第56話 悪役令嬢、静かな朝に少しだけ寂しくなります
セシリアたちを見送った翌朝。
王城の厨房は、いつも通り忙しかった。
焼き上がるパンの香り。
鍋の湯気。
料理人たちの威勢のいい声。
何も変わらない、いつもの朝だ。
……なのに、少しだけ静かに感じる。
「アメリア、ぼーっとしてるぞ!」
料理長の声に、私ははっとした。
「す、すみません!」
「塩と砂糖を間違えるなよ」
「そこまでではありません!」
危なかった。
実際、今朝の私は少し上の空だった。
昨日までいたセシリアの笑い声が、まだ耳に残っている。
朝から元気いっぱいで、厨房にも勝手に顔を出しては味見をして、料理長に追いかけられていた。
賑やかだった。
……本当に賑やかだったのだ。
「寂しいのか?」
不意に料理長が言った。
私は手を止める。
「え?」
「妹君が帰ったんだろう」
「……少しだけ、です」
料理長は鼻を鳴らした。
「少し、ねえ」
信じていない顔だった。
「家族ってのは、帰った後に静かさで分かるもんだ」
その言葉に、胸がじんとする。
私は小さく笑った。
「料理長、たまにいいこと言いますね」
「たまにとは何だ」
その時、厨房の扉が開いた。
空気が一瞬変わる。
現れたのは――アルフレッドだった。
朝から絵画のように整った姿で、当然のようにこちらへ歩いてくる。
料理人たちが慌てて頭を下げる。
私は何となく背筋を伸ばした。
「殿下。朝食なら、もうすぐ――」
「違う」
彼は短く言った。
「お前に用だ」
厨房がざわつく。
やめてほしい。
「わ、私にですか?」
「ああ」
周囲の視線が痛い。
料理長がにやにやしているのも腹立たしい。
アルフレッドは私の前まで来ると、無表情のまま小さな包みを差し出した。
「これを」
「……何ですか?」
「開けろ」
命令口調で贈り物を渡さないでほしい。
私は包みを受け取り、そっと開く。
中には、小さな焼き菓子が入っていた。
綺麗に包まれた丸いクッキー。
「え……?」
思わず顔を上げる。
「昨日、妹君が置いていった」
「セシリアが?」
「お前が朝、寂しくなるだろうから渡してくれと」
胸が熱くなる。
あの子……。
私は思わず笑ってしまった。
「ふふ……本当に、あの子らしい」
アルフレッドは黙って私を見ている。
「ありがとうございます。届けてくださって」
「ついでだ」
「わざわざ厨房まで?」
「ついでだ」
無理がある。
私はクッキーを大事に抱えた。
すると彼は少しだけ視線を逸らし、低く言った。
「……それと」
「はい?」
「寂しいなら」
数秒、沈黙。
彼にしては珍しく言葉を探している。
やがて、ぽつりと続けた。
「私がいる」
厨房全体が止まった。
包丁の音も、鍋の音も消える。
料理長が口を開けて固まっていた。
私は顔が一気に熱くなる。
「で、殿下……ここ厨房です!」
「だから何だ」
「みんな聞いてます!」
「聞かせている」
何なのこの人。
言い逃げのつもりか、彼はくるりと踵を返した。
「朝食は部屋へ運べ」
「ちょっと待ってください!」
返事もせず去っていく背中。
けれど、その耳が赤いのを私は見逃さなかった。
厨房中が静まり返ったあと――次の瞬間、大爆笑が起こる。
「殿下、やるじゃねえか!」
「ついに公言した!」
「ごちそうさまです!」
「違います!!」
私の叫びは、焼きたてパンの香りと一緒に厨房へ響き渡った。
こうして悪役令嬢の静かな朝は、まったく静かではなく終わるのだった。




