第67話 悪役令嬢、庭園で名前呼びの練習をさせられます
その日の夕方。
私は重い足取りで王宮庭園へ向かっていた。
なぜ恋人になった途端、毎日呼び出されるのだろう。
しかも理由が――名前呼びの練習。
理不尽である。
夕暮れの庭園は、昼間の華やかさとは違い静かだった。
花壇には春の花が揺れ、噴水の音がやさしく響いている。
そして、その前にアルフレッドが立っていた。
今日も無駄に絵になる。
「遅い」
「時間ぴったりです」
「私が先に来ていただけだ」
知らない。
「それで……本当にやるのですか」
「何をだ」
「分かっていて聞かないでください」
彼は小さく息を吐き、近くのベンチへ座った。
「来い」
命令口調が自然すぎる。
私は少し距離を取って座った。
「遠い」
「十分近いです」
「恋人だろう」
便利な言葉にしないでほしい。
結局、少しだけ詰めて座る。
近い。
肩が触れそうだ。
「では始める」
「何をですか」
「私の名前を呼べ」
やはりそれだった。
「嫌です」
「却下だ」
「却下される筋合いはありません」
「ある」
ない。
絶対にない。
アルフレッドは腕を組み、真面目な顔で言った。
「いつまでも殿下では困る」
「なぜ困るのですか」
「他人行儀だ」
その言葉に胸が揺れる。
ずるい。
今日もずるい。
「……では、小声なら」
「聞こえん」
まだ言っていない。
私は深呼吸をした。
たかが名前を呼ぶだけだ。
そう、たかが名前。
「……ア、アル……」
声が蚊の鳴くように小さい。
「続けろ」
「無理です」
「まだ途中だ」
「今ので終わりです!」
「終わっていない」
この人は本当に容赦がない。
私は顔を真っ赤にしながら、もう一度口を開く。
「アル……フレッド……様」
言えた。
言ってしまった。
穴があったら入りたい。
しばらく沈黙が落ちる。
恐る恐る横を見ると、アルフレッドは固まっていた。
「……殿下?」
「今それで呼ぶな」
意味が分からない。
彼は片手で口元を押さえ、視線を逸らしている。
耳が赤い。
「え、まさか照れて――」
「違う」
即答だった。
だが赤い。
どう見ても赤い。
私は思わず吹き出した。
「殿下もそんな顔をするのですね」
「……アメリア」
低い声だった。
危険な気配がする。
「何でしょう」
「もう一度呼べ」
「嫌です」
「なぜだ」
「今度は私が恥ずかしい番ではありませんか」
彼は少し黙り、やがて私の手を取った。
「ひゃっ」
「交換条件だ」
「何のですか」
「お前が呼んだら、私もお前を名前で呼ぶ」
心臓が止まりそうになった。
今まで彼はずっと“お前”だった。
それを、名前で。
「……ずるいです」
「お互い様だ」
夕暮れの庭園で、私は観念した。
「……アルフレッド様」
今度は少しだけ、はっきりと。
すると彼は私の手を握ったまま、静かに口を開く。
「……アメリア」
たったそれだけで、世界が止まった気がした。
噴水の音も、風の音も遠くなる。
私は顔を覆った。
「もう無理です……」
「何がだ」
「心臓です」
彼は小さく笑った。
「慣れろ」
やはり横暴だった。
こうして悪役令嬢は、庭園での名前呼び練習により――さらに恋人らしさを思い知らされるのだった。




