第31話 王妃様、舞踏会参加を勝手に決めます
その日の昼。
私は厨房で、焼き菓子の仕上げをしていた。
本日は王妃のお茶会用、はちみつレモンの小さなタルトである。
香りは完璧。
焼き色も理想的。
私の心拍数だけが不安定だ。
「アメリア様、砂糖は大丈夫ですか?」
侍女がにやにやしながら尋ねる。
「今日は間違えていません」
「進歩ですね」
失礼である。
そこへ、王妃付き侍女が慌てて駆け込んできた。
「アメリア様! 王妃様がお呼びです!」
「今ですか?」
「今すぐに、と」
嫌な予感しかしない。
私は手を洗い、王妃の私室へ向かった。
扉を開けた瞬間、豪華なドレスがずらりと並んでいた。
色とりどりの絹。
宝石の刺繍。
レース。
フリル。
布の暴力である。
「……失礼しました」
そっと扉を閉めようとしたが、内側から引かれた。
「逃げないの」
王妃セレナが満面の笑みで立っていた。
「なぜドレスの山が」
「来月の春の舞踏会よ」
「へえ」
「あなた、出るの」
「は?」
一文字で返した。
王妃は当然のように頷く。
「しかもアルフレッドのパートナーとして」
「はあ!?」
声が裏返った。
隣で侍女たちが拍手している。
やめてほしい。
「む、無理です! 私、踊れません!」
「大丈夫よ。教えれば覚えるわ」
「覚える前提なんですか!?」
「当然でしょう」
王妃はきっぱり言い切った。
逃げ道がない。
「そもそも私、元婚約破棄令嬢ですよ! 社交界で笑い者です!」
「誰が笑うの?」
王妃の声が、すっと冷えた。
部屋の空気が変わる。
「もし笑う者がいれば、王妃である私が相手をするわ」
怖い。
味方としては最高だが、敵には回したくない。
私は弱々しく尋ねた。
「……殿下はご存じで?」
「まだよ」
「勝手に決めたんですか」
「ええ」
誇らしげに言うことではない。
その時、部屋の扉が開いた。
「母上、書類に署名を――」
アルフレッドだった。
入った瞬間、部屋いっぱいのドレスを見て足が止まる。
「……何をしている」
王妃はにっこり微笑んだ。
「春の舞踏会の準備よ」
「そうですか」
「アメリアがあなたのパートナーなの」
沈黙。
長い沈黙。
私は穴があれば入りたかった。
アルフレッドはゆっくり私を見る。
私は慌てて首を振った。
「ち、違います! 私は今初めて聞きました!」
「ほう」
低い声が怖い。
怒っているのか、呆れているのか分からない。
王妃は面白そうに続ける。
「嫌なら断ってもいいのよ?」
試している。
完全に試している。
アルフレッドは数秒黙り――
「……嫌ではありません」
今度は私が固まった。
王妃の侍女たちが一斉に顔を見合わせる。
「ただし」
アルフレッドが続ける。
「彼女が望まぬなら強制はしない」
その言葉に、胸が熱くなる。
王妃も満足げに頷いた。
「まあ合格」
何の試験だ。
私はしどろもどろになりながら言った。
「わ、私は……その……」
踊れない。
恥ずかしい。
怖い。
でも。
この人の隣に立つ未来を、少しだけ想像してしまった。
「……練習、します」
自分でも驚くほど小さな声だった。
王妃がぱっと笑う。
「決まりね!」
「待ってください!」
「明日から特訓よ!」
早い。
話が早すぎる。
アルフレッドはそんな私を見て、わずかに口元を緩めた。
「転ぶなよ」
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか!」
「母上だな」
珍しく即答だった。
王妃が笑い声を上げる。
こうして私は、王妃様の独断によって――春の舞踏会へ出ることが決定してしまったのだった。




