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20◆思いがけぬ訪問・1

王都から西側にある隣国との戦争が始まった。エルガ領は王都から見て南東にあり、逆側にある隣国と接しているので影響は少なく、ギルドのある町も大きな変化はない。しかし領主のアーネストが出征しているので、エルガ領には不安が広がっていた。

ルルアは翻訳の仕事の手を止め、窓の外を見た。森の中は相変わらず静かで平和だ。同じ空の下でアーネストは戦っているのだと思うと、何故だか心が曇るような気がした。


(あんな静かな方が戦場にいらして、お辛くはないかしら)


立派な武人であることは知っているが、森で会ったアーネストを思い出すと、とても戦いに身を置く人には見えなかった。だけど、もしかして、戦争に行く人は皆そうなのかもしれない。本来ならばそんな場所にいるはずない人たちが集い、戦っているのかもしれない。


「…早く終わったらいいですのに」


ポツリと溢したルルアの呟きに、体を舐めていた黒猫が振り返る。


「なんでもありませんわ黒猫さん。そろそろ魔女様も戻られるかしら、お茶の準備をしておきましょう」


ルルアは立ち上がり、キッチンでやかんを火に掛ける。魔女はギルドの納品に行っているのだ。

コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。珍しいことではあるが、全くないわけじゃない。ギルドからの使いの者が緊急で薬草やポーションを求めてやってくることもある。


「はい、ただいま」


そう言いながら開いた扉の向こうには身なりの良い、老齢の男が立っていた。


「すみません、魔女様は出掛けておりますの。もうすぐ戻られますから、お待ちになりますか?」

「いえ、御用があるのはあなたにでございます」

「え?ああ、では翻訳の?もしかしてお急ぎのお仕事がございますの?」

「いや、そうでは…」

「ああ、でしたら外国語の値札かメニュー表でしょうか?新しいメニューが出るのでしょうか、それは急がないといけませんわね。ひとまず中に入ってくださいな」


ルルアは老齢の男の言葉から自分への依頼を予想する。翻訳ではなかったので、きっと今日の夜から新しいメニュー表を出したい依頼者だと早合点した。身なりがいいのできっと、町一番のホテルじゃないだろうか。


「警戒心ってものがひとかけらもないのかしら。見知らぬ人間を招き入れるなんて、あまりに不用心じゃなくて?」


老齢の男の背後から声がした。ルルアは背伸びをしてそちらを見ると、自分の親世代くらいの女性がいる。お忍びのようで目立たないドレスを着ているが、とても上等な生地だ。ルルアはその女性を見て不思議な気持ちだった。なんだか見たことがあるような気がするのだ。


「大奥様…せっかく扉を開けて顔を見せてくださったお相手に失礼ですぞ」

「何が失礼よ。義母の顔にもピンときてない嫁の方が失礼だわ」


嫁。義母。

お義母様!!!!!!!

道理で見たことがあるはずだ。結婚式で挨拶した。だけどそれっきり会ったことがなかったのでルルアはすっかり忘れていたのだ。アーネストに居場所が知れたのだから、エルガ公爵家の人間が知っていても不思議じゃない。


「あ、あああ、あのっご、ご無沙汰しておりますっ」

「そうね。入っていいかしら?」

「どうぞ!」


ルルアは二人を招き入れ、食卓テーブルに案内した。火に掛けたやかんからシュンシュンと音がする。お茶の準備を始めていてよかったとルルアは思う。

貴族の屋敷にあるような茶葉はここにはない。癖の強い野草茶を公爵家の人に出すのはどうだろう、と考えつつも、ここにはそれしかない。野草茶の中でも飲みやすいものを選んでティーポットに入れる。お茶菓子は昨日魔女が大量に作ったマドレーヌがあるので、それとクッキーを皿に載せる。

「あの、こちら、どうぞ。貴族の食べる物とは違うのですが、とても美味しいです」


ルルアに出されたお茶と茶菓子にセラフィーナは「あら」と言って笑顔を見せる。


「お菓子に免じて不用心は許しましょう。あなたも掛けなさい、ルルア」

「はい…」


ここは魔女の家であるのに、まるでセラフィーナが主人のようである。お茶に口を付けて、ほっと息を吐く様子のセラフィーナに、野草茶を気に入ってくれたと思いルルアは安心した。


「さて。あなたが死を偽装してエルガ公爵家から逃げおおせたのは聞いたわ。エルガの嫁がどういうつもりなのか、という気持ちが無いわけじゃありません。しかし、非があるとすればエルガ公爵家にあるでしょう」

「ええっと…?」

「あなたに賠償の話をしに来たのよ」

「賠償、ですか?」


賠償とはどういうことだろう。ルルアは貴族であったが裏を読むのは得意ではない。何をどうしても、エルガ公爵家が今のルルアに賠償を持ちかけて得になることが思い浮かばなかった。


「エルガ公爵家を牛耳っていたローラは追い出したわ、それに付き従っていた使用人たちも。あなたの死の偽装は美談を仕立て上げて公爵夫人に復帰しても、あなたを脅かすものはもういない。もしエルガ公爵家に戻りたくないのであれば実家に戻ってもいいわ。離婚に関する瑕疵はこちら側にあるとして手続きしましょう」

「大奥様」

「何よ」


セラフィーナの後ろで控えていたアランが声を掛ける。


「奥様は話に付いて来られておりませんよ」

「えぇ?」


セラフィーナはエルガ公爵家でイズナリオやアーネストと要点のみで話をしていたので、どうもそれが癖になっていたようだ。たしかに不躾すぎたかもしれない。しかし、打てば響くマリアベルの娘であれば、状況が呑み込めないにしろ何かしら打ち返してくるのではないか。セラフィーナはそんな風に思ったが、ルルアは考え込んで黙っている。


「あ、あの、エルガ前公爵夫人」

「なにかしら」


しばらく黙り込んでいたルルアが、意を決したようにやっと口を開いた。


「わたくしは、その、死んだままで良いのでございます。賠償だなんて、そんなことは考えたこともございませんわ。逆に、エルガ公爵家を乱してしまって、それに関してはとても申し訳ないとは少しはちょっとだけ思っておりますの」

「とてもなの、少しなのどっちよ」


つい本音が出てしまった。だけど食事も出ずに嫌がらせオンパレードの屋敷のその後を気にする人間などいるだろうか。


「…あなた、やられっぱなしで悔しくはないの?」

「え?」

「ローラにいいようにやられたんでしょう?私が目を光らせていなかったのは悪かったわ。だけど死んだことにして逃げおおせて、そんな不名誉なまま生きるなんて、私なら我慢ならないわ」


セラフィーナのその言葉に、ルルアは「おや」と思う。死んだことになっている人間に取り繕う必要などないが、その取り繕わない状態のセラフィーナがルルアの状況を「不名誉」だと言い、悪かったと詫びたのだ。もしかしてこの訪問は、貴族的な取引が目的ではないのかもしれない。相手が本音で話しているなら、そう難しいことはない。ルルアもそうすればいいだけだ。


「あの、エルガ前公爵夫人。ええっと…私は、何か政治的な理由で選ばれた花嫁だったんだろうと思っています。その内容はわかりませんが、そうでなければ、私がエルガ公爵家に嫁ぐなんてことあり得ませんから」

「それはそうね」

「…あの…正直、早かれ遅かれだったんじゃないか、って考えるんです」

「早かれ遅かれ?」


セラフィーナは奇妙な言葉に顔を顰める。


「はい。エルガ公爵家の花嫁と言えば、それはそれは名誉なものです。貴族女性の憧れです。現に前公爵夫人は王女であらせられた。それほどの者でないと誰も納得しないのです。なので、きっと屋敷の中で生き延びたとしても、次は社交界で私は殺されていたと思うのです。なぜなら、私にはそういうことを立ち回る才覚が何もないのです」


才覚が無い、という発言をなぜこんなに堂々とするのだろうとセラフィーナは思う。


「だから、早かれ遅かれ自分は死んでいただろう、ってこと?」

「はい。私にはエルガ公爵家を背負って生き抜く力はございません。それに実家に帰ったとしても、きっと両親は私が戻ってきていることも忘れてしまうと思うのです」

「それは一体どういうことなの?」

「どういうことかと申しましても…私の存在感が気薄であるというだけなのですが。お二人ともお忙しいので、些細なことを気にしていられないのかと思います」


やれやれ困ったわ、という体で言うルルアに、セラフィーナの顔は一層険しくなる。貴族の家族の中には家族的な絆ではなく、家の中の役割で動いているというものも少なくない。しかしそんな家だって出戻った娘のことを忘れはしないだろう。

なんだか、おかしな嫁である。今やっと少しだけ、セラフィーナは兄が「おかしな子爵令嬢」のマリアベルを気に入った気持ちがわかったような気がした。母親の方は依然として嫌いだが、娘の方は面白いかもしれない。

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