第143話 悪役令嬢、初めての地方視察へ向かいます
数日後。
王宮の朝は、いつもより少し早く動き始めていた。
「荷物はこちらへ!」
「視察資料、確認済みです!」
廊下には慌ただしい声が飛び交う。
私はその中で、小さく深呼吸をした。
(……いよいよですね)
今日は、王太子妃として初めての地方視察。
行き先は、北部の川沿いの街――リュンベルクだった。
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「緊張していますね」
エマが静かに言う。
「……顔に出ていますか?」
「かなり」
最悪である。
だが。
「当然です」
エマは淡々と続けた。
「初公務ですから」
その声は、少しだけ優しかった。
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馬車の前。
カイルが護衛配置を確認している。
「北街道、問題ありません」
「途中の休憩地点も確保済みです」
相変わらず抜かりがない。
私は小さく頭を下げた。
「よろしくお願いします」
カイルは一瞬だけ目を瞬かせ――
そして静かに頷く。
「お任せください」
短い。
でも、頼もしかった。
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その時。
「アメリア」
低い声。
振り向く。
アルフレッドだった。
今日は王太子としての正装姿。
落ち着いた濃紺の上着。
肩章。
王家の紋章。
いつもより少しだけ鋭い空気を纏っている。
(……仕事の顔)
だが。
「資料は読んだか」
そう聞く声は、どこか穏やかだった。
「はい」
私は頷く。
「北部地域の保存食文化について」
「冬季は大雪で物流が止まりやすく、昔から備蓄文化が発達しているそうです」
アルフレッドが小さく目を細めた。
「ちゃんと頭へ入っているな」
少しだけ嬉しくなる。
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「特に気になったのは?」
アルフレッドが静かに問う。
私は少し考えて――
それから答えた。
「干し野菜と保存パンです」
「ほう」
「もし災害や不作が起きても、保存できる食材があると安心できます」
私は資料へ視線を落とす。
「何が起こるか、分かりませんから」
「大雨も、大雪も、不作も……」
「だから、“備える知恵”って大切なんだと思いました」
静かな空気。
すると。
「……お前は、そういうところを見る」
低い声が落ちる。
私は少しだけ視線を逸らした。
「料理人ですから」
「違う」
アルフレッドは静かに続ける。
「お前は、“暮らし”を見ている」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
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その時だった。
「兄上ー!」
元気な声。
ルシアンだった。
相変わらず騒がしい。
「騒がしい」
アルフレッドが即座に返す。
だがルシアンは気にしない。
「義姉上、絶対現地で保存食の話ばっかり聞いてそう」
「聞きます」
真顔で返す。
すると。
「即答だ!?」
ルシアンが吹き出した。
その後ろでは、セシリアも小さく笑っている。
以前より少しだけ落ち着いた雰囲気。
でも。
ルシアンを見る時だけ、まだ少し頬が赤い。
可愛い。
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「ちゃんと帰ってきてくださいね」
セシリアが小さく言う。
私は微笑んだ。
「ええ」
「色々見てきます」
すると。
「兄上」
ルシアンが少し真面目な顔になる。
「無理させすぎないでね」
空気が少し変わった。
アルフレッドは弟を見る。
そして。
「ああ」
短く頷いた。
それだけなのに。
ちゃんと伝わるものがあった。
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馬車がゆっくり動き出す。
王都の景色が、少しずつ遠ざかっていく。
窓の外では、朝日が静かに街を照らしていた。
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数時間後。
馬車は北部街道を抜け、川沿いの街へ入っていく。
「……わぁ」
私は思わず窓へ身を寄せた。
石造りの建物。
窓辺へ吊るされた香草。
軒下には、干された魚や野菜。
王都とは違う空気。
風の匂いまで違った。
「これが……」
「リュンベルクだ」
アルフレッドが静かに言う。
川から吹く風は少し冷たい。
でも。
どこか温かい暮らしの匂いがした。
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馬車が中央広場へ止まる。
その瞬間。
ざわり、と空気が揺れた。
「王太子殿下だ……!」
「王太子妃様も……!」
街の人々が集まっている。
興味。
緊張。
少しの警戒。
色んな視線が混ざっていた。
私は小さく息を吸う。
その時。
「ようこそお越しくださいました」
年配の男性が前へ出る。
深く一礼した。
「リュンベルク街長、グレインと申します」
「この度は、北部視察へお越しいただき光栄です」
アルフレッドが静かに頷く。
「世話になる」
短いやり取り。
でも。
場の空気が少し落ち着いた。
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その時だった。
「アメリアさまー!」
ぱっと響いた小さな声。
空気が少し止まる。
私は思わず目を瞬かせた。
人混みの後ろ。
小さな女の子が、一生懸命こちらへ手を振っている。
私は自然と笑みが零れた。
そして。
その子へ向かって、そっと手を振り返す。
女の子の顔が、一気にぱあっと明るくなった。
「わぁっ……!」
その瞬間。
張っていた街の空気が、ほんの少し柔らかく変わった。
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「本日は歓迎の昼食をご用意しております」
街長が静かに告げる。
「この土地の保存食や郷土料理も、ぜひご覧ください」
私は思わず目を輝かせた。
「ぜひ、見てみたいです」
すると。
街長が少し驚いた顔をする。
「……料理に興味を?」
「はい」
私は自然に頷いた。
「その土地の食事を見ると、暮らしが分かる気がするんです」
数秒の沈黙。
そして。
街長が、ふっと目を細めた。
「……なるほど」
その声は、少しだけ嬉しそうだった。
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その横で。
アルフレッドが静かにこちらを見る。
「楽しそうだな」
「……少しだけ」
正直に答える。
だって。
知らない土地。
知らない暮らし。
知らない知恵。
全部、新鮮だった。
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川風が、静かに広場を吹き抜けていく。
こうして悪役令嬢は――
王太子妃として、初めて“国の暮らし”へ触れていくのだった。




