第36話 悪役令嬢、夜会の招待状に震えます
数日後、朝。
私は厨房で朝食用のスコーンを焼いていた。
小麦の香り。
バターの香ばしさ。
完璧である。
心の平穏以外は。
最近の私は、
朝は舞踏練習。
昼は厨房仕事。
夜は翌日の仕込み。
そこへ時々、アルフレッドの顔を思い出して動揺する。
非常に忙しい。
「アメリア様、お届け物です!」
侍女が小走りで駆けてきた。
手には深紅の封筒。
金の封蝋付き。
嫌な予感しかしない。
「どちらからですか」
「王妃様からです!」
予感的中である。
私は恐る恐る封を切った。
中には厚手の招待状。
流麗な文字で、こう記されていた。
春の王城舞踏会 正式招待
そして下段には。
第一王子アルフレッド殿下のパートナーとして出席を命ずる
「命ずる?」
思わず声が出た。
王妃、ついに本音が隠せなくなっている。
侍女たちは大騒ぎだった。
「きゃー!」
「正式ですって!」
「ついに公認!」
「まだ何も決まっていません!」
私の否定など誰も聞いていない。
そこへ低い声が響く。
「騒がしいな」
アルフレッドだった。
今日も無駄に顔がいい。
しかも朝から凛々しい。
私は招待状を突きつけた。
「これ、何ですか」
彼は一読し、ため息をついた。
「母上か」
「知っていたんですか?」
「今知った」
本当だろうか。
疑わしい。
アルフレッドはもう一度招待状を見て、静かに言う。
「……正式なら問題ない」
「あります!」
「何がだ」
「全部です!」
私は頭を抱えた。
「私なんかが王子の隣に立てるわけないでしょう!」
厨房が静まり返る。
アルフレッドの目がわずかに細くなった。
「“私なんか”と言うな」
低い声だった。
叱るようでいて、どこか優しい。
「ですが……」
「お前は誰より働き、誰より人を見ている」
まっすぐな言葉に、息が止まる。
「この城で、お前を軽んじる者はいない」
侍女たちがうんうん頷いている。
「むしろ憧れです!」
「パンの女神です!」
最後の人は誰だ。
アルフレッドは一歩近づき、静かに告げた。
「だから堂々としていろ」
胸の奥が熱くなる。
この人は時々、真正面から心を撃ち抜いてくる。
ずるい。
そこへ扉が勢いよく開いた。
「アメリアー!」
ルシアンだった。
「聞いたよ! 招待状届いたんでしょ!?」
「情報が早いですね」
「兄上、ちゃんとエスコートして転ばせないでね!」
「転ぶのは主にアメリアだ」
「否定できませんが言い方!」
ルシアンは私の肩をぽんと叩いた。
「大丈夫だよ。兄上、アメリアのことになると無駄に完璧だから」
「ルシアン」
「痛い痛い痛い!」
本日も耳を引っ張られている。
見慣れた光景である。
私は思わず笑ってしまった。
するとアルフレッドがこちらを見る。
「何だ」
「……いえ」
少しだけ、不安が消えた。
怖い。
緊張する。
でも――この人の隣なら。
そう思ってしまった時点で、もう後戻りはできないのかもしれない。
こうして悪役令嬢は、夜会の招待状一枚で人生最大級の緊張を味わうことになったのだった。




