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9◆巻き戻る前のエルガ公爵家・2

嫁入りしたルルアに、女主人然とローラは接した。部屋は屋敷の別棟の一室と決め、当主と寝室を同じくする続き部屋は与えなかった。「公爵夫人として相応しくなってからね」などと言いながら。

その言葉を、ローラ自身も信じていた。目の前にいる何の取りえもないルルア。彼女が成長するためにやっているのだと。栄えあるエルガ公爵家の、アーネストの妻になるのであれば、少なくとも自分よりも出来のいい令嬢じゃなければ認められない。それをクリアしたら喜んで公爵夫人の部屋を与えると。その権限が自分にあると信じていた。

侍女に物を言いつけるのもままならないルルアから、侍女から苦情が来たとルルアの世話役を取り上げた。下級メイドはルルアの世話を申し付けられたが、何かと菓子やお下がりをくれる偉いさんのお嬢様が、ポッと出の花嫁を気に入らないのを知っているので、わざと世話の手を抜いた。

ここでの生活が嫌になれば、ポッと出の若奥様なんて出て行くでしょう。ルルアが使用人たちにそう思われるのはすぐだった。ローラは決して命じていない。ただ、そのような流れを知っていながら何もせずにいただけだ。

だけど若奥様は意外にずぶとく、ろくな暮らしができなくなっても、なかなか出て行かなかった。それが使用人たちを苛立たせ、一部が過激な行動に出ることになる。豚の血を浴びせたのがその一つだ。


ルルアが死んだのは、何も殺そうとしたわけではない。久々に戻ったアーネストが、ルルアとのお茶の席にローラは外せと言ったのだ。

その言葉にショックを受けたローラを不憫に思ったメイドたちが、毒性がある草の抽出液をルルアの茶に混ぜたのだ。その草は茶と一緒に煮出すと腹を壊すから、間違って摘まないようにと教えられている草だ。

メイドは腹でも下せばいいとそれを準備した。しかしアーネストに同じ茶を出すわけはいかない。メイド同士で相談し、あらかじめその草を煮詰めて成分を抽出し、蜂蜜と一緒に入れてやれとなったのだ。

抽出し凝縮された成分は腹を壊す程度では済まなかった。喉を通った瞬間にショック症状が出て呼吸ができなくなる。そうしてルルアはアーネストの目の前で死んだのだ。


「あら、何があったの?」


騒ぎを聞きつけてやってきたローラの、やけに落ち着いた声をアーネストは聞いていた。その場で追及するどころではなかったが、起きた事象に対してそぐわない声色。

例えば、信頼していた叔父が自分に刃を向けてきた時。

例えば、仲が良かった令息が、自分への裏切りを知られ開き直った時。

今まで嫌というほど経験してきた。

マデリナ侯爵のことも、ローラのこともアーネストは信用していた。数少ない味方だと思っていたのだ。この日、アーネストはそれを深く後悔した。自分に味方はいないと思わなくてはならなかったのだ。

アーネストはルルアが嫁入りしてからのことを調査した。いくらローラに忖度していたところで、自分の命と天秤に掛けられれば使用人たちは次々に洗いざらい話した。


「こうまでも、マデリナ侯爵家に入り込まれていたのだな」

「アーネスト!そういうつもりじゃなかったの!私は本当に良かれと思って…!」

「良かれと思って?」


アーネストは耳を疑った。目の前で妻を殺されて聞く言葉ではない。

ローラは殺すつもりはなかったのかもしれないが、ルルアに惨めな結婚式をさせ、こうまで使用人を増長させたのはローラだ。ローラの手足となった者は、もはやエルガ公爵家の使用人ではない。

事件の調査の最中、庭園内に造ったルルアの墓にアーネストは毎日参っていた。公爵家の立派な墓地に埋葬しなかったのは、離れがたかったからだ。


「公爵様」


ある日ふと、庭師の男が近づき話しかけてきた。この墓のある辺りは庭師の小屋も近い。ここはアーネストが幼い日、過酷な跡取り教育や厳しい父、会いにも来ない母を思い、こっそりと涙していた場所だ。そんな昔にも庭師は同じように働いていて、うずくまって泣いているアーネストに声を掛けるでもなく、だけどアーネストを探す者たちをそっと遠ざけてくれていた。


「若奥様は、こんな目に遭わなければならない方でしたか…」

「…どういうことだ?」


公爵家の当主に声を掛けていい身分ではないのを庭師は弁えている。生意気なことを言って斬り捨てられてもなんら不思議ではない。だけど豚の血を浴びせられて、トボトボと一人で水場に向かうルルアの姿を庭師は見た。もしあの若奥様が酷い性格であったり、浪費家だったとしても、あんな目に遭う謂れはないと思ったのだ。庭師はそのやりきれない気持ちを当主に訴えた。


「…エルガ公爵家は狂っているのだな」


庭師はルルアが嫁入りしてから見聞きしたことを、全てアーネストに伝えた。どんなお咎めが来るかと待っていたが、来たのはアーネストのその呟きだった。

この家の争いの渦中にいたアーネストは、如何に生き残るかだけを考えてきた。跡目争いから逃げたところで静かになど暮らせない。ならば勝ち残るしかない。しかし、それが異常だったのかと、庭師の言葉でアーネストはやっと思い至った。


ならば、こんな場所に連れてきた自分が悪いのだ。ルルアの死は自分のせいだ。


アーネストはそれ以上言うことなくその場を去った。そして二度とルルアの墓に行くことはなかった。


その時からアーネストは吹っ切れた。ローラがやったことの責任として、生涯自領から出さないとしたマデリナ侯爵に、アーネスト「そうか」とだけ言った。そしてアーネストはマデリナ侯爵家による公爵夫人殺害と、エルガ公爵家の乗っ取り未遂の証拠を立てて、王城からの捕縛の許可を得た。アーネストはマデリナ侯爵のローラへの甘い処遇を許さなかったのだ。

王家からしたらマデリナ侯爵は、エルガ公爵家の未来を共に模索した同志のようなものだった。しかし今回エルガ公爵からの訴えを支持し、マデリナ侯爵を切り捨てた。それで事が小さく済むという判断だった。

マデリナ侯爵は爵位剝奪、ローラは暗殺の計画犯として死罪。昔なじみのよしみと、アーネストが自らローラの首を斬った。

使用人たちは庭師以外全て解雇となった。その中には公爵夫人への侮辱と、殺人の実行犯としてアーネストの酌量で処分された者もいる。


「まあ、酷い有様ですこと」


誰もいない、荒れ果てたエルガ公爵邸にやってきたセラフィーナは、足を踏み入れたとたんそう言った。アーネストが本邸の使用人を全員解雇したまま放ったらかしにしているので、別邸からセラフィーナが自分の使用人を連れて戻ってきたのである。

侍女に邸の手入れの差配を命じると、侍女からメイド長に指示が下り、一斉にメイドたちが動き出す。これでしばらくすれば体裁だけはどうにかなるだろう。

セラフィーナもこの屋敷に来るのはしばらくぶりである。別邸に移り住んでからは両手で足りる程度しか来たことがないが、こうも荒れ果てた姿を見るとは思ってもみなかった。


「アーネスト、いるのですか」


当主の執務室をノックして声を掛けるが返事はない。ドアノブに手を掛けると鍵は掛かっておらず、セラフィーナはそのまま扉を開いた。執務机の前にアーネストは座していたが、何かに手を付けているという風ではない。そして鋭い視線をセラフィーナに向けた。


「久しぶりねアーネスト」

「お久しぶりです」


感情の籠らない声でアーネストは返事をする。そして時たま、おかしな咳が出る。邸の空気が悪いせいで気管が病むのだ。これはまだ、別邸でセラフィーナと暮らしていた時に受けた毒の後遺症だ。体が出来上がるに連れ後遺症は軽くなったが、気を付けていないとこんな風に咳が出る。


「これはどういう有様かしら?この屋敷だけじゃありません。マデリナ侯爵家を取り潰し、領地の管理はエルガ公爵家がせよとの王家からの命であるというのに、それも放ったらかし。あなたは何をしているのです?」

「…先駆けの軍に参加いたします」

「なんですって?」


アーネストは母の問いには答えることなく、そう伝えた。

相手は隣国だということは言われなくとも解る。相手の戦力や状況は計り切れていないという。そんな中で戦に参加するのは捨て駒になってもおかしくない。本来であればそんな役目をエルガが担うはずがない。


「それは一体どういう…」

「王太子殿下からの命です」


情勢はもはや戦争を回避するのは不可能な所まで来ていた。隣国だけの戦力であれば敵ではないが、後ろに付いている西国の支援がどれだけのものか、いくらスパイを送り込み探ってみても解らなかった。

しかし、それでもどうして、それを担うのがアーネストなのだ。


「エルガの領地と屋敷のことは、母上にお任せします」

「…そう」


聞きたいことはたくさんある。勝ち戦の誉れを得られる可能性の低い戦のことも。そこへ赴くと決めた息子の気持ちも知りたかったが、セラフィーナはどう声を掛けていいかわからなかった。

どの面下げて母親のような言葉を掛けられるというのだ、と自分が一番理解している。


「エルガのことは私に任せて、あなたは戦に集中なさい」

「はい」


生きて帰ってくるのですよ。


セラフィーナは、この言葉をどうしても口にすることができなかった。執務室から出て行くまで何度も思ったが、どうしても。セラフィーナとアーネストはこんな不器用な親子だった。


アーネストは戦うために研ぎ澄まされていく。今この時からずっと。それが戦争の戦局を大きく変えるのだ。氷の公爵と呼ばれる彼は、感情で判断が揺らぐことはない。

たった一人の指揮官が潮目を変え、兵士たちを鼓舞し、後ろ盾により巨大な戦力を得た隣国を相手に、自国に進軍させること無く勝利を収めることになる。


運命の魔女は、魔法をアーネストに掛けたわけではない。ただ、この国の運命を勝利の方向へ導いたときに、その運命にアーネストが使われたのだ。

アーネストのもたらした勝利により、エルガ公爵家の醜聞など払拭される。かつてないほどの栄誉を得たのだ。それが運命によるアーネストへの対価である。しかし、それはなんら、アーネストの幸せを約束するものではない。


アーネストは時々、ルルアを思い出す。そんな権利はないと思いながらも思い出してしまう。

アーネストはルルアに恋はしていない。それができる時間は与えられなかった。

彼女は窓のようで、そこからの眺めはきっとのどかで、窓を開ければ良い風が吹いたのかもしれない。そんな風に思うだけだ。だけどそれを確かめるすべはない。ルルアは死んでしまったのだから。

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