第121話 悪役令嬢、王太子へ愛妻弁当を届けます
翌朝。
私はいつもより少し早く厨房へ入っていた。
「……よし」
静かな厨房。
まだ見習いたちも来ていない時間。
私は小さく息を吐きながら、食材を並べていく。
ご飯。
卵。
鮭。
ほうれん草。
鶏肉。
そして、小さめの水筒。
(今日は忙しいって言っていたから)
昨日。
久しぶりにちゃんと眠れたアルフレッドの顔を思い出す。
少しだけ穏やかだった。
だからこそ。
今日は、ちゃんと食べてほしい。
「……お弁当くらいなら、いいですよね」
誰に言い訳しているのか分からないまま、私は卵を割った。
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まずは卵焼き。
卵へ、だし汁、砂糖、塩を少し加え、丁寧に混ぜる。
温めた卵焼き器へ卵液を流すと、じゅわっと優しい音が広がった。
半熟状になったところで奥から手前へ巻いていく。
そこへ再び卵液を流し込み、何度か繰り返しながら焼き上げる。
ふわりと膨らんだ卵焼きから、優しいだしの香りが立ち上った。
次は塩鮭。
焼きすぎないよう注意しながら、香ばしく火を通す。
「冷めても固くならないように……」
小さく呟きながら、骨を丁寧に外していく。
ほうれん草は軽く茹でて胡麻和えに。
鶏肉は小さめに切り、甘辛く照り焼きにした。
最後に、おにぎり。
今日は食べやすいよう、小さめに握る。
梅。
鮭。
昆布。
三種類。
「……これくらいなら」
私は小さく笑った。
気づけば、かなり“お弁当らしい”ものになっている。
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「朝から何をしているんですか?」
後ろから声が落ちた。
「ひゃっ!?」
振り向くと、料理長がにやりと笑って並んだおかずを見ていた。
嫌な予感しかしない。
「殿下用か。――愛妻弁当ってやつだな?」
「な、なんですかその恥ずかしい単語は! まだ結婚してません!」
「時間の問題だろ」
否定できないのが、もの凄く悔しい。
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朝食会場。
私は少しだけ緊張しながら包みを抱えていた。
(落ち着いてください)
ただのお弁当。
そう、ただのお弁当だ。
その時。
「おはようございます」
アルフレッドが会場へ入ってきた。
昨日より顔色が良い。
私は少しだけ安心する。
「おはよう、アメリアさん」
王妃様が微笑む。
ルシアンはパンを頬張りながら手を振っていた。
「おはよー」
私は小さく息を吸い――
そして。
「殿下」
包みを差し出した。
アルフレッドが視線を落とす。
「……何だ」
「お昼です」
「昼?」
「今日は長時間の会議があると聞きましたので」
一瞬。
会場が静かになった。
ルシアンの口が止まる。
王妃様の目が輝いた。
国王陛下は静かに紅茶を飲んでいる。
アルフレッドは包みを見つめたまま、数秒黙る。
「……作ったのか」
「はい」
「いつ」
「今朝です」
再び沈黙。
そして。
「……そうか」
その声は、少しだけ柔らかかった。
「あ、あと……」
私は慌てて小さな水筒を差し出す。
「温かいほうじ茶です」
「会議中、喉が乾くと思って」
ルシアンが吹き出した。
「完全に奥さん!」
「ルシアン!」
「だって兄上、今めちゃくちゃ嬉しそう!」
アルフレッドが静かに弟を見る。
「黙れ」
だが否定はしなかった。
王妃様は扇子で口元を隠して震えている。
「まあまあ……!」
国王陛下まで苦笑していた。
「仲が良いな」
私は顔が熱くなる。
アルフレッドは静かに包みを受け取り――
そして、小さく言った。
「……ちゃんと食べる」
胸が、少しだけ熱くなった。
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その日の昼。
重臣たちとの長時間会議。
「こちらの資料ですが――」
「南部の流通経路を――」
空気は重い。
誰もが疲れ始めていた。
その時。
ことり。
アルフレッドが包みを机へ置いた。
重臣たちが止まる。
「……殿下?」
「昼食だ」
「い、今ですか?」
「食えと言われた。……残すと、次がない」
真顔だった。
重臣たちは(あ、アメリア様のお弁当か……)と察し、誰もそれ以上追及できなかった。
アルフレッドは包みを開く。
綺麗に並んだおかず。
小さめのおにぎり。
ふわりと漂う、だし巻き卵の香り。
そして。
ほうじ茶の香りが、静かに広がった。
室内の空気が、少しだけ緩む。
「……良い香りですね」
若い文官が思わず呟く。
アルフレッドは卵焼きを一口食べ――
そして小さく息を吐いた。
「……美味い」
疲れていた頭へ、優しい味が落ちていく。
カイルが壁際で小さく笑った。
「殿下、機嫌が良いですね」
「普通だ」
即答だった。
だが。
いつもより空気が柔らかいのは、誰の目にも明らかだった。
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夕方。
私は厨房で片付けをしていた。
その時。
「アメリア様」
エマが小さな包みを差し出した。
「殿下よりです」
「え?」
受け取る。
中には、空になったお弁当箱。
綺麗に全部食べられていた。
そして。
小さな紙が一枚。
『全部食べた』
短い。
ものすごく短い。
でも。
思わず笑ってしまうくらい、アルフレッドらしかった。
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「……よかった」
小さく呟く。
するとエマが静かに目を細めた。
「殿下、本当に嬉しそうでした」
「エマ」
「特に卵焼きが」
「そこまで聞いてません」
顔が熱い。
エマはほんの少しだけ笑った。
私は空になったお弁当箱をそっと抱える。
その重さが、なんだか少しだけ嬉しかった。
こうして悪役令嬢は――
王太子の日常を、少しずつ温かなもので満たしていくのだった。




