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18◆雪解けの兆し

「あら、お帰りなさいアーネスト」

「…お久しぶりです、母上」


屋敷に戻って来たアーネストはセラフィーナが思っていたよりも静かであった。もっと怒りを向けられると思っていたのだが。


「あなたが戻って来たのは、嫁の遺体を盗んだ犯人捜しをやめさせたことで、言いたいことがあったのでしょう?」


この母子にはお互いの近況報告などない。要件をやり取りするだけだ。なので帰って来たアーネストを労うでもなく、単刀直入に話す。


「それは、もういいのです。ルルアは生きております」

「あら…あなた知っていたの」


セラフィーナの言葉にアーネストは目を光らせる。一体母が何をどこまで関与しているのか。だが、エルガ領へ向かう時に抱えていた、目の前が真っ赤に染まる感覚は起きなかった。


「ええ、そうです。あの娘は生きてますよ。私の友人が匿っているわ」

「母上は、魔女と?」

「この短い期間でどこまで知り得たのかしら。まあ、説明が楽でいいわ。そう、魔女の元に…もしかしてあなた、魔女と娘に会ったのかしら?」

「…………」

「そうなのね」


アーネストは何も答えないのだが、セラフィーナは表情だけで答えがわかる。子供の頃とこういう時の反応は変わらない。


「アーネスト、咳は出る?」

「咳?いえ、特に喉は傷めておりません」

「……そう、よかったわ」


アーネストは毒を受けた後遺症で、体調を崩すとおかしな咳が出ていた。しかし今のアーネストは、何故そんなことを聞かれたかもわからない風である。

セラフィーナが魔女に戻してもらった時間は、まさにアーネストが毒を盛られる前であった。運命の魔女の魔法が効いていて、アーネストを完全に守ることはできなかったが、セラフィーナは使われた毒を知っている。迅速に毒に効く解毒剤を準備できたのでアーネストに後遺症は残らなかったのだ。

別邸から本邸にアーネストが移されたのは変わらない。だけど、あの辛そうな咳をするのを見ると胸が痛んでいたセラフィーナは、それがないだけで十分だった。

どこかに戻れると言われた時に、戻りたい時間は他に浮かばなかった。イズナリオとのやり直しでも、マリアベルへの対応で失敗した時でもない。あれはもう、終わった時間だ。


「エルガと嫁のことは私に任せなさい。…今まで放っておいて悪かったわ」

「母上?」

「戦争に行くのでしょう。生きて帰ってくるのですよ」


アーネストは随分久しぶりに母の言葉を聞いた気がした。いつも事務連絡以上の会話がなかったが、遠い昔、まだ母と別邸で暮らしていたことにこんな風に話していたかもしれない。


「はい。留守はよろしくお願いします」


アーネストは不思議だった。無自覚な怒りに任せてエルガ領に帰ってきたら、失ったと思ってたものが戻ってくる。死んだ妻も、母との会話も。


これは一体なんだろう?


その答えが出ることはないが、胸に広がるものはどこか暖かいような気がする。


その日アーネストはエルガ邸で一泊し、翌日屋敷を見て回った。今までいた使用人は一掃され、その昔、別邸でよく面倒を見てくれていたアランが執事となっていた。いつの日も屋敷に居たローラの姿はなかった。


「セラフィーナ様のご判断でこのように。不足はございましたか?」

「いや、私はエルガ邸がおかしいことに気付かなかった。母上に全てを任せる」

「心得ました」


セラフィーナが本邸に戻ったことで、アーネストに不満な様子がないことにアランは安心した。この不器用な親子のことはいつの日も気にかけていたのだ。


「私は領主として、この屋敷の主として失格ではなかろうか」

「何を仰います。セラフィーナ様も、僭越ながらこのわたくしめも、お支えいたします」

「私はまだそれを、信じることができない」

「ええ、それはわたくし共が、これから行動で信頼を得なくてはなりません」


その言葉にアーネストは目だけを向けて、何も告げずに屋敷を発った。


***


セラフィーナに呼びつけられたマデリナ侯爵は計りかねていた。ずっと別邸に引っ込んでいた彼女を差し置いて、好き勝手していたローラに怒りを向けるのは当然と言える。しかしなぜ今なのか。


「前公爵夫人。大変ご無沙汰しております。我が娘ローラが大変失礼を…」

「マデリナ侯爵、あなた、本当に解っていらっしゃる?そちらの娘がエルガ公爵夫人を追い詰め殺したというのに、随分と軽い謝罪ですこと」

「誤解でございます!ローラは長年エルガ公爵家に尽くして参りました!言わせていただきますが、前公爵夫人、あなたの不在を埋めるべく働いてきたことをお忘れいただいては困ります」


マデリナ侯爵の言い草に、セラフィーナは自分が舐められているのを理解した。ずっと別邸に引っ込んでいた力のない王族と見ているのだ。ルルアとアーネストの結婚を推し進めたのは王家とマデリナ侯爵だ。自分の後ろ盾に王がいるとでも思っているのだろう。


「アラン」

「は、こちらにご用意してございます」


セラフィーナの呼びかけで差し出したのは、ローラが差配していた家政が示された帳簿の写しである。長年の横領の証拠だ。そしてアーネスト不在の結婚式を実行させたこと、ルルアがエルガ公爵家にやってきてから別棟を宛がったこと、その証言が多角的に揃えられていた。

セラフィーナはそれをマデリナ侯爵に差し出した。


「エルガの男は間抜けだと見くびられていたようねぇ」


見れば言い訳のしようのないものだ。しかし、マデリナ侯爵家から見てもそれは微々たる金額に映る。便宜上花嫁に宛がった伯爵家の娘への虐めの証拠も、ローラのこれまでの貢献度を見れば許されていいとマデリナ侯爵は考えた。


「私はアーネストよりエルガ公爵家の留守を預かりました。全ての決定権は今私にあります。これは王にも正式に認められました」

「なんですと?」


今までまともに対話すらしたことのない前公爵夫人が、突然エルガ公爵家の当主代理となったのだ。アーネストを後継に推していたマデリナ侯爵には想定外の出来事だ。


「今まで視界にも入れてなかった女が出しゃばってきたと思ってらっしゃる?顔に出すぎですよ侯爵」

「いや、そういうわけでは…」

「そろそろ本題をいいかしら。そちらの謝意の話よ」


セラフィーナの声から温度が消えた。微笑みも失せたその姿は完全なる支配者のものだった。その昔は優秀だと評判の王女ではあったが、いつしかそれも聞かなくなり、エルガ公爵家に入ってからはその存在すら希薄であった。

違う、牙を隠していただけだ。

マデリナ侯爵は今更思い知る。エルガ公爵家の当主争いが終わるまで静観し、マデリナ侯爵家が失態を犯したのを逃さず潰しに掛かってきたということだ。


「お前の娘の首で許すわ」

「何を仰いますか!」

「何を?ならばお前が娘を使って公爵家の乗っ取りを企んだと、王家に申し入れた方がいいのかしら?そうなると娘の首だけじゃ済まなくなるわよ」

「そんな…!そのような!」

「わかっていないようね、「エルガの花嫁」に手を出したのがどういうことか。お前の娘が泥を塗ったのは、伯爵家ではなく、エルガ公爵家よ」


今までは間違いなくマデリナ侯爵は現在のエルガ公爵家を形作っている一員であった。しかし、セラフィーナが当主代理となった今、ただの部外者になり果てたのだ。


「王も、ご納得の上のお話でございますか」

「当主代理は王の承認の元だと言っているでしょう」

「…………なにとぞ」


そこまで言うとマデリナ侯爵は這いつくばって頭を下げた。


「娘の命は……どうか…」


マデリナ侯爵は貴族としての判断が下せる人間ではあるが、一人娘は可愛かった。アーネストを慕ってローラがエルガ公爵家に通い詰めるのを止めないほどに。

その姿をセラフィーナは冷たく見下ろす。そしてアランと目を合わせニヤリと笑った。別に娘の首なんてもらっても仕方ない。ここから修道院行きあたりまで軽くして、マデリナ侯爵に恩を着せるつもりだ。マデリナ侯爵の首根っこを掴んで、身が粉になるまでエルガ公爵家のために働いてもらうのだ。


「まあ、何をするの侯爵。お立ちなさいな、お前の言い分を聞くとしましょう」

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