第二一話 気象予報官
予報官を自宅まで尾行したが、その男、特別なことは何もしていない。
中年男の一人暮らしは自治部会の所有する集合住宅の一室を間借りした侘しいものだ。部屋の中まで忍び込んでみても男のズボラな性格を再確認しただけで、特に目ぼしい情報は得られなかった。
「なんで生きてられるんだ?」
「職があるなら生きてはいけるでしょうが……何を楽しみに生きてるんでしょうね?」
アユーの疑問点は僕にはピンとこないものだったが、あの男とスラムで寝そべる連中の違いがわからなかった。
確実に言えることは、本来ならアイツがスラム堕ちしない理由は無さそう、ということだけだ。
「やはり通信室のさらに奥まで潜入しなければ何もわかりません。どうにかならないものでしょうか?」
「なんだあの扉? 認証とか言ってたぞ?」
「古代語ということは遺跡の類でしょう。あの男にしか開けられないようでした」
当然だが、予報官の昼の仕事を確認するため、男に続いて別室への扉をくぐった。
アユーには才能があったようだ。すぐに無音歩法のコツを覚えて2人揃って忍び込み、地下へ続く階段を降りると予想通りに通信室があった。
ところが、男が奥にある黒い扉へ掌を押し当てたかと思えば、その扉はニホン国大使館の玄関のように勝手に開き、男が通過した直後に閉まって開かなくなった。
「掌が鍵になってるってことか」
「そんな錠前は聞いたこともありませんが……古代の遺跡なら何があってもおかしくはありません」
黒い扉から出てきた男の手には気象予報を書き連ねた紙があって、それを慣れた様子で定型文にまとめ、通信魔堰でリストの宛先へ文伝として送信する。男の仕事はそれだけだった。
宛先は空港や基地などの陸上施設だけではなく、入港・沖待ち中の船舶も含まれているため数だけは多い。一斉送信するにも限度があり、疲れた様子でひぃひぃ呼吸も荒く魔力チャージしながら、延々と同じ文伝を送り続けていた。
「やりがいは無さそうでした」
「やりがい? 仕事のか?」
「生きがいと言い換えてもいいでしょう。仕事が楽しいに越したことはありません」
たしかに男の丹田は腐りかけていた。甲板上でカタフリをする船員たちの丹田とは雲泥の差だ。船乗りという仕事には相応のやりがいがあるという事だろうが、予報官にはそれが無い。
「私は報告に戻ります。ヤクトはどうしますか?」
「僕は別の仕事がある」
「そうですか。では後ほど。それと……」
アユーは思い出したように僕を睨みつけ、こめかみに青すじを浮かべてドスの利いた声を発した。
「ハリッシュ様への無礼は控えてください……」
「何のことだ?」
「……殺しますよ?」
「お前には無理だ」
剥いてナニの大きさを確認しただけではないか。減るものでもなし、そもそもアユーのものではないだろう。
「いずれ私のものにします」
「……は?」
女は男のナニを収集する生き物なのか。なんて恐ろしい生態だろう。
益々アイゼに触らせるわけにはいかない。
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集合住宅の前でアユーと別れた僕は商業港へ向かい、スヴェン号に立ち寄った。
ムヅキとスヴェンの間でも商談は行われていたらしく、その結果として遊女たちは隷属魔堰から解放され、全員が無料でムヅキに引き渡されたらしい。
(タダじゃないな……対価は僕か。あの女……)
出航するまでの間、大量の奴隷を抱えたスヴェン号の用心棒にされてしまったのだ。
スヴェンが選んだ奴隷は健康な若い男女を25人ずつという売却先の目的に沿ったものだったが、それだけにあの奴隷商人にとっては痛手である。
恨みを買っていることは確実で、『黒いの』の出自が割れればスヴェンたちも危うい立場となり、大義名分さえあれば自治部会が出て来ないとも限らない。
「やあやあ、ヤクト君。今日もお勤めご苦労様です」
「奴隷は船倉か? 変わりは無いか?」
「そんなに心配しなくても厚遇してるさ。ムヅキさんとも約束したし、それに……幸せな笑い声もアリかと思って。売れるまではだけど」
「……幸せか」
売られた奴隷たちの様子も逐一確認しろと命じられている。
船倉を覗けば、スヴェンの言葉通りに明るい笑い声が聞こえてくる。奴隷たちは暖かい食事と寝床を与えられ、今まで囚われていた奴隷小屋と比べれば確かな好待遇を受けていた。
(何なんだあの女……)
ムヅキは遊女たちが好きなわけでも、大事なわけでもない。あの養生処と同じことをしているだけだ。
好きでもないのに助けたい。その代償となった奴隷にも変な執着を見せる。
行き着く先にどのような地獄が待っているのか知っていて、その上で選んだくせに、拾い切れずに捨てたものを慈悲を持って眺めるのだ。
「偽善だよねぇ。だけど彼女はいい人だ」
「いい人? 何がいいんだ?」
「たとえ偽物でも善くあろうとする意志がある。すなわち人為さ。それが持てない人間よりは大分マシだ」
スヴェンの言うことはよくわからないが、それが人間と獣の違いらしい。
なら「お前らは獣か」と問うと、いつもの笑顔で「そうだ」と宣うのだ。
僕にはムヅキよりもスヴェンの方がわかりやすい。
「おい。アレはなんだ?」
急に環境が変わって戸惑いを浮かべつつも満足そうな奴隷たちの居る船倉には、四角い箱が鎮座していた。大人の背丈より大きい長方形の箱だ。
「見たことないか? あれはコンテナだよ。色んなものを収めて運べる貨物単位でね。ちょうど馬車で運べるサイズに規格化されてる」
箱の大きさは馬車の車体くらい。海上・陸上間の輸送効率を上げるために考案された入れ物とのことだ。
奴隷の他に積荷は麻袋の山とそのコンテナが1つだけ。麻袋の中身は匂いから食糧だとわかるが、コンテナの方からは何の匂いもしない。
「ははっ。臭わないのも当然だ。中身は本船の予備魔力カートリッジだからね」
「予備は推進室に置いてあるもんじゃないのか?」
「私のような零細船主にはよくあることなんだが、予備は予備でも中身が無いのさ」
予備魔力カートリッジは造船組合の船舶規則の中で法定予備品に指定されている。
いざ検査が入った時に持っていなければ出航できなくなるが、魔力カートリッジの交換は船の運航コストの大部分を占める。
「無い袖は振れないからねぇ。『船倉に新品あります』って言えば意外と『あっそ』で終わるんだ」
「予備が空のカートリッジってことか。前の商売は儲けが無かったんだったな」
「そうそう。次はがっぽり儲けて両方交換しなきゃねぇ」
利益が出ない時にはカートリッジの交換タイミングでやり繰りする。検査で詳細に確認されると困るから、新品の予備を仕入れた時のコンテナを取っておいて未開封を装っているらしい。
「船には金が掛かるのさ……はぁ」
安全運航は金が掛かるからやりたくないとボヤくスヴェンだが、就航船向けの検査機関創設も大英雄の発案だから無下にもできないのだとか。
大英雄は関係ないし、安全もお前らのためだろうとも思ったが、その話題を続けてまた妙な気を起こされても困るので黙っておいた。




