第10話 美しき令嬢、王城厨房に現れます
その日の午後。
私は王城厨房で、新作の焼き菓子の試作をしていた。
バターの香りがふわりと広がり、見習い菓子職人たちが真剣な顔で生地を混ぜている。
「混ぜすぎると固くなりますよ」
「は、はい!」
「そこ、粉はふるってから」
「はいっ!」
いつの間にか、私はすっかり厨房指導係になっていた。
(追放予定の悪役令嬢だったはずなのだけれど)
人生、分からないものである。
その時だった。
厨房の入口が静かに開き、場の空気が変わった。
現れたのは、一人の令嬢。
淡い金色の髪をゆるやかに結い上げ、青い瞳は宝石のように澄んでいる。
上品なドレス姿はまるで絵画のようで、立っているだけで周囲が華やぐ美しさだった。
「まあ……」
侍女たちが小さく息をのむ。
「侯爵令嬢エレノア様……!」
どうやら有名人らしい。
私は手を止め、軽く会釈した。
「ごきげんよう」
エレノアは優雅に微笑んだ。
「あなたがアメリア・フォン・ローゼリア様ですのね」
「ええ、そうですが」
「お噂はかねがね」
……嫌な予感がする言い方だ。
だが彼女は穏やかな声で続けた。
「王妃様がお褒めになっておりましたわ。お料理も見事だとか」
「恐縮です」
「ぜひ一度、拝見したくて」
私は少し拍子抜けした。
もっと棘のある人かと思ったのに、物腰は柔らかい。
その時、再び入口がざわつく。
「何をしている」
低い声とともに現れたのはアルフレッドだった。
今日も無駄に顔がいい。
エレノアの表情がぱっと明るくなる。
「アルフレッド殿下!」
「……エレノアか」
「お久しぶりですわ」
彼女は自然な動作でアルフレッドの腕に手を添えた。
距離が近い。
近すぎる。
私は無意識に眉をひそめた。
「母上に呼ばれて来たのです。殿下にもお会いできて嬉しいですわ」
「そうか」
アルフレッドはいつも通り無表情だ。
だが拒みもしない。
侍女たちが小声でささやく。
「お似合い……」
「昔から仲が良いらしいわ」
「将来の王妃候補とか……」
その言葉に、胸の奥がちくりとした。
(……別に、どうでもいいのに)
私は勢いよく生地を混ぜた。
「アメリア様、混ぜすぎです!」
見習いが慌てる。
「失礼、手元が狂いました」
「怖いです!」
そこへエレノアがこちらを向いた。
「まあ、美味しそう。わたくしにも味見させていただけます?」
「どうぞ」
私は焼き上がったばかりのクッキーを皿にのせた。
エレノアは上品に一口かじり、目を丸くする。
「……まあ、素晴らしいわ」
「ありがとうございます」
「殿下も召し上がって?」
自然な流れで、彼女はクッキーをアルフレッドへ差し出した。
周囲の空気が固まる。
私はなぜか、見たくない気持ちになった。
けれどアルフレッドは、その手を見たあと――
「自分で取れる」
そう言って、皿から別の一枚を取った。
エレノアの笑顔が少しだけ固まる。
侍女たちも固まる。
私は……なぜか少しだけ胸がすっとした。
(……何を安心しているの、私)
その時、勢いよく扉が開いた。
「アメリアー! おやつの時間!」
ルシアンである。
病み上がりとは思えぬ元気さだ。
彼は室内の華やかな空気を見回し、首をかしげた。
「誰?」
エレノアのこめかみがぴくりと動いた。
嵐の予感がした。
こうして王城厨房に、新たな波乱の令嬢が現れたのだった。
【新登場人物】
エレノア
侯爵令嬢。美貌と教養を兼ね備えた名門令嬢。アルフレッドと面識があり、アメリアにとって恋のライバル的存在。




