26◆待つ人々
王家の封蝋の手紙は王太子のルシアンからであった。セラフィーナはその中身を読んで難しい顔をする。
「…アーネストが戦場から戻らないそうよ」
「…なんてこと…」
アランもそれ以上の言葉を告げずにいた。下手に慰めを言えることではない。
「このことはルルア嬢には」
「言う必要ないわ。余計な心配をさせるだけよ」
「左様ですね」
アーネストとルルアの関係は何と表現していいかわからぬものだが、戦場から帰らないと言って「はいそうですか」で済む間柄ではない。ならば決定的な知らせがあるまでは何も言うまいとセラフィーナは思った。
「アラン、お茶を用意させて。そして少し一人にしてちょうだい」
「かしこまりました」
アランはすぐにお茶の手配をし、退出する。セラフィーナは落ち込んでいる時の姿を人には見せたくないのだ。それをよくわかっている。きっと部屋を出てくれば公爵家の当主代理として毅然と対応するのだろう。だけど今部屋の中にいるのは、戦場から息子が帰るのを待っているただの母親だ。さぞ心が乱れているだろう。
アランはため息を吐いて、窓の外を見る。今日は晴れやかで気持ちのいい日だ。雨じゃなくてよかったかもしれない、それだともっと気持ちが沈み込んでいたかもしれない。そんなことを思いながら自分の居るべき事務室へ向かう。そしてその道すがら、陽が沈む頃まではセラフィーナをそっとしておくように使用人たちに申し伝えた。
***
「エルガ公爵からまだご連絡はないのですか?」
「ええ、きっと戦争の後処理で忙しくしているのでしょう。アーネストは責任者でしたからね」
戦争が終結し、数か月。アーネストからの手紙も途切れて随分経った。ルルアがセラフィーナにふと聞いた。確かに三年続いた戦争の後始末は色々あるのだろう。セラフィーナに聞いた所、現在アーネストがどこで働いているかもわからないので、手紙を送ることはできないのだという。それにはルルアも困ってしまった。アーネストに書いた手紙がどんどん溜まっていくのだ。
ルルアは相変わらず魔女の家で暮らしているが、翻訳の仕事も本格的にするようになり、そろそろ居候から隣人になろうかと考えていた。生活の仕方は魔女に教わり、パンも美味しく焼けるようになった。ルルアが魔女の家を出ようと思っている話をすると「好きにしたらいい」と魔女は笑っていた。だけど、この家を出るにしてもアーネストが帰って来てからだと思っている。きっと、ここを訪ねてくるだろうから。
「わたくし、ギルドに納品に行ってまいりますね。色々見て来るので帰りは遅いかもしれません」
「行っておいで、気を付けて」
ルルアが家を出るのに黒猫も付いていく。慣れた道を歩き森を抜け、ギルドに向かう道すがら住宅斡旋の店を覗き見る。空き家や空き部屋の情報が張り出してあるのだ。
(わたくしの収入で借りられそうなのは、集合住宅の一室ですわね)
自分の部屋にキッチンがあるタイプは値段がぐんと上がるので、共同で使うところになるだろう。ルルアは魔女と暮らす間に、生活に関するお金のことについても考えられるようになっていた。ルルアは優秀な伯爵令嬢にも公爵夫人にもなれなかったが、自分の身の丈の生活を回すことは十分できる。
「おや、ルルアちゃん。今日も黒猫と一緒だね!これからギルド行くの?珍しい果物が入ったんだ、よかったら帰りに寄ってよ」
「あら、ごきげんよう。是非伺いますわ」
生鮮食材を扱う店のおかみが通りかかってルルアに声を掛けた。黒猫もそちらに顔を向ける。このおかみは値札の仕事を請け負っているのでよく知る仲だ。ここで暮らす間にルルアの「透明である」という意識も薄らいできている。皆、自分を見ている気がするのだ。生活するのもままならなかった、取るに足らないルルアを見守っていてくれたように思う。
魔女も、黒猫も、町の人も、公爵家からのお客様も。
だけど、一番最初にそうやって自分を見ていたのはアーネストだったのでは、とルルアは思っている。だけどそのことはアーネストへの手紙に綴ったことはない。アーネストが訪ねてきたら言ってみようと思っている。
ギルドに翻訳した文書を納品して、新しい仕事をチェックする。最初に依頼を受けた件の依頼人から定期的に仕事が入るし、メニュー書き諸々は突発で来るのだが、仕事の伝手は他にもあった方がいいだろう。そう思ってルルアは自分にできそうな仕事を毎度見ているのだ。その様子を見てギルドの女性職員が声を掛ける。
「ティトリーの家から独立するって本当なの?」
「あ、はい。すぐにではなくて、いずれはですが」
「いい人できた、わけじゃないよね。そんなの見たこと無いもんね」
「え?」
「ルルアが一人暮らしとか心配なんだけど」
「あらわたくし、これでも家事は鍛えられているんですのよ」
「うーん、そういうことじゃないのよねぇ」
ルルアは最初にギルドに来た時はあまり存在感のない子であった。いい所の娘さんだとはすぐにわかるが、皆「ティトリーのお使いの子」としか思っていなかった。それが翻訳の仕事を受けるようになった頃あたりから、ルルアという子が解って来たような気がする。仕事を通してルルアという人となりが知れたのと、依頼をこなしていくうちにそれが彼女の自信となったのだろう。品が良くて気が利いて、優しいお嬢さんだ。そして以前は肩の辺りまででぱっつりと切っていた髪は背中まで伸び、それがよく似合っていた。
「おかしなのに上がり込まれないか心配なのよ」
「はあ、戸締りのお話でしょうか?」
ルルアの反応に女性職員はため息を吐く。
「まあいいわ。もし一人暮らしをするなら相談して。私がいい所紹介するから」
「あら、いいのですか?でもお値段は高いと厳しいんですの」
「大丈夫大丈夫、うちの大事な発注先におかしなの紹介しません」
「ありがとうございます!」
ルルアは礼を言うとギルドを後にした。こうやって相談に乗ってくれる相手ができたことも以前とは違う所だ。ルルアはその足で雑貨店に向かい、便せんを見繕う。ここは隣国と接していて、外国製のものが入って来る。散々迷ってルルアは二種類の便せんセットを購入した。そして今度は生鮮食品の店に行く。先ほどおかみにおすすめされたフルーツを見るためだ。
「ニャ」
「あら、黒猫さんはこの小魚が食べたいんですのね?ではこれも買いましょう」
ルルアはフルーツと量り売りの干した小魚を一袋買い、今日の買い物は終わりとした。もう陽がだいぶ傾いている。
「真っ暗になる前に帰りましょう」
「ニャ」
おっとりしたルルアが町でも森の夜道でも安全に歩けるのは、この黒猫が守っているからだったりする。魔女の猫は受けた恩を忘れないのである。そしてルルアはテクテクと夕方の森へ向かって歩いた。森に入る頃には空は赤くなる。森の中は夜が来るのが早いので、陰も色濃くなっていく。だけどルルアは黒猫と一緒に平気で歩くのだ。
いつもは静かな森の中で、今日だけは違っていた。どこからか蹄の音が聞こえてくる。セラフィーナの馬車かと思ったが、車輪の音がない。ルルアがきょろきょろとその音の出先を探しているうちにそれはどんどん近づいてくる。
「きゃっ」
その音は、ルルアの目の前に現れた。けもの道を通ってこの広い道に馬が出て来たのだ。馬は少し回って速度を落とし、その場で留まった。馬上には全身をフードで覆った男がいる。黒猫が馬と男に向かって毛を逆立てて威嚇をする。それをルルアはそっと撫で落ち着かせた。
「大丈夫、大丈夫ですよ黒猫さん。怖い人じゃありません」
そう言って撫でるルルアに、黒猫の毛はだんだん萎んでいく。そしてルルアは馬上の男に向かって、懐かしいカーテシーをした。
「おかえりなさいませ、エルガ公爵」




