16◆森での再会
夜通し馬で道なき道を駆け、今は夜明け前だ。アーネストは西側の国との緊張の糸が切れるかという状態で二度、王都の対策拠点を離脱した。
「二週間、二週間だ。それ以上は無理だ。頼むアーネスト、この戦況を乗り越えるにはお前の力が必用なんだ!」
王太子のルシアンに万が一の場合の作戦パターンを複数渡して、ようやく領地に戻ることが許されたアーネストは「心得ております」と短い言葉を残して王都を後にした。四日間馬を走らせ、隣国に接する領地の端まで辿り着く。自分の動きを掴まれないルートを選び遠回りとなったが、二週間以内に王都には戻れるはずだ。
夜に森の中で動くのは危険なのは十分承知しているが、アーネストは止まらない。不在の間に死んだ妻に何があったのか、その妻の遺体がなぜ盗まれたのか。なぜ、透明な窓のような彼女がそんな目に遭わなくてはならなかったのか。アーネストは何も知らない。その手掛かりである犯人捜しを前公爵夫人――自分の母が止めたのだ。
何があろうと別邸から出てくること無かった母が、一体どうして。それを聞いた時にアーネストは目の前が真っ赤に染まったように思えた。思考は止まっているのだが「邸に戻る」という行動だけが最適化されている。敵陣を止める案で王太子と交渉し、エルガ領に向かうことだけに集中する。アーネストは自覚できていないが、胸にあるのは怒りだ。
なぜ奪うのか。奪っただけでは飽き足らず、それを知ることすら阻むのか。
そんな激しい衝動を抱えて馬を駆けているが、動きに隙ができることはない。「身を守る」ということが幼い頃から身に付いているのだ。
森の中にも朝陽が差し込む頃、アーネストはやっと止まった。馬が限界だ。ここまで来たのなら森を抜けた町で馬を交換して休ませられる。この先にある町は隣国との交易拠点でギルドも盛んである。良い馬を選べるはずだ。
邸に戻って、自分は母に何と言うのだろうか。アーネストはふと思う。幼い頃は母と暮らしていたが、本邸に戻ってからはほぼ関わりのない人だ。話などできるのだろうか。あの、目の前が真っ赤になる感覚が来たら自分は何をするかわからない。
「…疲れたな」
思わず声が漏れた。そんな自分の声でアーネストはやっと自分が疲れていたのかと思う。小川で水を飲む馬の傍らでアーネストは座り込む。少しだけそうしていたかった。
「黒猫さん、こっちにも朝露がありましたわ」
小川の下流の方から声が聞こえた。アーネストが聞いたことのある、あまりにも遠くて忘れかけていた声。アーネストはいつの間にか立ち上がり、足は下流へ向かっていた。
「この草に付く朝露が薬の材料になるなんて不思議ですわね。あら黒猫さん、濡れちゃいますわよ。草を探すのは私にお任せくださいな。もうすっかり見分けることができますのよ?」
そこにいたのは、川の近くに生える草から朝露を瓶に集めているルルアである。最近これはルルアの仕事で、終わって戻ると魔女の朝食の支度が済んでいるというルーティンである。その姿をアーネストは突っ立ったままただ見ていた。動くことができないのだ。
「どうしましたの?黒猫さん?」
驚いて毛を逆立てている黒猫の様子に、ルルアも黒猫の目線を追う。と、そこにいたのは大きな軍人だ。それを見てルルアは声を上げなかった。驚きすぎて声が出なかったのだ。
「…生きて、いたのか」
「…え?」
その言葉でルルアは背の高い軍人の顔をまじまじ見る。
(エルガ公爵ですわー!!)
やっと状況のまずさに気付いたルルアである。逃げおおせたエルガ公爵邸の主が目の前にいるのだ。ルルアはどう言い逃れしようか考えるが、悲しいかなそういう機転は利かない人なのだ。水から放り出された魚のようにはくはくと口を動かすが何も告げずにいる。
「あのっわたくしっあの、その、えーっと、きっとあなたの知る人ではないかと思いますわ」
「髪は、どうして」
「じゃ、邪魔だから切りましたのっ」
「そうだったのか…」
本人ではない、を通すのであれば問いに答えてはいけないのだが、やはりルルアはそういう機転が利かないのである。交互に二人を見る黒猫も焦った様子だ。
「………生きていて……よかった……」
「え?」
すっかりパニックになっていたルルアだったが、アーネストの言葉で止まった。アーネストは確かに結婚式にも来なかったし、エルガ公爵家の生活も最悪だったが、彼はいつもいなかっただけで、何か直接悪意を与えられたことはない。もしかして、ルルアが死んだことはアーネストの本意ではなかったのかと、初めてアーネストの気持ちを考えたのだ。
「…生きていて、よかったんですか?」
「ああ」
「…そうでしたの……」
それだけの言葉だが、ルルアには天地がひっくり返ったような驚きだった。自分は透明な窓であるのだが、窓が割れて困る人がいるとは考えたこともなかったのだ。
「お二人さん、続きは朝ごはんでも食べながらどうだい?」
そう声を掛けたのは魔女だ。森の空気が緊張したのを感じて様子を見に来たのだ。とは言っても、ちゃんと朝食を作り終えてからだが。




