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悪役令嬢ですが、王宮厨房から王太子妃になりました  作者: 星乃茶々


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第85話 悪役令嬢、今夜ついに優しく抱きしめられます

婚約披露会が終わったのは、夜も更けた頃だった。


最後の挨拶。

果てしない祝福。

王妃様の満足げな笑顔。

ルシアンの騒ぎすぎによる三度目の退場。


すべてがようやく終わり、私は魂が抜けかけていた。


「……もう歩けません」


「歩いている」


隣のアルフレッドが淡々と言う。


現在、王城の静かな廊下を二人で歩いていた。

人払いされているらしく、誰の姿もない。


「部屋まで送る」


「ありがとうございます……」


「礼を言う元気はあるんだな」


「最後の力です」


彼は少しだけ笑った。


珍しい。


その笑顔に、なぜか胸がざわつく。


窓の外には月。

夜風がカーテンを揺らしていた。


昼間の喧騒が嘘のように、静かな時間だった。


やがて、私の部屋の前で足が止まる。


「着いたぞ」


「……はい」


手を離さなければならない距離。


なのに、どちらもすぐには動かなかった。


沈黙が落ちる。


さっきまであれだけ騒がしかったのに、今は心臓の音ばかりがうるさい。


アルフレッドが、ゆっくり口を開いた。


「今日、よく頑張った」


「……あなたこそ」


「私はいつも通りだ」


「どこがですか」


「少し緊張した」


思わず顔を上げる。


「え?」


彼は視線を逸らした。


耳が、少し赤い。


「お前が綺麗すぎた」


心臓が止まりそうになる。


「……そういうこと、急に言わないでください」


「本音だ」


ずるい。


本当にずるい人だ。


私は俯き、ドレスの裾を握った。


その時――


ふわりと、腕に包まれた。


「……え?」


驚いて顔を上げると、すぐ近くに彼の胸があった。


強くはない。

けれど、逃がさないように優しい力で抱きしめられている。


「……少しだけ、このままでいろ」


低い声が、すぐ上から落ちる。


鼓動が、伝わってくる気がした。


「……はい」


自然に、そう答えていた。


ほんの少しの時間。


でも、とても長く感じる。


そして――


そっと、額にやわらかな感触が触れた。


一瞬。


軽く、やさしい口づけ。


「……っ」


思わず息を呑む。


「……挨拶だ」


「そんな挨拶はありません」


小さく抗議すると、彼はわずかに息を漏らした。


笑ったらしい。


「そうか」


「そうです」


顔が熱い。


けれど――嫌ではない。


むしろ、胸の奥があたたかい。


やがて彼はゆっくりと腕をほどいた。


「無理はするな」


「……はい」


「おやすみ、アメリア」


「おやすみなさい」


背を向けて去っていく。


その横顔は、どこか少しだけやわらかかった。


私は扉の前で、しばらく動けなかった。


こうして悪役令嬢は――

初めて、優しく抱きしめられた夜を知るのだった。

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