第83話 悪役令嬢、王子と最初の一曲を踊ります
大歓声は、しばらく止まらなかった。
拍手。
祝福の声。
楽団の華やかな旋律。
会場中が熱気に包まれている。
私はその中心で、現実感を失っていた。
「……帰りたい」
「却下だ」
隣から即答が飛んでくる。
早い。
「今すぐ厨房へ戻って、パンをこねたいです」
「諦めろ」
「人生って残酷ですね」
「今さら何を言っている」
アルフレッドは平然としていた。
先ほどあれだけの宣言をした人物とは思えない。
少しは照れてほしい。
その時、王妃様が立ち上がった。
嫌な予感しかしない。
「皆様」
よく通る声が会場に響く。
ぴたりとざわめきが止んだ。
「本日の主役が、まだ一番大事なことを終えておりません」
何ですか、それは。
私はそっと後ずさった。
エマがいつの間にか背後に立っていた。
逃げ道がない。
「婚約披露会といえば――最初の一曲でしょう?」
会場が沸いた。
やめてください。
王妃様は満面の笑みでこちらを見る。
「アルフレッド。可愛い婚約者を、きちんと踊らせて差し上げなさい」
「承知しました」
素直に返事をした。
珍しい。
というか断ってほしかった。
アルフレッドが私の前へ進み出る。
そして静かに手を差し出した。
「アメリア」
「……拒否権は?」
「ない」
知っていました。
私はため息をつきながら、その手を取る。
大広間の中央へ導かれる。
視線が痛い。
いや、もう熱線である。
楽団がゆるやかなワルツを奏で始めた。
「踊れません」
小声で訴える。
「知っている」
「ならなぜ」
「私が合わせる」
そう言うと、彼は私の腰へ手を添えた。
ひゃっと息が漏れる。
近い。
近すぎる。
「声を出すな」
「あなたのせいです」
「そうか」
少し楽しそうなのが腹立たしい。
彼のリードは驚くほど自然だった。
一歩、また一歩。
私が迷えば支え、遅れれば待ち、転びそうになれば引き寄せる。
気づけば、私はちゃんと踊れていた。
「……すごい」
「誰の相手をしていると思っている」
「自信家ですね」
「事実だ」
否定できないのが悔しい。
周囲から感嘆の声が上がる。
「お似合い……」
「まるで絵画のようだ」
「殿下があんな顔を」
最後の言葉に私は顔を上げた。
「あんな顔?」
アルフレッドを見る。
いつも冷静なその表情は、今だけ少し柔らかかった。
私を見つめる目も、どこか優しい。
心臓が跳ねる。
「……見ないでください」
「無理だ」
「なぜ」
「綺麗だからだ」
足が止まりかけた。
「止まるな」
「今のは反則です!」
「知らん」
そのまま彼は私を引き寄せ、くるりと回す。
スカートが花のように広がった。
会場から大きな拍手が起こる。
客席の端では、母がまた泣いていた。
父は咳払いをしている。
セシリアはルシアンと手を取り合って跳ねていた。
元気である。
曲が終わる。
私は少し息を切らしながら、アルフレッドを見上げた。
「……終わりました?」
「いや」
彼は私の手を握ったまま、低く囁く。
「今夜はまだ、離す気がない」
心臓に悪い。
こうして悪役令嬢は――王子と祝福の中、最初の一曲を踊るのだった。




