第38話 悪役令嬢、鏡の前で覚悟を決めます
舞踏会当日、夕刻。
私は王妃の衣装室で、鏡の前に立っていた。
淡い青銀色のドレス。
胸元には繊細な刺繍。
裾は光を受けて静かに揺れる。
髪はゆるやかにまとめられ、小さな真珠が飾られていた。
鏡の中の私は、まるで別人だった。
「……逃げたいです」
本音が漏れる。
侍女たちが一斉に首を振った。
「駄目です!」
「今さらです!」
「ここまで仕上げたんですよ!?」
最後の人は職人魂が強い。
王妃セレナは満足そうに頷いた。
「とても綺麗よ、アメリア」
「ありがとうございます……でも中身はいつもの私です」
「それで十分よ」
王妃は優しく微笑んだ。
「着飾るのは鎧のようなもの。大事なのは、その中にいるあなた」
少しだけ胸が温かくなる。
けれど同時に、不安も押し寄せた。
父と母。
社交界の視線。
そして、妹セシリア。
婚約破棄された元悪役令嬢が、第一王子の隣に立つ。
笑われるかもしれない。
陰口を叩かれるかもしれない。
そう思うと、足がすくむ。
「怖い?」
王妃に見抜かれた。
私は小さく頷く。
「……少し」
「嘘ね」
「かなり、です」
王妃が笑う。
「正直でよろしい」
その時、扉が静かに叩かれた。
「入るぞ」
低い声。
アルフレッドだった。
礼装姿の彼は、いつも以上に隙がない。
黒と銀を基調とした正装。
整えられた金髪。
真っ直ぐな姿勢。
無駄に格好いい。
侍女たちが小さく悲鳴を上げている。
「お似合い……!」
「絵画ですか……?」
分からなくもない。
アルフレッドは部屋へ入り、私を見る。
そして――足を止めた。
沈黙。
またしても沈黙である。
「……何か言ってください」
私が先に負けた。
アルフレッドは数秒黙った後、低く言う。
「綺麗だ」
部屋の空気が止まった。
侍女たちが無言で抱き合っている。
王妃が扇子で口元を隠した。
私は耳まで熱くなる。
「き、急にそういうことを言わないでください」
「事実だ」
ずるい。
本当にずるい。
王妃は楽しそうに立ち上がった。
「では、私は先に会場へ行くわ。二人で来なさい」
「母上」
「護衛も兼ねてね」
絶対わざとだ。
王妃と侍女たちが去り、部屋に静けさが残る。
私は鏡の前で指先を握った。
「……殿下」
「何だ」
「私、やっぱり不安です」
正直に言ってしまった。
笑われるかと思った。
けれどアルフレッドは否定しなかった。
ただ、私の隣に立ち、鏡越しに言う。
「なら、私だけ見ていろ」
心臓が止まりそうになる。
「……え?」
「周囲の視線など気にするな」
鏡の中で、彼の目は真っ直ぐだった。
「今夜、お前は私の隣にいる」
その言葉が胸に深く落ちる。
守られている。
選ばれている。
そう感じてしまう。
私は深く息を吸い、鏡の中の自分を見つめた。
逃げない。
今夜だけは。
「……分かりました」
アルフレッドがわずかに口元を緩める。
「よく言った」
そうして彼は自然に手を差し出した。
以前より、少しだけ迷いなく。
私はその手を取る。
温かい。
怖さは消えない。
でも、それ以上に前へ進みたいと思えた。
こうして悪役令嬢は、鏡の前で――ようやく自分の覚悟を決めたのだった。




