭い。
私は平然を装いながら、焼き上がったパンを確認する。
「問題ありません」
「仕事はな」
うぐ。
否定できない。
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昼前。
ようやく少し休憩が取れた私は、中庭のベンチへ腰を下ろした。
風が気持ちいい。
「……落ち着きましょう」
そう呟いて、自分の頬を軽く押さえる。
すると。
「何をしている」
低い声が降ってきた。
「っ!」
顔を上げる。
アルフレッドだった。
今日は王子らしい正装姿。
……昨日との差がすごい。
「お、お疲れさまです」
危ない。
今、普通に“アル”って言いそうになった。
彼は私の隣へ腰を下ろす。
「仕事はどうだ」
「順調です」
「そうか」
短い会話。
でも。
隣にいるだけで、妙に落ち着かない。
沈黙が落ちる。
風が木々を揺らした。
その時。
「……まだ赤いな」
ぼそりと落ちた声。
「だ、誰のせいですか!」
思わず小声で抗議すると、彼は少しだけ目を細めた。
「私だな」
ずるい。
本当にずるい。
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その時だった。
「兄上ー!」
元気な声が中庭へ響く。
嫌な予感しかしない。
ルシアンだった。
「うわ、本当にいた」
「何だ」
「いや? 最近、兄上が休憩時間になると消えるから?」
鋭い。
ルシアンはにやにやしながら私を見る。
「義姉上、顔赤い」
「誰が義姉上ですか!」
「え、でも昨日デートしてたんでしょ?」
ぶふっ。
私は盛大にむせた。
「な、何で知ってるんですか!?」
「兄上、昨日すごい機嫌良かった」
最悪である。
アルフレッドは平然としていた。
「問題あるか」
「ないけど、分かりやすすぎるでしょ」
ルシアンはけらけら笑う。
「で? 何したの?」
「言う必要はない」
即答だった。
「えー、気になる!」
「知らん」
「え、手繋いだ?」
私は固まった。
「したんだ!」
「うるさいです!」
ルシアンが爆笑する。
アルフレッドは小さくため息をついた。
「騒がしいな」
「兄上が原因でしょ!」
その時。
ルシアンの視線が、私の持っていた紙袋へ向いた。
「あ、それ何?」
「え?」
「甘い匂いする」
しまった。
昨日の残りのクッキーだった。
「……見るな」
アルフレッドが低く言う。
ルシアンが目を丸くした。
「え、兄上怖っ」
「触るな」
「そんな大事なの!?」
私は思わず顔を覆いたくなった。
ルシアンは数秒黙り――
そして。
「兄上、独占欲やばくない?」
アルフレッドは真顔だった。
「当然だ」
「兄上!?」
「殿下!?」
私は一気に顔が熱くなる。
ルシアンは腹を抱えて笑っていた。
「ははっ、面白すぎる!」
最悪だ。
本当に最悪である。
その時。
アルフレッドがふっとこちらを見る。
「……アメリア」
「な、何ですか」
「また作れ」
視線が、紙袋へ向く。
「美味かった」
胸が、熱くなる。
「……特に、あの塩加減がいい」
私は思わず目を見開いた。
気づいていた。
あの少しだけ入れた岩塩に。
「……分かるんですね」
小さく呟くと、
彼は少しだけ目を細めた。
「お前が考えた味だ」
その一言に、また顔が熱くなる。
ずるい。
本当に、この人はずるい。
こうして悪役令嬢は――
お忍びデートの余韻に振り回されながら、少しずつ“恋人らしい日常”に慣れていくのだった。




