第62話 冷徹王子、西塔の旧鐘楼で不器用に想いを伝えます
その日の夕方。
私は王宮西塔へ続く石階段を、必要以上に慎重な足取りで上っていた。
一段、また一段。
胸の鼓動がうるさい。
“後で話がある”
ただそれだけの言葉なのに、頭の中で何度も繰り返されている。
婚約話のことだろうか。
隣国の件だろうか。
それとも、私が聞いてしまったことへの注意だろうか。
考えても分からない。
西塔の旧鐘楼の扉を開けると、夕焼けに染まる王宮の庭園と街並みが遠くに広がっていた。
かつて時を告げていたという小さな鐘。
今は使われなくなり、静かな風だけが通り抜ける場所。
窓から差し込む橙色の光。
遠く聞こえる人々のざわめき。
風に揺れる鐘の鎖。
そして、その前にアルフレッドが立っていた。
「来たか」
「……お呼びでしたので」
彼はいつもの礼装ではなく、執務後らしい少しラフな姿だった。
それだけで胸が跳ねる自分が悔しい。
「座れ」
窓際の長椅子を指され、私はおとなしく腰を下ろした。
彼も少し距離を空けて座る。
沈黙。
気まずい。
「……あの」
「先ほどの話だが」
同時だった。
私は口を閉じる。
彼は前を向いたまま話し始める。
「隣国との婚約話は以前から何度も出ている」
「……そうなのですね」
「今回に限ったことではない」
当然だ。
王子なのだから。
分かっていたはずなのに、胸がちくりと痛む。
「だが私は受ける気はない」
私はそっと視線を上げる。
彼の横顔は真剣だった。
「王家のためなら、結婚も義務だと理解している」
「……はい」
「それでも、嫌だ」
その一言が、鐘楼の静けさに落ちた。
アルフレッドは拳を握りしめていた。
「今までなら、従っていたかもしれない」
「殿下……」
「だが今は違う」
彼がゆっくりとこちらを向く。
真っ直ぐな視線に、息が止まりそうになる。
「お前に会ってから、予定通りに生きることが馬鹿らしくなった」
私は言葉を失った。
「朝食の味が変わった」
「え?」
「城の空気も変わった」
「……」
「私自身も、変わった」
夕焼けより熱いものが頬に集まる。
こんなの、ずるい。
彼は不器用なまま、懸命に言葉を探している。
その姿が愛おしくてたまらない。
「だから」
少しだけ声が低くなる。
「他国の王女でも、誰でもいいから結婚しろと言われても困る」
「……」
「私には、もう」
そこで彼は珍しく言葉に詰まった。
そして小さく息を吐き、観念したように言った。
「……好きな相手がいる」
小さな鐘が風に揺れて、澄んだ音を鳴らした。
私は固まったまま瞬きもできない。
好きな相手。
誰のことかなんて、聞かなくても分かる。
でも、分かってしまったからこそ声が出ない。
アルフレッドは耳を赤くしながら続けた。
「察しろ」
「無茶を言わないでください!」
思わず叫んでしまった。
「そこまで言ったなら最後まで言ってください!」
「十分だろう」
「十分ではありません!」
「……面倒な女だな」
「誰のせいですか!」
言い合いになっている。
なのに涙が出そうなくらい嬉しかった。
彼は私を見つめ、少しだけ口元を緩めた。
「アメリア」
名前を呼ばれる。
それだけで胸がいっぱいになる。
「お前が好きだ」
今度こそ、はっきりと。
逃げ道のない言葉で。
私はとうとう顔を覆った。
「……無理です」
「何がだ」
「心臓が持ちません」
数秒の沈黙のあと。
アルフレッドが、初めて声を出して笑った。
柔らかく、優しい笑い声だった。
「なら慣れろ」
「横暴です!」
そう言い返しながらも、私は笑ってしまう。
夕焼けの旧鐘楼で。
悪役令嬢はついに、王子の不器用すぎる告白を受け取ったのだった。




