第69話 悪役令嬢、専属侍女がついて朝から落ち着きません
花嫁修業開始の翌朝。
私は自室で、鏡の前に座っていた。
……なぜこんなことになっているのだろう。
「アメリア様、少し顎を上げてください」
背後から落ち着いた声が飛ぶ。
「こ、こうですか?」
「上げすぎです。首を長く見せる程度で」
難しい。
私の髪を丁寧に整えているのは、見慣れぬ若い女性だった。
栗色の髪をきっちりまとめ、姿勢も美しい。
朝から隙がない。
「本日よりアメリア様付きとなりました、侍女のエマと申します」
昨夜、王妃様にさらりと告げられた。
『未来の王子妃候補に専属侍女は必要でしょう?』
と。
必要なのだろうか。
私はまだ自分で靴も履けるのだが。
「エマさん、本当に私にはもったいないです」
「そのようなことはありません」
即答だった。
「むしろ王妃様より、“絶対に逃がさないように”と命じられております」
「何からですか」
「礼儀作法と現実からです」
逃げ道が塞がれている。
エマは手際よく髪をまとめ、淡い青のリボンを結んだ。
鏡の中の私は、少しだけいつもより大人びて見える。
「……すごい」
「素材が良いのです」
「え?」
「失礼しました。本音が出ました」
無表情で言われても反応に困る。
その時、扉が叩かれた。
「アメリア、いるか」
低い声。
私は飛び上がった。
「アルフレッド様!?」
「入るぞ」
待ってほしい。
心の準備がまだだ。
扉が開き、アルフレッドが現れる。
いつものように整った姿。
朝から眩しい。
彼は私を見るなり、ぴたりと動きを止めた。
「……どうしました?」
「……いや」
珍しく言葉に詰まっている。
エマが一歩下がり、すっと頭を下げた。
「殿下。おはようございます」
「新しい侍女か」
「本日よりアメリア様付きでございます」
アルフレッドの視線が私とエマを行き来する。
なぜか少し機嫌が悪そうだ。
「随分、朝から親しげだな」
「髪を結んでいただいていただけです!」
「そうか」
怖い。
声が低い。
エマは平然としていた。
「殿下もなさいますか?」
「何をだ」
「髪の手入れを」
私は吹き出しかけた。
アルフレッドは無言でエマを見た。
「冗談です」
この侍女、強い。
「それで、ご用件は?」
私が尋ねると、アルフレッドは小さく咳払いした。
「朝食へ行く」
「……わざわざ呼びに来てくださったのですか?」
「ついでだ」
嘘である。
ここは朝食会場と逆方向だ。
エマが静かに言った。
「では私はお二人の後ろに控えております」
「二人?」
「恋人同士で並んで歩かれるのでしょう?」
やめてほしい。
朝から心臓に悪い。
私は慌てて立ち上がる。
すると裾が椅子に引っかかり、よろけた。
「きゃっ」
次の瞬間、アルフレッドが腕を掴んで支えていた。
近い。
近すぎる。
「気をつけろ」
「……はい」
「歩き方の修業も必要だな」
「誰のせいですか!」
エマが後ろで小さく笑っている。
「とてもお似合いです」
「何がですか!?」
返事はなかった。
こうして悪役令嬢は、専属侍女エマの登場により――朝から落ち着かない新生活を迎えるのだった。




