23◆運命の輪の逆回転
マリアベルは今までの人生で努力をし続けた。そしてその努力が正しく報われ、手にしたものもたくさんある。しかし、ルルアの結婚話の時からその「努力」が通用しなくなってきていた。
マリアベルはエルガ公爵家へルルアを嫁がせる話を光栄など思わなかった。昔にイズナリオから厳しい家柄なのは聞いている。マリアベルは平民育ちなので今でも自由に振舞っており、ルルアにも自由な環境で暮らして欲しいとうるさい事は何も言ってこなかった。そんな娘がエルガ公爵家に嫁入りしたって息苦しいに決まっている。
なのでマリアベルは反対したのだ。ただの拒否ではない。代案を複数立て、そのために必要な実務も自分が担うと提案した。マリアベル自身もいい案ができたと手ごたえを感じていた。だが、案を受け取った王妃は「検討します」と言っただけでそこから回答はなく、結局はルルアとエルガ公爵との見合いの席がセッティングされてしまった。
王妃の決定したことをマリアベルが拒否するわけにはいかない。いくら「一風変わった侍女」であってもそれは弁えている。夫に不安を訴えていても「いい話じゃないか」としか言わない。誰も正しく自分の心を受け取らない。マリアベルは「なんだかおかしい」と思った。
エルガ公爵からの断りだけが嫁入りしないで済む唯一の方法だったが、エルガ公爵は受け入れた。それも婚約期間などほとんどなく、あっという間に。そこにマリアベルが口や手を出せる隙間などなかった。
そして行われたのがルルア一人の結婚式だ。何故、自分の娘がこんな目に遭っているのか。何故、この状況に声を上げる者がいないのか。絶対におかしい、間違っている。どうしてこれがまかり通るのか。それをマリアベルは王妃に訴えた。しかし王妃は困ったような顔をして「エルガ公爵家に申し入れをするわ」と言っただけだった。
自分の言葉が通じている気がしない。マリアベルの心は焦る。
ある休みの日、マリアベルはルルアの部屋に入った。嫁入り後もそのままにしてある。自分が送った誕生日プレゼントは順番に並べられている。本当にいい子だとマリアベルは微笑んだ。
その中に不思議なものを見つける。同じぬいぐるみが二つ並んでいるのだ。リボンの違いで区別しているが、なんだって同じものを二つ持っているんだろう。
マリアベルはふと、記憶を辿る。このぬいぐるみを買った記憶が、二つある。忙しさを縫って夫とは定期的にデートするのは結婚する前からの決め事だった。ルルアへの誕生日プレゼントを買うのは毎回そのデートの時だ。
『これがいいんじゃないか?僕たちがいない間寂しくないように』
『見て見て、これすごく可愛い!大きくて抱っこしがいがあっていいんじゃない?』
マリアベルはそのぬいぐるみの前で動けなかった。愛情を正しく伝え、お互いの自由も尊重し、楽しい家族であったはずだ。でもそれなら、同じものを贈ってしまったらルルアから可愛い文句が来るものではないか。
いいや、ルルアが自分たちに何かを訴えてくることがあっただろうか。自分の婚約については夫に希望を伝えていた。それはマリアベルも夫から聞いて、その方向で考えていた。だけど結婚したのはエルガ公爵だ。
「なんだかおかしい」とやはりマリアベルは思った。正しく回っていた運命の輪が逆回転を始めた如く、不安で心臓が高鳴る。
結婚式の日、ルルアと話をした。だけどその前は?最近は家に帰ってもやることのタスクは積み重なり、必要最低限の話しかしていなかった。ではいつ、ルルアとちゃんと向き合って話をした?
そこでマリアベルは思考するのを止めた。怖いものが見えそうだったから。
ルルアと向き合って話をしたのは遠い昔だと、ルルアが誕生日に欲しいものなど聞いたこともないと、そんな正しい家族であればしないことを自分がしていたなど、見えてはならなかった。今まで努力をしてそれが正しく実を結んできたマリアベルは、間違うことができなかった。
それからしばらくして、ルルアが死んだと知らせを受けた。あれだけ有能な侍女であったマリアベルは、何もできなくなってしまった。
***
目の前には自分が可哀想だと思い続けていたセラフィーナがいる。そのセラフィーナから見ても、自分は憐れに見えるのか。マリアベルは初めて抱く感情に困惑している。どんなに辛くても苦しくても、人は優しくあるべきだ、そう信じて来た。
マリアベルはいつか、セラフィーナと二人で話す機会が持てたら、イズナリオのことを話したいと思っていた。イズナリオはセラフィーナと結婚するためにエルガ公爵家を継ごうと思っていたんだと。誤解をしたまま素直になれないのは悲しいから、真実を教えてあげたかった。
しかし今、そんな言葉は出て来なかった。自分を憐れんだセラフィーナに、誰が言ってやるものか。
「無理はなさらないように。王妃も状況はわかっているでしょうにね」
「ええ…ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ、いつまでも家の中に居ても仕方ないですものね」
「そう」
ルルアの死は自殺とされている。自殺するほど追い詰めた婚家に非があるのか、自殺をするような娘を嫁入りさせた方に非があるのか、家格が釣り合っていたのなら賠償の焦点となったであろう。しかしこの結婚は王家主導で行われたものであり、いらぬ騒ぎを起こすことはできない。ここでルルアの死について、エルガ公爵家に文句を入れることはできないのだ。そしてマリアベルもエルガ公爵家で穏やかに暮らせないとはわかっていた。だから嫁入りするのを回避しようと動いていたのだ。
惨めだ。自分が可哀想だと思っていた相手に憐れまれることが、こんなに惨めなものなのか。そして惨めさは優しさを奪う。何が辛くても苦しくても、優しくあれ、だ。そんなことは余裕があるから言えたのだ。
ああ、自分がこんなことを思うなんて。マリアベルは自分を軽蔑する。真っ直ぐに前を向いて歩いてきたはずだった。今、どんな風に自分がどうやって歩いていたかも思い出せない。
「それでは、失礼いたします」
「ええ」
マリアベルは自分が可哀想に見えないように、精一杯笑って見せた。今、こんな状況の母親が笑えるわけもないのに。だけどそれがマリアベルの精一杯のプライドだった。
セラフィーナはマリアベルの背中を少し見送り、自分も帰路に着いた。そしてマリアベルのことを考える。
(お兄様もグロリアも、本当にマリアベルを玩具のように思っているのね)
王妃であるグロリアは娘が死んで間もないマリアベルを呼びつけた。きっと慰めのつもりなのだろう。自分が用意した結婚話の結果でこうなったのに、よくそんな真似ができるとセラフィーナは思う。きっとマリアベルのことは対等には見ておらず、どんな痛みを負ったかなど考えもしないのだろう。自分に有用である侍女がいつまでも塞いでいては困る、こんなところだ。
セラフィーナはマリアベルに同情はするが、ルルアの事を教えることはない。それがルルアへの賠償であるし、アーネストが帰って来た時のことを考えた打算がある。なので、王や王妃を心で非難はするが、解決策がありながら提示しない自分が一番酷いとは思う。だけど、だから何だというのか。エルガ公爵家を背負う者が一時の感傷で目的を誤ってはならない。
さて、ひとまずはセラフィーナが立て直しのために動かなくてはいけないことは済ませた。あとは上手く運用するのに注力したらいい。アーネストが帰ってくる場所は、安定した場所でなくてはならない。公爵家の馬車に乗り込んだセラフィーナは御者に指示を出す。
「魔女の家に向かってちょうだい。お茶を一杯いただきたいわ」
「畏まりました」
王都から魔女の家を通って公爵邸に戻るのは遠回りであるが、城でのバトルを終えたセラフィーナは魔女のお茶でも飲まなきゃやっていられないのである。




