第二四話 ムヅキの志し
暑苦しさを消した――消し切れない分はそのままだが――少しばかり雰囲気を柔らかくした閣下はムヅキの肩を引き起こし、幼な子を諭すように優しく語り掛ける。
「ムヅキや。もう辞めい」
高級遊女として誰もが認めるムヅキだが、実は遊女ですらないのだと暴露した。
ムヅキは借金など背負っていない。それどころか、巨額の個人資産を携えて中継島遊郭に自ら入り込んだのだと言う。
「わしの赴任当時は酷いもんじゃった……のうムヅキ」
「……」
女郎組合の創設によって以前より遥かに良くなったとはいえ、外から大量の男が流れてきては吐き捨てていく中継島の遊郭では、他と比べて劣悪と呼べる環境が残り続けていた。
数多の遊女が妊娠・堕胎を繰り返し、梅毒に侵され崩れ落ち、スラムに捨てられ最後は海へ身を投げて、離岸流に呑まれて消える。
そんな悲劇が延々と繰り返されたこの島では、他に類を見ない意識の低さが因習のように染みついてしまっていた。
すべての遊女は島外から連れてこられた余所者。客はほとんどが一見さんの船員ばかり。
商人の客が付いただけで大喜びするこの島の遊女たちにとって、身請けとは大陸におけるそれとは意味合いがまるで違う。
コマ師に騙されても、騙されているとわかっていても、海に飛び込むつもりで万が一を期待してしまう。
「ヤクトはこの島が嫌いじゃろう?」
「嫌いだ」
「わしも嫌いじゃ。好きな者なんぞおらん。そもそも中継島に古くから根付いておるような民は存在せんのじゃ」
他の人間がこの島をどう思っているかなど、考えたことも無かった。僕だけではなかったのだ。
誰もが僕と似たような感覚を持っていて、それでもこの島で生きて死んでいく人間が大勢いることを知った。
「ムヅキには酷じゃろうし、今まで言うてやれなんだ事はわしの落ち度じゃが……」
中継島遊郭の現状を知り、それを変革するために外から乗り込んできた女――それがムヅキ。
身を削って環境を整えたにも関わらず、避妊や性病予防に対する意識が低い遊女たち、安易に間夫を見繕って身請けを望む遊女たちを好きになれるはずがない。
「お前にナツの代わりは務まらん」
「――」
現在もニホン国で活躍する女傑ナツ・ニイタカ。
その出自は帝国の港町にある遊郭の元遊女であり、ムヅキはナツの禿だったと言う。
「ましてやホヅミの真似事なんぞ、この世の誰にもできはせん」
「――っ!」
大英雄ニイタカ・ホヅミの女の1人は遊郭を出奔したナツの妹分だった。その繋がりでナツを身請けし、ついでに彼女の下にいた新造と禿も全員まとめて引き取ったらしい。
大英雄の変な伝説の1つ『土下座で遊女を7人身請け(無料)』である。その関係者がこんな身近にいたとは驚きだ。
「暇を言い渡す。ニホンへ帰れ」
ムヅキは何も言わず閣下へ深々と頭を下げ、僕に巾着袋を渡して立ち去った。
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「すみません閣下……短気を起こしました」
「ガハハっ! 別に構わん! 若い者はあのくらいやんちゃな方がええんじゃ!」
夕暮れ時、頭が冷えたアイゼはファンタスマゴリアで軍装を錬成し直して海兵たちに返却して謝罪したが、基地の責任者はアレを『やんちゃ』の一言で片付けてしまった。
「壁の修理代はこれでいいか?」
「うむ。たしかに100万エン玉じゃ。受け取ったぞい」
「ちょっと待て。100万ムーアだろ」
「迷惑料じゃ! 若い者が細かいことを気にしとるようではいかん!」
ムヅキの巾着袋にはエン硬貨がたんまりと入っていた。
(ナニに被せるものだろ……まぁ、いいけど)
1万円玉以上はすべてコンドームで包まれていたが、見なかったことにする。
「ムヅキにもいいクスリじゃろ。昔から真面目すぎるところがあるでのう」
「それにしても驚きました。まさかムヅキ……殿があのナツ殿の下にいたとは」
「姫殿下は会うたことがあるんじゃな。まぁ、目指すなとは言わんがの。ナツは少々……異常じゃて」
ナツは遊女の中の遊女。その中でもすべてを兼ね備えた逸材であり、芸事としての舞を高めるために始めた武芸を極めてしまった鬼才である。後にニイタカ・ホヅミの片腕として外交官を務め、その手腕は常軌を逸したものだった。
「気付けば掌の上で転がされておる。気付いたとしても嫌な気がせんので敵は増えない。恐ろしい女じゃて」
「ウィンウィンか?」
「違うのう。関係者全員を勝たせる。己の益を求めぬ」
「なんだそれ? 勝ちを譲ってやるのか?」
「それも違うのう。全員が気持ちよう転がされ、蓋を開ければ全員がナツに貢いでおる。恐ろしい女じゃて」
到底不可能に思えるが、他人を上手く操る人間はそんなこともできるのか。ムヅキもそういう感じだったように思う。
「ガハハハハハっ! 子供を泣かしとるようじゃ全然ダメじゃな!」
「……泣いてない」
「んふっ……あぁ……強がってるヤクトもいい」
全然ナツ・ニイタカに及ばないらしいムヅキだが、さらに気になることも言われていた。
「大英雄はその女よりすごいのか?」
「大英雄のう……」
急に黙り込んだ閣下は暫く瞑目し、やがて翠玉の瞳を開くと僕の顔をじっと見て、ボソリと呟いた。
「ホヅミめ……」
「なんだ?」
「何でもないわい。さて……どう話したもんかのう」
近いうちに大陸へ行くならちょうどいいと言って、閣下も居合わせた10年前の大陸人魔戦線における佳境――大英雄と大魔人の一騎打ちを語ろうと言う。
そこいらにいる老いぼれの自画自賛が鼻につく武勇伝ではない。勇猛にして合理的な戦人の観点から語られる本物の戦記である。
ティタンは目を輝かせて大興奮し、普段は寡黙で浮つくことのないハリッシュまで前のめりになっていた。
アイゼとアユーはそんな2人に前を譲って生暖かい視線を向け、『黒いの』は命令通りに僕の傍にいて、赤ん坊をあやしながら無意味にニコニコしている。
(……無意味じゃないのか? じゃあ、なんで笑ってる?)
ひと声も発さないので質問しても応答は無い。
「時は碧歴11793年。程なく大陸に冬が訪れようかという季節じゃった」
何か『黒いの』と意思疎通する方法は無いかと考えていたら、閣下の昔語りが始まった。
聞いてみたものの大英雄にさほど興味は無いのだが、魔人とやらは今もいる。
いつか敵になるかもしれない相手の情報を知っておくに越した事はないだろう。




