25◆戦場にて
本日、三話更新です。
アーネストは前線の活動拠点で手紙を受け取った。一通は母から、一通は死んだことになっている妻から。現在、代理当主をしているセラフィーナからはエルガ公爵領の報告が書かれていた。先代当主の管轄する所を触っていなかったというだけで、それ以外は独自に活動をしていた彼女である。手腕に何の心配もない。
もう一通は打って変わった和やかな話題だ。最近、セラフィーナが魔女の元に通っているという。ルルアが公爵家を離れてから接する機会が増えたというのは面白い話だ。その手紙を読んでる間だけは、アーネストは穏やかな森の中にいるような気になれた。手紙に書いてある、小川のほとりに作った休憩所がどんなものか想像も付かないが、見てみたいと思う。
『お帰りになった際には、わたくしがご案内差し上げますので楽しみにしてください』
その一文を読み、一旦手紙から目を離す。そしてじっと噛みしめる。一度遠くなった妻の声は、今でははっきりと耳に残っている。狂い出しそうになるような苛烈な戦いもある。しかし、最後の一線をその声が繋ぎ止めていた。
***
隣国との戦いの終止符は戦争の勝敗が決め手ではなかった。隣国を支援していた西の大国が、長年いがみ合っていた北の大国と突如として友好関係を結んだのだ。それによって隣国への戦争支援は西の大国の政治路線から外れ、補給線が絶たれた。そうなった時点で隣国は白旗を上げた。なのでこの国が勝ったことには間違いない。運命の魔女の魔法は願いを叶えたことになる。この先は政治での戦いだ。
終戦の伝令が来る直前、アーネストは部下と二人で自軍の部隊から外れていた。敵軍が自軍の後方部隊を切り離しに来ることは予測できていた。相手の手の内が読めているのであれば、その裏をかけばいいだけである。巻き戻す前のアーネストは、その襲撃に遭うであろう後方部隊をただの囮とし、戦闘レベルの低いものを集めた。しかし今回のアーネストの作戦はそうではない。数ある作戦の中から、奇襲とも言える策を選んだ。勝利という目的は違わずに、そして弱きを切り捨てるのではなく、全員で戦い抜けるような策だ。
そしてその作戦は成功した。が、アーネストの部下の一人が敵の兵士との打ち合いになった。もう敵陣は制圧したので勝敗は明白だが、死に物狂いになった敵の兵士は猛攻を続けた。
「早く、奥さんのところに帰れたらいいですね」
手紙を読んでいたアーネストに声を掛けた騎士だった。誰からの手紙かと聞かれ、アーネストは「妻からだ」と答え、言われた言葉だ。交流などこれだけのことだった。だけどアーネストはその騎士に向けて馬を走らせる。馬がやられ、その騎士は地面に落とされたところだ。敵の馬に踏みつけられようとした瞬間、アーネストの剣が敵の兵士の首を貫いた。
「た、隊長…!」
「…戻るぞ」
しかし、アーネストはすぐに異変を察知した。随分味方の隊から離された。そしてこちらを狙う気配を感じる。死に物狂いなのは今倒した兵士だけではなかったのだ。
きっと、巻き戻る前の彼であれば、ルルアが死んだと思っていた彼であれば、この騎士を助けに来ることなどなかった。彼の命を一つ救ったところで、敵陣はもう押さえており、勝敗は変わらない。
「隊長!逃げてください!隊長一人なら行けます!どうか!」
囲まれたことに気付いた騎士が声を抑え叫ぶ。
「奥さんのところに…戻ってください!」
それは、この戦場でアーネストが一番望んでいたことだ。今すぐにでもあの森へ帰りたいと思っている。しかし、彼を置いて行った自分は真っ直ぐにルルアに会えるだろうか。それは、ルルアに会わせたい自分だろうか。
「…そうだな、帰ろう。私も、お前も」
アーネストの心は、初めて燃えるような思いに満ちた。敵は多い。手負いの者を庇いながら、一体自分はどれだけできるかもわからなかった。勝敗の見えぬ戦いに挑むのも、また初めてだった。
正確な敵の数も解らないまま、やみくもに剣を振るっていた。アーネストにしてはあまりにも無様な戦い方だ。しかし長年培われた戦いの勘で、そんな戦い方でも致命的な一撃は食らわずに済んでいた。手負いの騎士も何とか応戦している。しかし、体力にも限界がある。
あと三人、そこまで来た。敵は逃亡する気はないらしい。もはやアーネストの首を持って帰らねば気が済まないのだろう。それだけのことをやってきた自覚はある。
「ぐあっ」
騎士が剣を避けられずに倒れ込んだ。血が広ってはいないが、起き上がらない。体力の限界が来たようだ。アーネストの息も上がる。味方が気付いてこちらに来る気配もない。
帰るのだ、必ず。
「うおおおおおおお!」
アーネストは三人を相手に最後の力で攻め込んだ。剣を避けきることはできない。切っ先が瞼を切り血が視界を奪う。アーネストは気配だけ読み攻撃を避け、剣を振るう。そして三人をようやく倒した時、アーネストは左指を数本無くしていた。瞼の傷はどの程度かわからないが、片目を開くことができなかった。
「…立てるか、まだ死ぬな」
アーネストは騎士に息があるのを確認し、肩を担ぎ歩き出す。味方の軍がいる方向はわかっている。しかし帰り着くまでに再び敵に見つかれば今度こそ終わりだろう。
「帰るんだ、必ず」
引き摺るような足取りでアーネストは一歩ずつ進む。満身創痍で血が流れていても、体力の限界が近くても、アーネストは足を止めなかった。どこまで帰れるかわからずとも、少しでもあの森に近づいていきたかった。その願いだけで動いている。
そして、戦争が終わる。巻き戻す前のようなアーネストの華々しい勝利ではなく、政治都合での勝利であった。
***
王太子のルシアンは王により勝利の宣言がされたというのに、浮かない顔をしていた。
「アーネストはまだ戻らないままなのか」
「はい。最後の防衛戦の時に隊から離れ、そこからまだ…」
「そうか…」
ルシアンは過酷な戦いを強いてしまった友人のことを思い、沈む。アーネストにこの戦争で頼ったことは致し方ないことではあった。それほどまでに彼の才能は稀有であったのだ。だからこそ、彼が死ぬわけがないとどこかで思っていた。
ルシアンはこの戦争での全面的な指揮官である。当然ながらこの勝利は彼の手柄となり、彼の治世になった時、大いに有利になるだろう。しかしその勝利はアーネスト無しでは成し得なかったことは理解している。
思えば、彼の結婚式の日に呼びつけ、妻が亡くなったという時にすらすぐに戻るよう命じた。
「彼を使い潰したみたいじゃないか…」
事実、そうなのだろう。「国のため」という大義名分で彼の才能を、人生を削り続けてきたのだ。無論、国の一大事という局面で、大小あれど皆思うままにはいれなかった。だけどアーネストには「彼にしかできない」と大きな負担を強いたと思っている。それでも、とルシアンは思う。もし、アーネストが帰ってきて、同じような局面がやってきたら。その時はまた同じことをするのではないか。アーネストという才能が目の前にあって、頼らずにいれるのだろうか。
「私は、色々考え直さなくてはいけないな」
国の問題を個人頼りにしていいはずがないのだ。組織として戦略を整え、戦えるようにしなくてはならない。そして願わくば、それを使わずにいれるよう立ち回らなくてはならないのだ。
「私はきっと、そういう王になろう。だから、戻れ、アーネスト…」
運命の魔女の魔法は成就した。操作されていた運命はようやく自由にうねり始める。その不確かな運命に晒されたこの国でルシアンは決意する。それは古い友人からもたらされたものだった。




