第32話 悪役令嬢、王子と密着特訓させられます
翌日、午後。
私は王城の舞踏練習室の前で立ち尽くしていた。
広い鏡張りの部屋。
磨かれた床。
天井には大きなシャンデリア。
逃げたい。
「入りなさい」
背後から王妃セレナの声がした。
「やはり辞退という選択肢は」
「ないわ」
即答だった。
横には侍女たちまで控えている。
完全に包囲網である。
私は観念して中へ入った。
部屋の中央には、すでにアルフレッドが立っていた。
黒の練習着姿。
無駄に格好いい。
本当に腹が立つ。
「遅い」
「逃げ道を探していました」
「正直だな」
王妃がぱん、と手を叩く。
「では始めましょう。教師はアルフレッドです」
「は?」
私とアルフレッドの声が重なった。
「母上」
「あなた、王族教育で一番上手だったでしょう?」
「だからといって私が」
「いい機会よ」
何の。
王妃は満足そうに頷く。
「では二人で仲良く踊ってちょうだい」
絶対わざとである。
私は後ずさった。
「む、無理です! 距離が近いです!」
「舞踏会で十メートル離れて踊る気?」
「新しい様式美かもしれません」
「却下よ」
アルフレッドがため息をついた。
「来い」
低い声で言われると逆らいづらい。
私は恐る恐る近づいた。
すると彼は私の右手を取り、自分の左手へ乗せる。
ひゃっ、と変な声が出そうになるのを必死でこらえる。
次に、もう片方の手が腰へ回った。
「……っ!」
「固まるな」
「こ、腰に手があります!」
「位置として正しい」
正論が腹立つ。
「殿下の心拍数が上がっていないのが不思議です!」
「上がっている」
「え?」
一瞬、目が合った。
無表情なのに耳だけ少し赤い。
ずるい。
王妃と侍女たちの黄色い声が背後で上がる。
「尊い……!」
「静かに」
アルフレッドの一言で即沈黙した。
怖い。
「足運びはこうだ」
彼の声に合わせ、一歩、二歩。
私はぎこちなく動く。
当然のように足を踏んだ。
「痛っ」
「す、すみません!」
「気にするな」
また一歩。
今度は自分の裾を踏んでよろけた。
「あっ」
倒れる――と思った瞬間、腰を引き寄せられる。
顔が近い。
近すぎる。
「前を見ろ」
「見られません!」
「なぜだ」
「顔がいいからです!」
部屋が静まり返った。
しまった。
王妃の侍女たちが肩を震わせている。
アルフレッドは数秒黙り、低く言った。
「……それは困ったな」
耳まで赤い。
私は今すぐ床になりたかった。
王妃は楽しそうに扇子で口元を隠す。
「続けなさい」
鬼である。
その後も、
三回踏み、
二回つまずき、
一回抱き留められた。
私はもう瀕死だった。
練習終了後、椅子に崩れ落ちる私へ、アルフレッドが水を差し出す。
「飲め」
「……ありがとうございます」
受け取る手が震える。
アルフレッドは私の隣へ腰掛け、小さく言った。
「本番までには、慣れろ」
「無理です」
「私が合わせる」
その一言に、また胸が跳ねる。
ずるい人だ。
本当にずるい。
遠くで王妃が侍女へ囁いていた。
「次は衣装合わせね」
やめてほしい。
こうして悪役令嬢は、王子との密着特訓に心臓を削られていくのだった。




