第77話 悪役令嬢、名前呼びで赤くなります
初めての喧嘩から数日後。
婚約披露会の準備は相変わらず慌ただしかったが、私とアルフレッドの空気は以前より少し柔らかくなっていた。
……気がする。
「アメリア様、頬が緩んでおります」
「緩んでません」
「本日三回目です」
エマは容赦がない。
私は鏡の前で髪を整えられながら、むっとした。
「そんなに顔に出ています?」
「非常に」
終わった。
「本日は殿下と会場確認です。心して向かわれてください」
「会場確認くらいで何を」
「本日は二人きりです」
「え?」
エマは静かに微笑んだ。
「王妃様が全員排除されました」
何をしているのですか、あの方は。
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披露会会場となる大広間は、昼の光に満ちていた。
高い天井。
磨かれた床。
窓辺には色とりどりの花。
まだ飾り付け途中の広間は、少しだけ静かで広い。
その中央に、アルフレッドが立っていた。
こちらに気づき、まっすぐ歩いてくる。
それだけで心臓に悪い。
「来たか」
「はい」
「顔色は悪くないな」
「誰のせいで緊張していると思っているんですか」
「私のせいか」
「……少しは自覚してください」
彼はわずかに口元を緩めた。
最近、そういう表情が増えて困る。
「今日は配置確認だけだ」
「分かりました」
私たちは会場を歩きながら、席順や動線を確認した。
ここで挨拶。
ここで乾杯。
ここでダンス。
……ダンス?
「ちょっと待ってください」
「何だ」
「最後の、今さらっと恐ろしい単語が」
「婚約披露会で踊らないつもりか」
「聞いてません!」
「今言った」
この人は時々ひどい。
私は頭を抱えた。
「無理です。できません。転びます」
「練習すればいい」
「誰とですか」
アルフレッドは無言で私を見る。
嫌な予感しかしない。
「……私と?」
「他に誰がいる」
当然のように言わないでほしい。
彼は一歩近づき、私の右手を取った。
「待ってください心の準備が」
「遅い」
左手が腰に添えられる。
距離が近い。
近すぎる。
「アルフレッド様……!」
思わず見上げると、彼は静かに言った。
「その呼び方、そろそろ変えろ」
「え?」
「二人きりの時くらいは」
頭が真っ白になった。
「む、無理です」
「なぜ」
「無理だからです!」
説明になっていない。
彼は少しだけ意地悪そうな顔をした。
珍しい。
「では、呼べるまで離さない」
「横暴です!」
「そうだな」
認めた。
私は逃げ場のないまま、彼の胸元あたりを見つめる。
心臓の音がうるさい。
言えるわけがない。
でも、このままでは本当に離してくれなさそうだ。
「……あ、アル……」
「聞こえない」
「わざとでしょう!」
「もっと近くで言えば聞こえる」
性格が悪い。
私は覚悟を決め、目を閉じた。
「……アルフレッド」
その瞬間、部屋が静まり返った気がした。
恐る恐る目を開ける。
彼は固まっていた。
耳が、少し赤い。
「……アルフレッド?」
呼び直すと、彼は咳払いした。
「もう一度」
「嫌です」
「命令だ」
「さっきので一生分です!」
私は真っ赤になって離れようとしたが、彼は手を離さない。
むしろ少しだけ引き寄せた。
「……悪くない」
「何がですか」
「全部だ」
その時、扉の外から楽しそうな声がした。
「母上、今の聞きました?」
「ええ、最高でした」
「録音したかったです」
「ルシアン様!?」
「王妃様まで!?」
扉の向こうに気配が増える。
最悪である。
アルフレッドは深くため息をついた。
「……後で全員叱る」
こうして悪役令嬢は――名前呼びひとつで、全身が熱くなるのだった。




