第61話 悪役令嬢、王子の婚約話を聞いてしまいます
庭園お茶会の翌日。
私は朝から落ち着かなかった。
理由は分かっている。
『お前が他の者に取られるような話をされるのが、困る』
『似合っている』
『最初からそう言えばよかった』
……思い出してはいけない。
パン生地に向かって顔が熱くなるなんて人生で初めてだ。
「アメリア」
料理長の低い声が飛んだ。
「はい!」
「その生地、こねすぎだ」
「すみません!」
今日は何もかも駄目だった。
そこへ厨房の扉が開き、侍女ミラが顔を出した。
「アメリア様、王妃様より焼き菓子の追加注文です」
「かしこまりました」
「それと、陛下の執務室へお茶もお願いしたいとのことです」
珍しい。
私は焼き上がった小菓子と紅茶を用意し、執務棟へ向かった。
王の執務室前には護衛騎士が立っていた。
「失礼いたします。厨房よりお茶をお持ちしました」
中から声がする。
「入れ」
扉を開けると、国王陛下と王妃様、そしてアルフレッドがいた。
私は頭を下げ、静かにワゴンを押し入れる。
部屋の空気はいつもより重い。
机の上には地図や書類が広げられていた。
何か大事な話の途中らしい。
「……隣国ノルディアとの件だが」
国王陛下の声が響く。
「使節団の受け入れは避けられん」
私は手を止めないよう注意しながら、カップを並べる。
「先方は、和平と交易再開を望んでおります」
アルフレッドが淡々と答えた。
その声音は、お茶会で見せた人とは別人のように冷静だった。
「だが条件がある」
王妃様が扇子を閉じる。
「ええ。“王家との縁談”ですものね」
私は思わず手を止めそうになった。
縁談。
「ノルディア第二王女を、こちらへ嫁がせたいと」
国王陛下は深いため息をついた。
「表向きは友好の証。だが実際は王位継承への干渉も含む」
私は静かに紅茶を注ぎながら、胸がざわつくのを感じた。
当然だ。
アルフレッドは第一王子。
政略結婚など、あって当然の立場なのだから。
今まで考えないようにしていただけだ。
王妃様がちらりとアルフレッドを見る。
「あなたはどうするの?」
彼は少しの間、黙った。
その沈黙が妙に長く感じる。
やがて、低い声で答えた。
「断ります」
私は思わず顔を上げそうになった。
「理由は?」
国王陛下の問いにも、彼は揺るがない。
「国益のためなら他の手段を探します」
「婚姻も立派な外交だぞ」
「承知しています」
「それでもか」
アルフレッドは一瞬だけ視線を横へ流した。
その先にいたのは――私だった。
心臓が跳ねる。
すぐに目を逸らし、私はカップを持つ手に力を込めた。
彼は何事もなかったように続ける。
「……私には、既に守りたいものがあります」
部屋が静まり返る。
王妃様の口元がにやけた。
国王陛下は咳払いをする。
私は今すぐ消えたかった。
「お茶の準備が整いましたので、失礼いたします!」
逃げるように頭を下げ、部屋を出る。
扉が閉まった瞬間、背中を預けてしゃがみ込みそうになった。
何なの。
何なのあの人。
守りたいものって、国とか民とか、そういう意味かもしれない。
そうに決まっている。
決まっているのに、胸が苦しい。
その時、扉が開いた。
「アメリア」
低い声。
振り向けば、アルフレッドが立っていた。
「……なぜ逃げる」
「逃げてません」
「顔が赤い」
「暑いだけです!」
「今日は涼しい」
逃げ場がない。
彼は一歩近づき、少しだけ困ったように眉を寄せた。
「……後で話がある」
「え?」
「夕方、西塔の旧鐘楼へ来い」
私は瞬きを繰り返した。
西塔の旧鐘楼――王宮の西端にある、今は使われていない小さな塔だ。
以前デートで訪れた王都中央の大鐘楼とは別の場所で、人の出入りも少ない。
「なぜ、そんな場所へ……」
「静かだからだ」
それだけ告げると、彼は返事も待たず執務室へ戻っていった。
私はその場で固まる。
王宮の旧鐘楼。
人目のない静かな場所。
しかも“話がある”。
胸がうるさくて仕方なかった。




