第117話 悪役令嬢、王宮で慕われ始めます
翌朝。
私はいつものように厨房へ向かっていた。
王宮の廊下は、朝の静かな空気に包まれている。
窓から差し込む光が、白い床へやわらかく広がっていた。
その時。
「アメリア様、おはようございます!」
明るい声が飛んでくる。
振り向けば、若い侍女がぺこりと頭を下げていた。
「お、おはようございます」
私は少し驚きながら挨拶を返す。
以前より、明らかに声を掛けられる回数が増えていた。
しかも。
皆、どこか嬉しそうなのだ。
(……なぜでしょう)
不思議に思いながら歩いていると、
今度は廊下の向こうから、年配の使用人が笑顔で会釈してきた。
「孤児院のお話、聞きましたよ」
「え?」
「子どもたち、たいそう喜んでいたそうですねぇ」
「厚焼き卵サンド、とても美味しかったとか」
広がっている。
ものすごく広がっている。
私は思わず立ち止まった。
「なぜ皆さんご存知なんですか……?」
すると使用人は、少し不思議そうに笑った。
「良い話は広がるものですよ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
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厨房へ入ると、いつも通り活気に満ちていた。
「おはようございます!」
「アメリア様、おはようございます!」
声が重なる。
私は少しだけ笑って頭を下げた。
「おはようございます」
すると。
見習いの少女が、そわそわしながら近づいてくる。
「あ、あの!」
「はい?」
「厚焼き卵サンド、私も作ってみました!」
「え?」
思わず目を瞬かせる。
少女は嬉しそうに続けた。
「弟がすごく喜んでくれて……!」
その顔が、本当に嬉しそうで。
私は自然と頬が緩んだ。
「良かったです」
「はい!」
その時。
料理長が腕を組みながら口を開く。
「最近、“王宮の卵サンド”って呼ばれてるらしいぞ」
「やめてください」
即答だった。
「まだ正式な料理でも何でもありません」
「でも人気なんだろ?」
「それは……」
否定できない。
料理長はにやりと笑う。
「いいことじゃねぇか」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
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その日の昼前。
私はエマと一緒に、食材庫の確認をしていた。
「最近、卵の消費が増えております」
エマが淡々と記録を確認する。
「やっぱりですか」
「はい。厨房の者たちが、各自で試しているようです」
完全に広がっている。
私は思わず額を押さえた。
「……恥ずかしいですね」
すると。
エマが珍しく、ほんの少しだけ目を細めた。
「皆、アメリア様がお好きなんです」
一瞬。
言葉が止まる。
「え……?」
エマは静かな声で続ける。
「料理だけではありません」
「周囲をよく見ておられますし、誰に対しても態度を変えません」
「厨房の者たちは、それをよく分かっています」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
私は少し困ったように笑った。
「……そんな大したことは」
「あります」
即答だった。
エマらしい。
私は思わず吹き出してしまう。
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その時だった。
「随分と賑やかだな」
低い声。
振り向く。
アルフレッドだった。
「殿下」
彼はそのまま自然にこちらへ歩いてくる。
そして当然のように、私の隣へ立った。
「何を話していた」
「厚焼き卵サンドの話です」
「そうか」
短い返事。
だが。
「また作る予定はあるか」
その一言で、エマがほんの少しだけ視線を逸らした。
絶対笑っている。
「……殿下も気に入っているんですね」
思わず言うと。
アルフレッドは平然としていた。
「美味いからな」
即答だった。
悔しいくらい自然である。
「兄上!」
そこへ、元気な声が飛び込んできた。
ルシアンだった。
「聞いたよ! また卵サンド作ったんでしょ!?」
「まだ作ってません」
「えー!」
ルシアンは本気で残念そうだった。
「僕も食べたい!」
「前回も食べていたでしょう」
「また食べたいの!」
子どもみたいである。
すると。
アルフレッドが静かに口を開いた。
「順番だ」
「何の!?」
「私が先だ」
「兄上ずるい!」
厨房に笑いが広がる。
平和だった。
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その時。
厨房入口の方から、ひそひそ声が聞こえた。
私は何気なくそちらを見る。
若い侍女たちだった。
「やっぱり素敵……」
「殿下、最近すごく雰囲気柔らかいよね」
「アメリア様といる時、全然違う……」
聞こえている。
全部聞こえている。
私は一気に顔が熱くなった。
「な、何でもありません!」
思わず言うと、
侍女たちが慌てて散っていく。
ルシアンが吹き出した。
「義姉上、真っ赤」
「誰が義姉上ですか!」
「でももう王宮公認だよね?」
「うるさいです!」
すると。
アルフレッドが小さく息を漏らした。
……笑っている。
珍しい。
私は思わず彼を見る。
アルフレッドは少しだけ口元を緩めたまま言った。
「慣れろ」
「無理です!」
「そのうち慣れる」
「絶対慣れません!」
即答すると、
彼はなぜか少し楽しそうだった。
本当にずるい。
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その日の帰り道。
私は廊下を歩きながら、小さく息を吐いた。
以前とは違う。
向けられる視線も。
声も。
空気も。
でも――
嫌ではなかった。
その時。
隣を歩いていたアルフレッドが、ふとこちらを見る。
「疲れたか」
「少しだけ」
正直に答える。
すると。
彼の手が、そっと私の頭へ伸びた。
優しく。
よしよしと撫でられる。
「……よくやっている」
低い声。
でも。
とても優しかった。
私は思わず立ち止まる。
「……殿下」
「何だ」
「そういうこと、平然と言うのずるいです」
アルフレッドは少しだけ目を細めた。
「事実だ」
またそれだ。
でも――
胸の奥は、不思議なくらい温かかった。
こうして悪役令嬢は――
少しずつ王宮の中でも慕われながら、自分の居場所を広げていくのだった。




