第十九話 降ってくる元同僚
蒼穹と群青――景色を2つの青に切り分ける水平線が広がり、その境界線の上、海面スレスレを飛ぶ漆黒の機影があった。
魚の骨のような翼に風を纏い、高出力送風魔堰の推進力で空を駆ける太古の遺物――飛行魔堰だ。
飛行機が飛び交うようになった現在でも静粛性と機動性に置いて圧倒的な性能差を誇り、広域諜報活動に無くてはならない乗り物だが、その操縦には特殊な運動魔法が求められるため操者を選ぶ。
「あらら〜。見失っちゃった〜」
機上には2人の女がいた。どちらも僕と同じ黒い服を着ている。
後部座席に座って海面を見ていた女が諦めたように天を仰いだ。
異端審問官 第十一席 エルフ。
僕が最も苦手としていた人間だ。この女との会話は僕の精神をゴリゴリ削ってくる責め苦だった。
「やっぱりぃ、すぐ中継島に向かうべきだった〜? でもさ〜、見つけちゃったら放っておけないじゃな〜い? ドライ様の……じゃないや。てへっ、また間違えた。猊下の指示を待ってるわけにもいかなかったしぃ〜。それとも速攻で沈めとくべきだった? ねぇねぇ、アハトはどう思う?」
常にテンションが高くて口数が多い。黙っている場合は必ず踊っている。寝ていても明るい寝言が尽きない。
陽気にしかなれない――。
それがエルフの抱える試練の後遺症だ。他人との会話で重すぎるストレスを感じる僕とは決して相入れない。
「…………」
「ねぇねぇ。ねぇってばぁ。お返事してよ〜。手放し運転くらいできるでしょ〜?」
そんな彼女が声をかけ続けているのは前方の操縦席に座る少女――いや、暫く見ないうちに大人の女性に成長している。
異端審問官 第八席 アハト。
この子は僕が2番目に好きだった同僚だ。もの静かでとても良い子だった。
「カリカリカリカリ……スチャ『勝手な行動は控えるべき。今は情報が多すぎて猊下も困ってる。追加報告はするけど』」
「言われたことだけやっとけって〜? まぁ〜、言われてないことしかやらないおバカさんもいるもんね。私たちくらいはちゃんとしないと、猊下が益々老け込んじゃうかぁ〜」
「カリカリ……スチャ『うん。可哀想』」
首から下げた黒板にチョークで達筆を走らせ相手に向ける。アハトの会話はこの筆談のみなので僕にとっては楽だった。
口が利けない――。
これがアハトの後遺症。試練のせいで可哀想な唖となってしまったわけだが、中身は異端審問官たちの中でも僕に次いでまともな常識人だった。
双方とも二聖。世界屈指の強者である。
「怪盗団がこの海域に居たってことは〜、狙いは例の魔堰かな? そうすると私の任務とも被っちゃう? どう思う? そっちも回収した方がいいかなぁ? ねぇねぇ。大人なアハトはどう思う〜?」
「カリカリカリカリ……スチャ『暗殺任務でしょ? ぶっ殺すだけでいい』」
アハトも変わったらしい。昔はこんな過激なことを言う子じゃなかった。
「そっか! そうだよねぇ〜! 死人に口無し! 魔堰諸共グシャっとやればマルっと収まる! さっすが大人アハトは賢いねぇ〜! おっぱいも早く大っきくなるといいねぇ〜!」
「カリカリ……ダンッ!『ぶっころ』」
変わらない部分もあったようだ。まったく以って微笑ましい。僕の好きだった彼女は胸の大きな人だったけど、アハトの微乳もまた良いものだと思う。
「もう〜っ! 冗談だってば〜! かけがえの無い……ていうか替えの利かない仲間じゃ〜ん。いっそのこと姉妹の誓いでも言っとく〜? 我ら生まれた時は違えども〜、死んじゃう日時は同じがいいな〜……だっけ?」
「カリカリ……スチャ『嫌だ』」
「地獄聖女の三国志〜。異世界の歴史小説なんて〜、よぉく思いつくよねぇ〜? よぉ〜し! 私とバカノインとアハトで審問三姉妹〜! 一旗上げよ〜ぜぇ〜!」
「カリカリカリカリ……スチャ『嫌だ。歳が違いすぎる。私はまだ若いから』」
「わぁ〜お! 言うねぇ〜言っちゃうねぇ〜! でも甘い! 甘い甘い! あままままぁ〜い! 私はアルローで学んだんだよ〜! 女は永遠に20代で居られるんだヨォ〜! ヨーヨーヨー!」
相変わらず五月蝿い女だ。これだからエルフは嫌なんだ。ドモル僕を面白がっていたのか知らないが、妙に密なコミュニケーションを求めてくるから本当に嫌だった。
「じゃ〜、アハト〜。中継島までよっろしくぅ〜。適当な場所で飛び降りるから〜。いやぁ〜、懐かしの古巣だよ〜。西は騒がしいから私が居ても目立たないんだ〜」
「カリカリカリ……スチャ『高度を上げる。掴まって』」
アハトの駆る飛行魔堰は群青の海面に白い軌跡を残し、出力を上げて蒼穹へと舞い上がった。
「ふぅわっ、ふぅわっ、ふぅわっ、ふぅわっ、ふぅわっ、ふぅわっ、ふぅうううう〜っ!」
上昇に伴い後部座席で両腕を広げたエルフは奇声を発し、シートベルトに固定されながらクネクネと変な踊りを繰り出し、リズムに乗って長い腕を前後左右に曲げ伸ばし。
軽快に弾むエルフの尻のせいで2人乗りの飛行魔堰は上下に揺れるが、アハトは文句を記さず黙って飛んだ。
まだ中継島からは遠い空の下、飛ぶ彼女たちを僕が観測しているということは、これもヤクトの物語である。
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1時間ほどの飛行で水平線に四角い島が見えてきた。
空港を無視して島の上空へ侵入する飛行魔堰に気付く者は居ない。
エルフはシートベルトを外して後部座席から身を起こし、顔面に風を受けて「あ゛あぁあ゛あああ〜♪」と変な声を楽しんでいる。
「カリカリカリカリ……スチャ『この数年で様変わりしてるはず。気をつけて』」
「愚問で〜す! 愚かな問いかけでぇ〜す! 私だって下調べくらいするもんね! ていうかお茶子のサイサイだから! 携帯型飛行魔堰でとりあえず突っ込むバカノインとは違うんでぇ〜す!」
「カリカリカリカリ……スチャ『私はすぐにドラントへ飛ぶ。航空支援は無いから気をつけて』」
「私はあの国ぃ〜、大っ嫌ぁ〜い。す〜ぐ白い目で私を見るの〜。ひどくなぁ〜い? ちょっと喋ってたり少し踊ったりしただけでさ〜、教会の司祭ですらプンスカ怒るの〜。失礼しちゃうよね〜。ぷんぷんっ! ひき肉にされたいかぁ〜゛あああ〜♪」
「ケシケシ……スチャ『航空支援は無いから気をつけて』」
エルフは中継島担当、アハトは西南五島担当の異端審問官だった。
昔は人口の多い地域には下位席次を1人常駐させることが通例だったが、どうやら今は違うらしい。
飛行魔堰で大陸から飛んできたようだが、元々担当していた任地で勝手知ったるこの2人が選ばれたということだろう。
「こっちが片付いたら〜、す〜ぐ手伝いに行ってあげるぅ〜。それまで死ぬんじゃないぞん」
「カリカリカリカリ……スチャ『私のは内偵任務。確実に邪魔だから来ないで』」
「ひっどぉ〜い! エルフお姉さんの内偵はスゴいんだぞぅ! みんなと仲良くなれるんだから〜!」
「カリカリカリカリ……ドンッ!『ドラント向きじゃないからやめて』」
エルフが中継島に降ってくる。適当に飛び降りた女の墜落地点は西の倉庫街だ。
彼女は強化・生体の二聖。防御と回復に優れるためまず死なないし、本人もそう思っているだろう。
絡まれるのが僕じゃなくて本当によかった。




