17◆ルルアとアーネスト
本日、二話更新です。
ルルアとアーネストは、魔女の家で食卓テーブルに向かい合って座っている。疲れ切っている馬は、もう少し休んでから黒猫が折を見て家まで案内するという。
魔女は作っていた朝ごはんを三人分に分けて、少し足りないかと思い果物を切る。煮だした野草茶を魔女がサーブする時まで二人は全く言葉を交わしていない。
「なんか話すことがあるんじゃないのかい?」
「ええっと…何を言っていいかわからなくて…」
「そう?じゃあまず食べようか。公爵様も、お口に合うかどうかはわからないけどどうぞ。礼儀がなっていないのは魔女だから勘弁しておくれ」
「…魔女か」
ルルアが生きていることに魔女の関与があったのなら逆に納得がいく。アーネストはカップを手に取り野草茶に口を付けた。美味しいかどうかはわからない。アーネストはそういう基準を持って食物を口にしないのだ。アーネストが食事を始めたのを見て、ルルアも続く。今日は昨日ルルアが焼いたちょっとすっぱいパンに、魔女が焼いたオムレツとベーコン。それとこの時期森の奥に成っている果物。ミルクのスープ。並んでいるのを見るだけで幸せになる朝食だ。
「ふふ、いただきます」
笑顔で食事を始めるルルアを、アーネストはまだ信じられない気持ちで見ていた。失ったと思っていたものが目の前にいることに、まだ実感が沸かないでいる。
「ほら、冷める前に食べてちょうだい」
「あ、ああ」
魔女に促されてアーネストの食事は進む。そうしているうちに馬は黒猫に家の外まで案内されて、ゆっくり草を食んでいる。猫用の扉から入って来た黒猫がうみゃうみゃと魔女に何かを訴えた。
「随分頑張って走ってきたんだね、甘い果物をあげようね」
魔女が立ち上がり果物を数個手に取ると外に出た。
「魔女は、動物の言葉がわかるのか」
「いえ、黒猫さんが魔女様に通じるように話しているらしいですわ」
「…そうなのか」
アーネストにはただの猫の鳴き声にしか聞こえなかった。不思議なことがあるものだと思う。
「あの、エルガ公爵…。その、私が公爵邸を出て行ったのは…その」
「出て行ったのか」
「あの…はい…」
ルルアは決死の覚悟で口を開いたのだが、アーネストの声のトーンがまるで変わらないのが不思議であった。
「よかった」
「え?」
「あの家は狂っていただろう。私はずっとそれに気付かなかった。なのにそんな家にあなたを置いて一人にした。すまなかった。逃げて生きていたなら、よかった」
アーネストの言葉にルルアはポカンと止まってしまった。アーネストからそんな言葉がやってくるとは思いもよらなかったのだ。死んだことにして逃げおおせるのはとてもエキサイティングであったが、褒められるようなことじゃないのは理解している。しかも相手は逃げられた張本人である。なのに「よかった」と言われるとは。
「狂っているかは、わかりません。他所のおうちのことなので…」
「そうか」
アーネストはルルアの死の連絡を受けて屋敷に戻った時のことを思い出す。自分が帰って来たことには驚いているが、皆公爵夫人の死については平然としていた。いつものようにローラが居て、何事もなかったように「あら、どうしたの?」と声を掛けてきたことに、誰も違和感を持っていない。そして聞けばルルアを公爵家の墓地ではなく、公爵家の庭の奥深くに埋葬したという。
なぜ、と思うが声が出ない。ローラがそれについて止めどなく説明しているが、それがどうしてもわからない。
「だってまだ二か月しかいなかった人よ?伝統ある公爵家の墓地に入れるのはおかしいと思ったの。だから公爵家の奥、ほら池の向こうにある庭師の屋敷のある近くのあたり。あの辺なら庭師くらいしかいかないし邪魔にならないかと思ったのよ。もしアーネストが不満なら掘り起こして移動させたらいいわって思ってたけど。でも墓が暴かれるなんてね、怖いわね。一体何を考えて死体なんか盗んだのかしら」
なぜ、公爵夫人を庭師しか行かないような場所に埋葬したのか。なぜ、盗まれた物の重大さがわからないのか。なぜ、ルルアが死んだことがこんなに軽いのか。何もかもがわからなかった。そこでやっとアーネストはこの家が狂っていることを理解した。しかしその時にアーネストに許されている時間はやはり短く、犯人に懸賞金を掛けるくらいしかできなかった。いや、時間があったとしても、危険なものは破壊しつくして終わらせることばかり学んできたアーネストには、屋敷で起きたことを紐解くことはできなかっただろう。きっと彼のやり方で終わらせていたはずだ。
「ただ…」
「ただ?」
ルルアの言葉に、屋敷でのことを思い出していたアーネストの意識が返ってくる。今、目の前にはルルアがいる。あの時の絶望を反芻する必要はないのだ。
「狂っているかは存じませんが、お食事はきちんと取られた方がよろしいかと思います。その、それがお家柄だったとしましても」
「…?」
アーネストは、どこから食事の話が来たのか皆目見当もつかなかった。エルガ公爵家の陰惨さや倫理観の軸が崩れていることは自覚したが、食事のルールはどうだっただろうか。
ルルアはそう言って、デザートの果物に手を付ける。それはとても満足げな笑顔だった。
「そうか…そうだな」
アーネストは言われた意味はわからなかったが、ルルアにそう返事をした。きっと、彼女がそう言うならそうなのだろう。
「ええ、そうしてくださいませ」
ルルアはエルガ公爵家が食事に興味のない家だと思い込んでいる。言いたいことが言えて満足である。が、ここで満足して終わってはいけない。アーネストに見つかってしまった今、一体どうするのがいいのだろうか。
「あの、わたくしは、その…。エルガ公爵家には…戻りませんの」
ルルアは「戻りたくない」とは言わなかった。自分の意志を持って「戻らない」ことを伝えた。この先を自分に選べる権利があるかは知らないが、自分がどうしたいかははっきりと伝えておきたい。
「ああ。戻ってはいけない」
「え?」
「…不便はしていないか?」
「…いいえ、いいえ。なにも。わたくしはここで、とても豊かに暮らしております」
「そうか」
「はい」
「そうか」
ルルアもアーネストも話すのが達者ではない。そこからはお互い何も告げられず黙り込んでしまった。食事も終わり、食器を下げようかと考えているが、ルルアは動くのをためらっている。この空気を壊すのが、なんだか勿体ないのだ。何も話さず向き合っているだけなのに、不思議と嫌ではない。
(静かな方ですのね)
ルルアはアーネストをそんな風に思った。恐ろしい公爵家の当主ではなく、背の大きい軍人でもなく、ただ目の前の彼をそんな風に。
「随分馬を酷使したね。森を抜けたすぐ傍に厩があるからそこで馬を借りて行くといいよ。この子は私があとでその厩まで連れていってあげるから、帰りにまた交換するといい」
馬にゆっくり果物を食べさせて戻ってきた魔女はそう言った。
「助かる」
「お茶をもう一杯いかが?」
「いや、もう発つ」
「そう」
この魔女の家ではアーネストが立ち上がると随分圧迫感がある。天井が低いのだ。今魔女が入って来た扉まで食卓から数歩で着く。
アーネストに何と声を掛けるのがいいのか、ルルアにはわからなかった。「お気をつけて」だろうか。「さようなら」だろうか。こんな時に気の利いた言葉が出て来ない。
「ルルア」
「は、はい」
アーネストの声掛けに驚いて、ルルアの返事が少し上ずった。
「戻ってこれたら、あなたの元を訪れていいだろうか」
「え、あ、はい。それは、どうぞ」
エルガ公爵家に戻れと言う訳でもない、逃げた自分を怒るわけでもない。そんなアーネストが訪ねて来て困ることはない。それにここは魔女の家であるし、ルルアはただの居候で、そもそも来るなという権限もないのだ。
ルルアの言葉にアーネストは更に言葉を告げることはない。そのまま家を出て、扉が閉じた。
「よかった。公爵様はお怒りにはならなかったようだね」
「はい…」
魔女はポットに新しいお茶を淹れる。さっきとは別の花のお茶だ。ルルアは受け取ったお茶の香りを嗅いで、一口飲んだ。
「魔女様、公爵様はあんなに静かな方だったのですね。わたくしはちっとも知りませんでした」
「そうかい。それは発見だったね」
「そう、ですわね。ええ、その通りですわ」
魔女も椅子に座ってお茶を飲む。そして魔塔の運命の魔女をちらりと思う。この出来事が運命の魔女の魔法にどれだけ影響があるだろうか。
(でもまあ、どうにかなるだろうさ)
運命の魔女のおかげで長年魔法を使うことが出来なかったのはつまらなかったのだ。もし大きな影響があって怒鳴り込んできたとしても、時の魔女としても言いたいことはある。なるようになれ、だ。と、魔女は少し愉快な気持ちだった。時の魔女は自分の未来を視ない。昔に視たが、当てにならないしつまらないのだ。自分の身に何か起きるかと考えるのは、長い長い人生の中で最高のスパイスだ。




