第89話 悪役令嬢、妹が帰る話を聞かされます
二度目の穏やかな夕方から、三日後。
私は厨房で、静かにパン生地を丸めていた。
今日はやけに手が進む。
余計なことを考えないようにしているからだろう。
「アメリア様」
エマが声をかけてきた。
振り向くと、いつもと変わらない表情。
けれど――ほんの少しだけ柔らかい。
「セシリア様がお呼びです」
「今ですか?」
「今です」
その言い方で、察した。
ただ事ではない。
私は手を洗い、エプロンを外す。
「……何かありました?」
「少しだけ、寂しいお話です」
やはり。
胸の奥が、きゅっと締まる。
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客間に入ると、セシリアが窓辺に座っていた。
今日はいつもの明るい笑顔が少しだけ控えめだ。
「お姉様」
「どうしたの?」
隣に座ると、彼女は指先を膝の上で重ねた。
「……お父様から手紙が届きましたの」
その言葉だけで、ほとんど分かってしまった。
「学園の休暇も終わりますし、そろそろ戻りなさい、と」
やはり。
分かっていたことなのに、胸が痛む。
「いつ……帰るの?」
「三日後です」
思ったより早い。
言葉が、少しだけ詰まった。
「そんな顔をなさらないでください」
セシリアが困ったように笑う。
「遠くへ行くわけではありませんもの。また会えますわ」
「……そうね」
声が少し掠れる。
情けない。
姉なのに。
セシリアは昔からこうだ。
泣きそうな時ほど、周りを気遣って笑う。
「お姉様が幸せそうで、わたくし本当に嬉しいんですの」
「セシリア……」
「最初は心配でしたわ。王城なんて、お姉様が大丈夫かしらって」
失礼である。
でも少し当たっている。
「けれど今は違います」
彼女はにっこりと笑った。
「皆様がお姉様を大切にしてくださっていますもの」
……否定しづらい。
主に一人、距離感がおかしい人がいるが。
「だから安心して帰れますわ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
私はそっとセシリアの手を握った。
「ありがとう」
「ふふ。お姉様にそう言われると、照れますわ」
その時――
「聞いた!」
勢いよく扉が開いた。
ルシアンである。
早い。
「セシリアが帰るって本当!?」
「ルシアン様、ノックを」
「今それどころじゃない!」
彼はずかずかと入ってきて、セシリアの前で止まった。
「三日後って早すぎる!」
子どものように言い切る。
セシリアが目を丸くした。
私は少しだけ空気を読んで立ち上がる。
「……お茶を頼んでくるわ」
「お姉様?」
「すぐ戻るから」
軽く微笑んで、部屋を出た。
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扉を閉めると、廊下は静かだった。
……静かすぎる。
一歩踏み出したところで、声がした。
「行ったか」
アルフレッドだった。
「盗み聞きですか」
「偶然だ」
嘘が下手である。
私は小さく息を吐いた。
「……聞いていたのでしょう」
「大体はな」
隠す気はないらしい。
「泣くなよ」
「泣いていません」
「目が赤い」
私は顔を背けた。
分かっている。
でも、認めたくない。
その時――
そっと、肩に触れる手。
驚くほどやさしい力で、引き寄せられる。
「……大丈夫だ」
低く、落ち着いた声。
包み込まれるような距離。
強くはない。
けれど、確かに支えられている。
「また会える」
「……分かっています」
「なら、それでいい」
簡単に言う。
でも、それが救いになる。
私は小さく息を吐いた。
少しだけ、力が抜ける。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん」
それでも彼は、すぐには離れなかった。
無理に慰めるわけでもなく、ただそばにいる。
その距離が、心地いい。
「三日後、見送る」
「……はい」
「一人で抱えるな」
その言葉に、胸がまた少しだけ熱くなる。
ずるい人だ。
本当に。
私は小さく頷いた。
こうして悪役令嬢は――
大切な人との別れを前に、そっと支えられるのだった。




