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12◆セラフィーナのその昔・2

セラフィーナは周囲の空気を読めるので、自分に良い流れじゃないのを理解していた。ここは大人しくしていた方がいいと、愚痴は魔女にだけ吐いて、心の中はどうあれど、にこやかに過ごしていた。しかし決定的なことが起きる。

兄王子とその友人たちで飽きもせずマリアベルを囲んでいるのを、セラフィーナは通り過ぎ様にちらりと見た。その時だ。あんなにも表情が無かったイズナリオが、マリアベルに笑っていたのだ。

それはセラフィーナが結婚したら、イズナリオがそうであればと思っていたことだった。

セラフィーナに気付いたイズナリオがそちらを向くが、その時はもう表情は戻っていた。たったそれだけのことだ。それだけのことが、セラフィーナの心を乱した。

生まれて初めて感じた無力感。それを自分の内側だけで対処することは、まだセラフィーナにはできなかった。自尊心が傷ついたセラフィーナは、父王にイズナリオとの婚約解消を願ってしまったのだ。もちろんそんなことは許されない。父王もイズナリオの何かが気に入らなくて、セラフィーナがへそを曲げているだけだと解釈した。くれぐれも王女の機嫌を損ねないでくれ、とエルガ公爵家にお達しをしたのは父の気遣いだった。


月に一度行われる婚約者とのお茶の席で、イズナリオはセラフィーナに問うた。


「婚約を解消したいと言ったのは本当ですか?」


いつも話題を用意することなどなく、セラフィーナの問いに答えるばかりであったイズナリオであったが、この日は向かい合ったとたんに口を開いた。


「あら、お父様ったらあなたの耳に入れたの?だったらあなたはどう思ったのかしら」


いい機会だ、イズナリオの気持ちを聞けるものなら聞いてみたい。不愉快の原因は伝えているのだから、何故自分が婚約解消などと言ったのかは察しているだろう。

彼がマリアベルを愛しているというのなら、もっと強く父王に婚約解消を訴えることができる。だけど本当にセラフィーナが欲しいのはそんな言葉ではない。あの件はすまなかったと。愛しているのはセラフィーナだと。そして名を呼んで欲しかった。


「私はエルガ公爵家を継ぐ。あなたは私と結婚するのです」


それは、想定していたどんな言葉よりもセラフィーナの心を凍り付かせた。エルガ公爵家の後継を確固たるものにしたのは、セラフィーナ王女あってこそ。


「王女殿下?」

「……戻るわ」


セラフィーナはそれ以上何も言えなかった。自分は一体、何を浮かれていたのだろう。

無力感よりずっと惨めな羞恥心に塗れる。そもそもが、心を求めるべき場所に自分はいなかったのだ。この先何があろうとも、セラフィーナがイズナリオの婚約者であることは変わらない。そのことがこんなにも自分の心を荒ませるとは、セラフィーナは思いもしなかった。


マリアベルが珍しく兄王子たちとではなく、他の令嬢たちと共に渡り廊下を歩いている。


「あ、あの!セラフィーナ殿下!」


普段口を利くこともないマリアベルから声が掛かる。学園内では身分は関係ないとは言え、厚かましい女だとセラフィーナは思った。しかし、マリアベルはセラフィーナの返事の有無に関係なく言葉を続けた。


「ご、ごめんなさい!イズナリオ様が私と仲良くしてくれてるから、セラフィーナ殿下を誤解させてしまったって聞いて!本当にそんなんじゃなくて、イズナリオ様は心許せる友達ってだけなんです!」


マリアベルの謝罪の言葉に周囲の目が集まった。


「なんて傲慢なの」

「…え?」


セラフィーナは今この場で王女であることができなかった。自分を差し置いてイズナリオと絆を築いたと、それを壇上からごめんなさいとは、セラフィーナに許せるはずはなかった。


「それ、謝っているの?さぞ気分がいいでしょうね。兄やその周囲の高位貴族の子息たちと仲を深めて、あなた何をするつもりかしら?」

「私、そんなつもりじゃ…」

「あなたがどういうつもりかは関係ないのよ。全てはどの位置にいるか、他の目がそれをどう思うかよ。その事実の前に謝罪の言葉など意味がないとわかりなさい!」


セラフィーナの叱責にマリアベルは言葉を失う。一緒にいた学友たちも王女に言い返すことなどできない。


「そこまでになさって、セラフィーナ殿下」


それを侯爵令嬢のグロリアがセラフィーナを止めた。


「彼女はまだ貴族になったばかり。色々と目に余ることもありましょう。だけどそんな所を寛大な心で見守られることを、私はこの国に光り輝く星であるセラフィーナ殿下に望みます」


グロリアは兄王子の婚約者であり、マリアベルのことを一目置いている一人だ。この状況を見かけて庇いにきたのだろう。周囲を見渡せば皆、困惑したような、畏怖するような目でセラフィーナを見る者ばかりだ。

セラフィーナはそれ以上何も言わずにその場を立ち去った。自分が間違ったことを言ったとは思わない。だけど下手を打ったのはわかる。その日からセラフィーナとは学園で兄たちともマリアベルとも一切関わることはなかった。もちろん、イズナリオとも。定例のイズナリオとの茶会もただ静かに過ごした。心が揺さぶられて乱れないよう。

セラフィーナが「悲しい」と涙を零したのは魔女の前でだけだった。

だけど魔女と会えるのは王女である期間だけだ。魔女に会うことができるのは王族と魔塔の関係者のみ。公爵家に嫁入りすれば、セラフィーナはもう二度と魔女に会うことは叶わない。

そして卒業してすぐにセラフィーナはエルガ公爵家に降嫁した。イズナリオが後継になるのが確定した瞬間である。


***


エルガ公爵家に嫁入りしてからすぐ、アーネストは生まれた。セラフィーナはアーネストを連れて別邸で過ごすと言った時、イズナリオは「何故だ」と聞いた。


「何故?おかしなことを仰るのね。もうあなたの望みは果たしたでしょう。あなたはこちらでどうぞエルガ公爵としてのお務めに励んでくださいな」


セラフィーナは学生時代に思い悩んだが、いつまでもクヨクヨしている性格ではない。辛気臭いエルガの本邸ではなく、風光明媚と評判のガーデリーにある別邸で楽しく暮らせばいいではないかと考えを変えた。

嫁入りしてから夫人としての仕事も振られていないが、王女として教育を受けたセラフィーナは与えられなければ動けないなどということはない。領地を見ているうちに自分がやるべき事を見つけてできるはずだ。


「ね、アーネスト」


セラフィーナの問いかけに、腕の中の赤ん坊はきょとんとした目を向ける。セラフィーナは母になり、夫の心が自分にないなどという些細なことはどうでもよくなったのだ。

セラフィーナなりに上手く暮らせていたはずだった。五年後、アーネストに毒を盛られるまでは。

セラフィーナの暮らす別邸では元からエルガ公爵家に仕える者と、セラフィーナが城から連れてきた者が働く。うっすらと派閥があることで、その隙を突かれ刺客が入り込んだのだ。

アーネストの命は助かったが、毒の特定が遅かったため気管に後遺症が残った。少しでも体調を崩すと酷い咳が出るのだ。アーネスト暗殺未遂の責任は、別邸の主であるセラフィーナに問われた。


「やはり、あなたでは駄目だ」


イズナリオはそれだけ言ってアーネストを本邸へ連れ帰った。

事件を防げなかった以上、イズナリオの決定に否とは言えなかった。母として失格だと烙印を押されたのだ。それはかつてのどんなことよりセラフィーナを傷つけた。もう二度と魔女とは会えないセラフィーナは、一人で泣いた。

そしてそれからセラフィーナは、本邸に戻ることなどなくほとんど過ごした。毒から守れなかったアーネストに、顔向けできないという思いがあったのだ。

夜会のパートナーとして会場で会う程度になっていた夫が亡くなったと聞いた時も、特に悲しみはなかった。公爵を継ぐアーネストには思いを馳せたのだけれど。

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