第29話 悪役令嬢、初めて帰る場所を知ります
公爵邸から王城へ戻る馬車の中。
私は窓の外を眺めたまま、しばらく何も話せなかった。
昔、あの家にいた頃は。
認められたくて。
役に立ちたくて。
嫌われないように笑っていた。
けれど今日、あの場所で私を守ったのは家族ではなく――隣に座るこの人だった。
「静かだな」
アルフレッドが低く言う。
「珍しく口数が少ない」
「人を普段うるさいみたいに言わないでください」
「違うのか」
「……少しだけ、うるさいかもしれません」
自分で言ってしまった。
アルフレッドの口元がわずかに緩む。
私は深く息を吐いた。
「驚きました」
「何にだ」
「父が頭を下げたこともですが……」
言葉が詰まる。
うまく言えない。
だが、この人には誤魔化したくなかった。
「私のために、あそこまで怒ってくれたことです」
馬車の中が静かになる。
アルフレッドは視線を正面に向けたまま言った。
「当然だ」
「当然ではありません」
「私にとっては当然だ」
心臓が跳ねた。
ずるい。
本当に、この人はずるい。
私は顔を逸らし、小さくつぶやく。
「そういうことを、真顔で言うのやめてください」
「なぜだ」
「心臓に悪いので」
言ってから後悔した。
何を口走っているのか。
だがアルフレッドは少し黙った後、低く尋ねた。
「……私相手でも、そうなるのか」
「は?」
「心臓だ」
意味が分かった瞬間、顔が熱くなる。
「知りません!」
「そうか」
どこか機嫌がいい。
腹が立つ。
その時、馬車が王城の門をくぐった。
夕陽に染まる石壁。
見慣れた中庭。
厨房へ続く裏道。
いつの間にか、この景色にほっとしている自分がいた。
馬車が止まり、扉が開く。
先に降りようとした私へ、アルフレッドが手を差し出した。
「段差がある」
「子ども扱いですか」
「違う。……礼儀だ」
今日は妙に素直である。
私はおそるおそる手を重ねた。
大きく、温かい手だった。
そのまま馬車を降りる。
けれど手は、すぐには離れなかった。
「殿下?」
「……ああ」
名残惜しそうに離れるのは反則である。
そこへ――
「きゃーっ!」
甲高い悲鳴が響いた。
振り向けば、厨房の侍女たちが物陰から顔を出している。
「見ました!? 今の見ました!?」
「手! 手を!」
「尊い……!」
いつからいた。
私は一気に顔が赤くなる。
「違います! これは段差対策です!」
「段差対策であんな顔します!?」
「どんな顔ですか!」
侍女たちは大騒ぎである。
アルフレッドは平然としていた。
むしろ少し誇らしげだ。
「行くぞ、アメリア」
自然に名前を呼ばれ、私は固まった。
今まで“お前”だったはずだ。
侍女たちの悲鳴がさらに大きくなる。
「名前呼びーーー!!」
「今日赤飯です!」
「誰か王妃様呼んで!」
やめてほしい。
私は真っ赤なままアルフレッドを睨んだ。
「……わざとですか」
「何のことだ」
絶対わざとである。
だがその横顔は、少しだけ照れていた。
私はふいに気づく。
実家へ戻っても感じなかった安堵を、今ここで感じていることに。
この騒がしい厨房。
笑う侍女たち。
面倒で不器用な王子。
――ここが、私の帰る場所なのかもしれない。
そう思ってしまった時点で、きっと私はもう手遅れだった。




