29◆森での住まい
「魔女の家から独立?森に通う?だったら家を建てたらいいじゃないの」
セラフィーナの鶴の一声で魔女の家の奥、休憩所も通り過ぎた場所に建築が始まってしまった。あの日、魔女の家に戻ったアーネストは、セラフィーナにルルアとのことはどうするのかと聞かれた。ルルアに公爵邸へ戻ってもらうつもりがないことと、ルルアが魔女の家から独立を考えているということを話し、今後の事は二人で話し合うつもりだと言ったのだが、セラフィーナの行動は早かった。
「先の戦争で負傷した当主の療養のための屋敷を建設するんです。そしてその療養先に勤めているのがルルア。何の問題もないでしょう?今後戦うのが難しいアーネストは軍を除隊となるでしょう。王都で名誉職など用意されるかもしれないけど、傷の療養を名目にエルガ領に引っ込みなさいな」
セラフィーナは公爵家の妻であるルルアは死んだままにしておきながら、二人が暮らす状況を即座に整えた。これはアーネストにもルルアにもできない芸当である。そんなわけで、屋敷が完成したらルルアはそちらに引越しをすることになったのだ。
「あはは、本当にお隣さんになるね」
「今後もよろしくお願いいたしますわ、魔女様」
独立した後も魔女のよき隣人に、と思っていたルルアだが、本当にこの森で魔女の家の近くで暮らせるなど思ってもいなかった。これは嬉しい誤算だ。
アーネストが無事にエルガ領に帰還したことを、セラフィーナはルシアンへ報告した。同時期に戦場付近の村で療養をしていた部下を迎えに行った者から、アーネストが無事であり、村から出立したとの連絡も入っていた。ルシアンから王都に来るよう命令が下るかと思いきや、そのままエルガ領で療養せよとの手紙が来た。状況が落ち着けば王太子自らアーネストに会いに来るらしい。アーネストへの叙勲は本人不在で行われる。
アーネストはやはり、ここまで馬で駆けて来たのは無茶だったようで、しばらくはベッドの住人になってしまった。助けてもらった村での治療は応急処置程度のもので、処置が遅くなったため右目は元には戻らないとのことだった。切断された指先は腐る前にアーネストが自分で焼いた。そんなボロボロな体をメンテナンスするのは、公爵邸で腕利きの医者に診てもらう必要がある。アーネストが森に通えるようになるのと、屋敷ができるのとではどちらが早いのか、と言ったところである。
アーネストが公爵邸で療養する間は、ルルアがそちらにお見舞いに行くことになった。久々の公爵邸は相変わらず見事であった。だけど調度品などがセラフィーナの好みの物に替えてあったりと、以前のままではない。
アーネストはルルアと一緒に庭園を歩いた。こんな穏やかな気持ちでこの庭を歩くのも初めての事である。
「あちらが私のお墓がある方ですわね」
「…行くのか?」
「どうなっているのか見てみたいですわ」
アーネストにしてみたら苦い思い出の場所ではあるが、張本人のルルアが見たがっているのだから、拒否をするつもりはない。しかし、自分の墓など見たがるものだろうかとは思う。
ルルアの墓は花が植えられ、美しく保たれていた。セラフィーナの計らいである。
「まあ、とても綺麗ですわ…」
「若奥様!」
バケツが落ちた大きな音と共に、自分を若奥様と呼ぶ声がする。ルルアは驚いて振り返っると、そこに居たのはずっと公爵邸で働く庭師であった。
「生きておられた…」
ルルアは思い出す。あの嵐の夜に驚かせてしまった人がいた。腰を抜かしていた庭師だ。
「そ、その説は大変申し訳ございませんでした!その、わたくしも必死で…あの、言い訳になりませんよね、その後は風邪など…」
「生きておられた…ようございました。若奥様があんな風に死んでしまっては、ならんのです」
庭師はたまらず嗚咽を上げる。エルガ公爵家に嫁入りしてきた若奥様が、良い扱いを受けていないのは知っていた。あの陰惨な死は使用人たちを恐怖に突き落とした。きっと何も知らずに嫁入りしてきた若奥様が、なんと酷い事か。庭師はそう思っていた。
「ご心配を、お掛けしましたのね。ありがとうございます」
ルルアにそう声を掛けられ、庭師は首を振る。その姿を見て、ルルアは思った。
わたくしはきっと、完全に透明だったわけではないのですね。
アーネストがどういう気持ちでルルアを窓と言ったのかは、まだ聞いていない。それは今後、どこかでゆっくり聞いてみるつもりだ。だけど、庭師も、学校で仲良くしてくれた二人も、自分の人生の景色の一部程度にはルルアが映っていたかもしれない。
「ここは、お前が手入れをしているのか?」
「はい、大奥様のお言いつけで」
「そうか。訳あってルルアは死んだことになっている。引き続き頼んだ」
「はい、お任せください」
「だが、今でもルルアは私の妻だ」
「そうですか…坊ちゃんの…はい、誰にも言いますまい」
「頼む」
墓から立ち去る二人を庭師はじっと見送っていた。アーネストの足は今も引き摺るような歩き方だ。その速さに合わせてルルアも歩く。その二人はかつて見たことのない二人であった。アーネストがあんな微笑みを見せているのも、いつも委縮していたルルアが穏やかなのも、庭師は初めて目にした。庭師は単純な性格なので、きっとあの二人はとても良い夫婦なのだろうと思った。そして庭師は落としてしまったバケツを拾い、ルルアの墓に向かう。今日の手入れをするために。
***
森の屋敷の建築は近隣から大工が集められ急ピッチで進められていた。森の一画を宅地に整備するところからであるし、資材を搬入するのも森の奥なので手間がかかる。しかしそこはエルガ公爵家であるので、問題があっても金に糸目を付けないことでクリアした。
この工事が始まって喜んでいるのは、実は魔女である。何故なら菓子を大量に作っても差し入れ先があるからだ。
「魔塔に居た頃は人がたくさんいたでしょう?いくら作っても作りすぎるってことはなかったのよ。置いておけば誰かが勝手に食べてくれるからね。だけどここじゃそういうわけにはいかないんだよ。たくさん作ると言ってもセラフィーナ姫が騎士を連れてくる時くらいかしら」
大工たちはどうも、甘い菓子よりもしょっぱい菓子の方が好きなようで、あまりそっちのレシピを作って無かった魔女は最近新作の開発に忙しい。塩気のあるチーズのクッキーや、野菜やベーコンを入れたケーキなど、出てきたことのない菓子がお茶の時間に出るようになった。
「私は干しブドウのケーキとかの方が好きだけど」
「干しブドウのクッキーならあるよ」
「いただくわ」
魔女の家にお茶をしに来たセラフィーナがそんな事を言う。頻繁に前公爵夫人が進捗確認に来るので大工たちも手を抜けない。そんな緊張感もあって順調に、予定よりも早く屋敷は完成してしまった。工期が短縮したことで貰える賃金が減るかと思いきや、エルガ公爵家から特別ボーナスが出たので大工たちは大いに喜んだ。大工が解散してしまい残念がっていた魔女であるが、今度は屋敷の使用人や警備の騎士たちがやってきたので、またせっせと菓子を作っている。
そして屋敷が整うと、まだ早いと言われているのにアーネストはすぐにやって来て、そちらで暮らすようになってしまった。公爵家がアーネストのメインの住まいで、時々森にやってくるものだと思ったルルアも驚いている。
「今の私でも、休憩所の管理人はできると思う。教えて欲しい」
「まあ…では、寄せ植えのお手伝いをしていただけますか?」
そんな具合だ。その状況をセラフィーナは「想定内よ」と言っているらしい。
セラフィーナはこのまま「当主療養中のため代理を続行」の路線で行く気だ。戦場から帰って来たばかりのアーネストに無理をさせたくない気持ちもあるが、当主代理の仕事が面白いというのもある。力を誇示して兄である国王を押さえつけるのは愉快であるのだ。アーネストが当主だとエルガ公爵家を良いように使われかねない。せめてルシアンの治世になるまではこのままでいいのではないかと思っている。




