第84話 悪役令嬢、休憩室で甘やかされます
最初の一曲を踊り終えた私は、限界だった。
精神的に。
「……無理です」
「何がだ」
「全部です」
アルフレッドに手を引かれたまま、小声で訴える。
会場ではまだ祝福の声が続いている。
楽団は明るい曲を奏で、貴族たちは談笑し、王妃様は満足げに紅茶を飲んでいた。
元気である。
私だけが瀕死だ。
「顔色が悪い」
「あなたのせいです」
「そうか」
まったく反省の色がない。
アルフレッドは周囲を一瞥すると、そのまま私の手を引いて歩き出した。
「え、どこへ」
「休ませる」
「逃亡ですか?」
「違う」
少し残念である。
大広間を抜け、廊下を曲がり、人目の少ない小部屋へ入る。
応接用の休憩室らしい。
扉が閉まった瞬間、私はその場の椅子へ崩れ落ちた。
「た、助かりました……」
「大げさだ」
「百人くらいに見られていたんですよ」
「もっといた」
増やさないでほしい。
私は両手で顔を覆った。
「無理です……思い出しただけで消えたくなります……」
「消えるな」
「しばらく床になりたいです」
「意味が分からん」
彼はため息をつき、向かいの椅子ではなく、なぜか私の隣に座った。
近い。
「少し離れてください」
「嫌だ」
即答だった。
この人、最近遠慮がない。
「……お前はよくやった」
低い声が落ちる。
思わず顔を上げると、アルフレッドは真っ直ぐこちらを見ていた。
「逃げずに、堂々と立っていた」
「内心は逃げていました」
「知っている」
「知っていたんですか」
「手が冷たかった」
……気づかれていた。
恥ずかしい。
彼は私の手を取ると、包み込むように握った。
大きくて、温かい手。
「今は温かい」
「あなたのせいで熱いんです」
「それなら問題ない」
あります。
大ありです。
その時、扉の外が少し騒がしくなった。
「兄上ー! 中ですか!?」
ルシアンである。
早い。
「義姉上、大丈夫ですかー!?」
誰が義姉上ですか。
「アメリア様、お水をお持ちしました」
エマまでいる。
包囲網が早い。
アルフレッドが不機嫌そうに眉を寄せた。
「……放っておけ」
「でも皆さん心配しているのでは」
「私の時間だ」
さらりと何を言うのか、この人は。
顔が熱くなる。
外ではルシアンが騒いでいる。
「絶対いちゃいちゃしてる!」
「ルシアン様、お静かに」
「痛っ、エマ耳引っ張らないで!」
平和である。
私は思わず吹き出した。
アルフレッドがこちらを見る。
「やっと笑ったな」
「……誰のせいで疲れたと思っているんですか」
「私のせいだ」
珍しく素直だった。
彼は少しだけ身を寄せ、額をこつんと合わせてくる。
「だが、もう少し付き合え」
近い。
近すぎる。
「……婚約披露会、まだ終わっていませんものね」
「違う」
「え?」
「これから先もだ」
心臓に悪い。
こうして悪役令嬢は――休憩室で王子に甘やかされ、さらに体力を削られるのだった。




