第17話 悪役令嬢、守られた夜を忘れられません
夜会の翌朝。
私は厨房で、いつものように朝食の準備をしていた。
焼きたてのパン。
香草入りのオムレツ。
季節野菜のスープ。
包丁を持つ手はいつも通り。
……のはずだった。
「アメリア様、塩が二回入りました」
見習い料理人が震えた声で告げる。
「え?」
鍋を見る。
本当だった。
私は無言で天を仰いだ。
「すみません。作り直します」
「今朝三回目です」
「そんなに?」
「そんなにです」
私は深く息を吐いた。
(集中できない……!)
原因は分かっている。
昨夜のことだ。
『アメリアに害をなす者は、私に刃を向けるのと同じだ』
『なら、もう大丈夫だ』
あの低く落ち着いた声が、何度も頭の中で再生される。
だめだ。
思い出すたびに顔が熱くなる。
「アメリア様、今度はパン焦げてます!」
「きゃっ!」
私は慌てて取り出した。
こんな失敗、普段ならありえない。
「……重症ですね」
見習いが遠い目をした。
「何がですか」
「恋煩いです」
「違います」
即答した。
「では胃もたれです」
「違います」
「昨日から顔赤いですよ」
「火の前にいるからです」
「今、冷蔵庫の前です」
逃げ場がない。
その時、厨房の扉が開いた。
「おはよう、アメリア!」
ルシアンである。
朝から元気である。
「兄上も来てるよ!」
「え?」
その後ろから現れたアルフレッドと目が合った。
今日も無駄に顔がいい。
しかも昨夜の記憶付きである。
私は持っていた木べらを落とした。
「危ない」
アルフレッドが拾い上げ、何事もなかったように差し出してくる。
近い。
声も近い。
「……ありがとうございます」
「顔が赤いな」
「火の前にいたので」
「そこ、入口だが」
やめてほしい。
ルシアンが肩を震わせている。
「兄上、アメリア今日ずっと変なんだよ」
「言わなくていいです!」
「パン三回焦がして、塩二回入れて――」
「全部言わなくていいです!」
アルフレッドがわずかに目を見開いた。
そして、珍しく口元を緩める。
「……そうか」
「何ですか、その反応は」
「いや」
彼は少しだけ楽しそうに言った。
「私のせいかと思ってな」
私は固まった。
ルシアンは机を叩いて笑っている。
「兄上つよい! 攻めた!」
「黙れ」
私は反論したいのに、言葉が出てこない。
なぜなら――
その通りだったからだ。
「朝食は何だ」
アルフレッドが平然と席に着く。
「……オムレツです」
「焦がしていない方を頼む」
「あります!」
「兄上、それ遠回しに信頼してるね」
「黙れ」
私は皿を並べながら、そっと息を吐いた。
守られた夜を忘れられない。
顔を見るだけで胸が騒ぐ。
これはもう、胃もたれなんかではない。
(……認めたくないけれど)
私は、アルフレッドが好きなのだ。
その瞬間、動揺してジャム瓶を倒した。
「きゃっ!」
「危ない」
またしてもアルフレッドに支えられる。
近い。近すぎる。
「……お前、本当に重症だな」
低く囁かれ、私は真っ赤になった。
ルシアンの笑い声が厨房に響く。
こうして私はついに、自分の恋心を自覚してしまったのだった。




