8◆巻き戻る前のエルガ公爵家・1
アーネストの父親である前公爵イズナリオは、五人兄弟の三番目であった。五人のうち、母親が同じなのはすぐ下の四番目の弟だ。若くして亡くなった前妻に二人、後妻に二人、愛人に一人子供がいた。イズナリオは後妻の子である。
エルガ公爵家はその昔、王弟によって興された家である。王族の血を引き、政治や経済の中枢で手腕を振るうエルガ公爵家は栄華を極め、貴族家の中でも特別だ。
その家の後継者も、嫁入りする令嬢も特別視され、その位置に立つために苛烈な争いが起きるようになっていった。イズナリオとアーネストの代がその争いのピークとも言える。
イズナリオが当主として立った時にも兄たちは健在であり、母親の身分で言えばイズナリオよりも上である。兄たちは後継の地位を取り戻さんと躍起になった。それと、アーネストにとって気のいい叔父であったイズナリオの弟も、その笑顔の下でアーネストをコントロールしようと企んでいた。イズナリオとアーネストは常に危険と隣り合わせであった。
エルガ公爵家の争いが知られるようになったのは、イズナリオの弟が川で死んだからである。酒に酔って溺れたという、公爵家に生まれた者としてあまりに惨めな最期だ。それをイズナリオの兄弟たちはイズナリオの仕業と言い張った。
そんな兄弟たちの周囲も不審な点が多い。若い病死が多いこと、気鬱を理由に社交に出られない者がいること。数え出したらキリがない。当主の弟のスキャンダラスな死によって漏れだした噂は止まらなかった。
そしてついに主な後継候補が死に絶え、当主だったイズナリオも死んだ。アーネストが若くして当主に立った時、その近くにいるのは二つの家だけだった。一つは後継にイズナリオの血統を推していた傍系のマデリナ侯爵家。もう一つは王家だ。本来であれば是非にでも娘を嫁入りさせたいと思う貴族たちが、飛び火しては敵わないと距離を取る。
エルガ公爵家はこの国にとって大事な家だ。いつまでも血生臭い醜聞に塗れていていい家ではないと王家は考える。マデリナ侯爵は当初、娘のローラをエルガ公爵に嫁がせたいと考えていたが、それに王家が待ったを掛けた。醜聞を抱えるエルガ公爵家が、傍系と縁を深めることにより、更に閉じのを危惧してのことだ。マデリナ侯爵も王家の意向を理解した。
しかし現在、エルガ公爵家は遠巻きにされているし、力関係から見てもあまり良い縁がない。そこに縁談を持ってきたのが王妃であった。気に入っている「一風変わった侍女」の娘である。そう古くはない、三代前に王城の財務改革で叙爵した伯爵家だ。この家はどこの家とも深く繋がっておらず、例えエルガ公爵家に嫁入りさせても、皆等しくうま味はない。
そして「一風変わった侍女」の話は有名で、同じ時期に学園に通っていた貴族の間でマリアベルを知らない者はいない。エルガ公爵家に嫁入りするのが「マリアベルの娘なら」と納得してしまう何かがあるのだ。
そして亡き先代イズナリオも、マリアベルとは懇意にしていた一人である。当時を知る貴族たちから「それならば」という声が伝わるだろう。
「ただ、心配な点が一つあると王妃が。セラフィーナとマリアベルの仲に不安があると」
王がマデリナ侯爵にそう言った。セラフィーナとはアーネストの母であり、王妹である。その昔、まだセラフィーナがイズナリオの婚約者であったころ、イズナリオと懇意にするマリアベルに苦言を呈したことがある。
しかし、この頃学園の者は大抵マリアベルに一目置いており、イズナリオもその枠を飛び越える仲ではなかった。当時からマリアベルを気に入り、今も侍女にしている王妃には、だからこそセラフィーナが懸念点に見えると言う。
「ふむ…用心はしておきましょう。ただ、あのお方はアーネスト様を産んでからずっと、別邸に引っ込んでおります。今更アーネスト様の婚姻に口を出すこともないでしょう」
マデリナ侯爵から見ても、セラフィーナは後継争いに無関心であった。もう少し王妹としての権力を誇示し、アーネストの後ろに立ってくれれば状況も落ち着くのではないかと思ったものだ。だがそれをすることもなく、ただ状況を静観し別邸で過ごしている。
こんなやり取りがあって、ルルアが栄光たるエルガ公爵家の花嫁に選ばれた。
ここに当事者であるアーネストとルルアの意思の介入はどこにもない。全て王家と、後援するマデリナ侯爵が決めた結婚だ。
もしこの結婚話を無くせるのであれば、アーネストが強く拒否した時だけだ。ルルアには拒否権はない。そして意外にも、「一風変わった侍女」であるマリアベルにも拒否権はなかったのだ。
***
隣国との関係は日に日に悪化している。燃料資源の採掘とその輸出が頼りだった隣国が、この十年でずいぶん採掘量を減らし、近隣諸国へ恫喝とも言える要求をしている。相手が怒りを表したらそれを逆手に取って宣戦布告し、開戦しようと言う腹だろう。西の大国を味方に付けたので怖いものなしだ。
その危うげな近隣諸国との情勢を王は立ち回らなくてはならない。しかし王をサポートする王太子のルシアンも優秀だったため、どうにか戦争にはならず隣国を抑え込んでいる。
アーネストは騎士団で第二部隊の副部隊長をしている。第二部隊は王太子直下となり、同級生でもあるルシアンとは懇意であった。
日を追うに連れ隣国の動きは活発になる。第二部隊に国境近くの魔獣討伐という名目で、隣国の動きを探る任務が下りた。指揮官はルシアン、実行部隊のリーダーはアーネストだ。それがまさかアーネストの結婚式当日に命を下すことになり、さすがのルシアンも頭を下げた。
「手続きだけ進め、式は延期としましたので。この状況であれば仕方ありません」
「本当にすまない」
二人は王族と臣下という関係だけではない。ルシアンはアーネストに詫びた。
そう、結婚式は延期だったはずなのだ。確かにアーネストがそう命じ伝達させたはずが、何故アーネスト不在の結婚式が行われたかと言うと、マデリナ侯爵家令嬢・ローラが一枚嚙んでいる。
ローラはアーネストの幼馴染である。マデリナ侯爵はイズナリオに付いてから、たびたびローラを連れて公爵家に来るようになった。しかし親族による争いと、厳しい後継者教育のため、アーネストには同年代の子供と親しくする時間などなかった。だけどそれはアーネストの認識で、ローラとは違っていた。ローラは自分こそがアーネストに一番近い存在だと思っていた。
エルガ公爵夫人のセラフィーナは別邸から戻らず、本邸は女主人不在であった。たびたび遊びに来ていたローラは、本邸の上級使用人たちと徐々に仲を深めていった。そこに何か策略があったわけではない。ローラはアーネストに好意を持っていたし、置かれた状況を可哀そうだと思っている。手の回らぬ屋敷のことにあれこれ口を出したり、侯爵家の力で便宜を図ったのは親切心からだった。
デビュタントの時、アーネストにエスコートされたローラは、自分こそがアーネストの妻になると思っていた。その頃はマデリナ侯爵もそれを選択肢の一つとして考えていたし、エルガ公爵家の使用人たちも、いい関係を築いているローラが嫁入りしてくれるのを望んでいた。
だが、アーネストの花嫁に選ばれたのは、何の名誉も持たぬ伯爵家の娘である。父であるマデリナ侯爵の話しぶりから、そうせざるを得ない状況も理解できる。しかしローラは納得がいかなかった。
アーネストの結婚式の頃には、すっかりエルガ公爵家で女主人のように振舞っていたローラは結婚式中止の報を受けた。何かあればローラに報告するのが、エルガ公爵家の使用人たちの中で当たり前になっていたのだ。
アーネストの手紙によると、これから半年は戻ることはないらしい。それを知ったローラの中で、ふと意地悪心が湧いたのだ。一人だけの結婚式になったら、それはそれは残念だろう、と。
実行したとして何かの行き違いだと言えばそれで済むんじゃないか。相手は名も知らぬ伯爵家の娘なのだ、文句も言えないだろう。
ローラが侯爵家の名を持ち出して式を進めたことを知られたところで、後ろ盾になった侯爵家に恩もあるだろう。何より、自分とアーネストの仲なので許してもらえると思っていた。
そうしてローラのただの出来心で、ルルア一人だけの見世物のような結婚式が実施されたのだ。
心で、ルルア一人だけの見世物のような結婚式が実施されたのだ。




