第120話 悪役令嬢、王太子の隣で夜を越えます
その日の夜。
王宮の廊下は、すっかり静かになっていた。
昼間の慌ただしさが嘘みたいだ。
私は小さく息を吐きながら、温かなほうじ茶を盆へ乗せる。
「……まだ終わっていないんですね」
エマが静かに頷いた。
「殿下は、現在も執務室です」
「国王陛下は?」
「先ほどお戻りになりました」
つまり。
アルフレッドだけ、まだ残っている。
私は少しだけ視線を落とした。
昼間。
誰より冷静に。
誰より堂々と。
重臣たちをまとめていた姿を思い出す。
でも。
(ずっと頑張っていた)
朝から、ずっと。
「……行ってきます」
エマが静かに扉を開けた。
---
執務室の前は、しんとしていた。
護衛騎士が一礼する。
「アメリア様」
「まだ中に?」
「はい」
少しだけ困ったような顔だった。
「資料整理まで始められまして……」
私は思わず苦笑する。
アルフレッドらしい。
静かに扉を開ける。
薄暗い執務室。
机には山積みの書類。
読みかけの資料。
消えかけた灯り。
そして――
「……」
アルフレッドが、机へ突っ伏したまま眠っていた。
私は思わず立ち止まる。
(寝てる……)
珍しい。
本当に珍しい。
いつもなら、無理にでも最後まで終わらせる人なのに。
近づく。
金色の髪が、少しだけ乱れていた。
握ったままのペン。
机へ落ちた書類。
そこに、疲労が見えた。
胸が少しだけ痛くなる。
(……頑張りすぎです)
私は静かに上着を肩へ掛けた。
起こさないように。
そっと。
その横へ、温かなほうじ茶を置く。
湯気がゆっくり立ち上っていた。
そして。
私は起こさないよう、静かに書類を整えていく。
落ちかけていた紙を揃え、
地域ごとに資料を重ねる。
読み終わったものと、確認途中のものも分けていった。
少しでも、明日の負担が減るように。
その時だった。
「……まだ起きていたのか」
低い声。
振り向く。
そこには、国王陛下が立っていた。
私は慌てて頭を下げる。
「陛下」
国王陛下は眠る息子を見る。
しばらく静寂。
そして。
「……珍しいな」
小さく苦笑した。
その声は、どこか父親らしかった。
整えられた書類の束。
読みかけの資料。
机へ置かれたままのペン。
その姿を見て、国王陛下はふっと目を細める。
「……だいぶ無理をしていたな」
低い声。
けれど、優しかった。
私は小さく頷く。
「朝から、ずっとでしたから」
「そうだろうな」
国王陛下は静かに息を吐く。
そして。
「起こさなくていい」
その一言に、私は少しだけ目を見開いた。
「少しくらい寝かせてやれ」
私は小さく頷く。
「……はい」
国王陛下は再び眠るアルフレッドを見る。
その目は穏やかだった。
「昔からこうだ。責任を抱え込み、誰かに任せるのが下手でな」
国王陛下はぽつりと呟き、静かにアルフレッドを見つめた。
……少し分かる気がした。
「だがな」
国王陛下が小さく笑う。
「最近は少し変わった」
「え?」
「お前がいるからだ」
胸が、少し熱くなる。
私は思わず視線を落とした。
その時。
「……アメリア」
小さな声。
アルフレッドだった。
うっすら目を開けている。
少し掠れた声。
いつもより弱い。
「起きてしまいましたか」
「……何時だ」
「夜中です」
アルフレッドは小さく息を吐く。
そこでようやく、国王陛下に気づいた。
「父上」
「少しは休む気になったか」
国王陛下が苦笑する。
アルフレッドは眉を寄せた。
「寝ていません」
「机で寝落ちしていた男が何を言う」
反論できなかった。
私は思わず小さく笑ってしまう。
アルフレッドがこちらを見る。
「……笑うな」
「少しだけです」
「少しではない」
声にいつもの調子が戻っていて、少し安心した。
その時。
国王陛下が静かに口を開く。
「今日はもう戻れ」
「ですが――」
「命令だ」
空気が変わる。
国王としての声だった。
アルフレッドは数秒黙り――
やがて小さく息を吐く。
「……承知しました」
素直だ。
かなり珍しい。
国王陛下は満足そうに頷く。
「たまには休め」
そう言い残し、静かに部屋を後にした。
扉が閉まる。
静寂。
私は机の端へ置いたほうじ茶を見る。
「飲みますか?」
アルフレッドは少しだけ目を細めた。
「……お前が置いたのか」
「はい」
カップを手に取る。
まだ少し温かい。
アルフレッドは一口飲み――
小さく息を吐いた。
「落ち着くな」
その声は、少しだけ疲れていた。
私は静かに笑う。
「少しは休んでください」
「休んだ」
「机で寝落ちするのは休憩に入りません」
即答だった。
アルフレッドが少しだけ眉を動かす。
「厳しいな」
「殿下が無理をしすぎです」
数秒、沈黙。
やがて。
「……そうか」
小さく返された声は、どこか穏やかだった。
私はそっと書類へ視線を落とす。
すると。
「アメリア」
「はい」
「書類、整理したな」
気づかれていた。
「少しだけです」
「見やすくなっている」
低い声。
でも。
どこか優しかった。
「……ありがとう」
短い言葉。
でも、その声はとても柔らかい。
胸が少し熱くなる。
私は小さく笑った。
「どういたしまして」
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翌朝。
朝食会場へ入ってきたアルフレッドを見て、
私は思わず目を瞬かせた。
(……顔色が良い)
昨日までの疲れが嘘みたいだった。
「兄上、なんか今日すっきりしてない?」
ルシアンが不思議そうに首を傾げる。
「普通だ」
即答だった。
でも。
声も表情も、いつもより少し軽い。
国王陛下が紅茶を飲みながら苦笑する。
「少しは人間らしく眠れたようだな」
アルフレッドの動きが一瞬だけ止まった。
「父上」
「何だ」
「余計なことを言うな」
完全にばれている。
私は思わず吹き出しそうになる。
その時。
「今日の朝食です」
料理が運ばれてくる。
焼きたてのパン。
温かなスープ。
ふわふわのオムレツ。
香ばしいベーコン。
アルフレッドは一口食べ――
そして小さく息を吐いた。
「……美味いな」
その声は、昨日よりずっと穏やかだった。
私は少しだけ肩の力を抜く。
(……良かった)
すると。
アルフレッドが当然のようにこちらを見た。
「今日も頑張れそうだ」
胸が、少しだけ熱くなる。
私は小さく笑った。
「はい。私もです」
窓から差し込む朝日が、静かに食卓を照らしていた。
こうして悪役令嬢は――
王太子の隣で、その重責を支えながら、
今日もまた、共に前へ進んでいくのだった。




