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幕間 インターミッション1



 10年前から始まった人魔戦線――当時の僕はほぼ死んでいたのでまったく知らなかったのだが、女神教会が万年に渡り秘匿し、封じ込め続けてきた魔人が溢れ出した。


 僕は『魔女の使徒』と呼ばれる敵性生物が地中から湧き出すと聞かされていたのだが、後になって正式名称は『魔人』であると判明したらしい。


 教会最大の禁忌としていた情報を開示し、対魔人戦に帝国を巻き込んだものの時すでに遅く、一時は大陸北部への上陸まで許してしまった。


 数多の犠牲を払い、無尽蔵に魔人を産み落とす大魔人――全長1万メートルもあったと言われているが定かではない――を斃すことで大陸内の魔人はやがて駆逐されたものの、今も世界各地で人魔戦線は継続している。


 その大事変により人類は多くの陸地を魔人群に明け渡し、世界情勢は大きく変わり、何かのケジメのように年号が変わった。


 北半球の多くの島々を、特にラクナウ列島を丸ごと失ったことは人類全体にとって大きな痛手であろう。


 列島の近海には通称『魔堰回廊』と呼ばれる海域が存在し、さほど深くないにも関わらず大量の魔堰が発掘されるポイントが広く分布しているからだ。


 とはいえ、何も失ったばかりでは無い。


 大陸を呑み込む大波を前にした時、当時のムーア皇帝は万年の倦怠を振り払って遷都を決断し、旧帝都の地下に眠っていた超弩級魔堰船を復活させ海に浮かべた。


 全長3,333メートルの超巨大船の中には太古の叡智が詰まっており、これまで不可能とされていた魔堰の製造も可能となったのだ。


 そして、新たな技術は新たな懸案を生むもの。


 帝国魔堰研究所では既知の魔堰の量産だけではなく、新たな魔堰の開発も進められていた。


 開発情報は極秘として取り扱われていたが、人の口に戸を立てることはできず、また他人の頭の中を覗くことはできない。


 すなわち、帝国の管理から外れたところで生み出される新造魔堰も存在しており、それらの中には極めて危険なものもあったのだ。


 今、僕はヤクトの航海から離れて別の場所にいる。


 眼前には1つの小島があり、島を丸ごと呑み込むほどの砂嵐に見舞われていた。


 近海の海は凪いで、空は青く晴れ渡り、心地よい陽気にイルカが跳ねている。


 だというのに、島はその身を砂に変えて空へ舞い散り、上空の空気は異様に乾燥していた。


 この渇きを――僕は知っている。


「上を向いて〜。歩こ〜う。涙がぁ〜こぼれないよぉ〜うに」


 島内には黒髪の女が居た。

 

「思い出すぅ〜。春の日〜。ひと〜りぼっちの夜〜♪」


 すべてが砂に変わり、渇き切った陸地で生きているのはその女のみ。歌を口ずさみながら波打ち際を歩く姿はキチガイと呼ぶべきだろう。


 女は一糸纏わぬ全裸だった。


「幸せは〜雲の上に〜。幸せは〜空の上に〜」


 豊満な胸を突き出し、くびれた腰に片手を添えて、引き締まった尻をふりふり歩むは砂山と化した無人島。


 無論、元は多くの人間が居た。


「上を向いて〜。歩こ〜う。涙がぁ〜こぼれないよぉ〜うに」


 歌は止まらず、砂嵐は収まらず、渇きが島外にまで拡がってゆく。

 

「泣きながら〜歩く〜。ひと〜りぼっちの夜〜♪」

 

 楽しくも悲しげな歌声は砂嵐に呑まれ、渇きの中に埋没する。


「ひと〜りぼっちの………………」


 声が枯れたように歌が途切れた。


「あー、喉が渇く」


 少しの沈黙の後、ガラリと漏れ出た声は低く、見開かれた瞳は夜のような漆黒だ。


 女のきめ細かな肌は潤いに満ち、その肉体は若々しく、生命力に溢れている。


 10年前とまったく変わっていない。


 それどころか起伏に富んだ肢体には益々磨きがかかっている様子だった。


「あっ! あったあった! 危うく無くしちゃうところ……ヤッベェ〜」


 海岸には砂を被った風呂敷包みが置いてある。


「毎回すぐ迷子になるんだよねぇ……ホント迷惑なチート」

 

 それを見つけた女は一目散に駆け出し、包みを解いて灰色の水筒を取り出した。


「熊印マホービン『KUMAJIRUSHI』! 働いた後の冷えた一杯がまた最高! はぁ〜、なんて芳しい香り――んくっ!」


 蓋をキュポンと開けると口を付けて、ドロリとした粘性のある液体を喉に流し込んでいく。


「ゴギュ……! ゴギュ……! ゴギュ……!」

 

 たっぷり時間をかけて惜しむように飲み干し、最後の一滴まで舐め取ると、舌先から水筒の口まで糸が引いた。


 一体何を飲んだのかわからないが、女は腰砕けとなって砂地に膝を突き、ぶるりと身を震わせる。


「――ばっはぁああああああああ〜っ!」


 頬を朱に染めた恍惚の表情で天を仰ぎ、奇声を上げると広範囲に渦巻いていた砂嵐が瞬時に消え去った。


 同時に、渇き切っていた空気はじっとりと潤いに満ちて、島の全域が湿地帯に早変わりする。


 五大魔法ではあり得ない。それどころか女の身体には聖痕も浮かばなかった。つまり魔法ではない別の力ということになる。


『テテテンテテテン♪ テンテテテテテ……テテテンテテテン♪ テンテ――』


 砂嵐が消えて暫しのち、風呂敷の中から妙なリズムを奏でて音が鳴なった。


 女は畳んであった服の中に手を突っ込むと掌大の薄い板切れを取り出し、慣れた手つきで光る平らな面をなぞる。


「しもしも〜? デストラーデ?」

『誰だそりゃ』


 携帯型通信魔堰のようなものだった。小ぶりな契約魔堰のような形状は見たことがないが、噂に聞く新造魔堰だろうか。


『どうだった? 目当ての物は見つかったかい?』

「この島も空振りっス。もう回収されちゃってました」


 風呂敷の上に置かれたそれから離れて、通信の主に応答しながら仕舞ってあった服を着始める。


『運がいいのか勘がいいのか……その手の人間は面倒だよ』

「運と勘だけの何が面倒なんスか?」

『何だかんだで成功するのさ。商人には必須の才能みたいなもんだよ』

「何それ? ウケる」

 

 遊女の一張羅のような豪華な着物をあえて着崩し、肩まで肌けて胸元を大きく開け、艶かしい太ももを股間近くまで露出した姿はやはりキチガイ地味ている。


「ただの腐れ外道でしょ」

『……誰もアンタに言われたかないだろうね』

「ウザっ。NPCが調子ん乗らないでくれます? ウザいんで」

 

 仲間なのかとも思われたが、この女にそんな上等なものができるはずがない。


 能力も人格も壊れ切っている。おそらく、どの異端審問官よりも酷く患っている。


「そんなことよりヤバいですよ。早く次の島に行かないと」

『候補は絞ってあるし偵察はもう出たさ。何がヤバいって?』

「速攻で顔射してきてウゲってなった。マジやめてほしいアレ。ホントむかつくわ魔人。すぐ枯らし殺したけど魔人を1匹飼ってました」

『なんだって!? なんでそれを早く言わないんだい!』


 魔人を飼っていたとは、この小島に居た者たちの事だろうか。


 だとすれば大変なことだ。魔人や半魔の根絶を目指す人類にとって許されざる裏切りである。

  

『ちっ! 放置したのが裏目に出たね! カリハリアスをやるからセカンドはすぐ次へ行きな! こっちは別の拠点を潰す!』

「セカンド了解でぇ〜ス。水筒は多めに持たせてください。足りないと止まらなくなっちゃうんで」

『在庫はたくさん積んであるがね……ありゃ中身は何だい?』

「――は?」


 それは女の地雷だったらしい。


「開けたら枯らすぞ糞ババア! ケートスごと砂にしてやる! あたしの命より大事な聖水が空気に触れて酸化して香りと風味が落ちたらどうしてくれるの!? 『KUMAJIRUSHI』は偽兆円玉より丁寧に扱ってよね! 少しでも封印が切れてたら気持ち悪くて飲めないじゃない! いざって時に飲めなかったらゼンッブ枯らすから! わかったかNPCババア!」


 板切れに向かってがなり立てる姿はまさしく狂人。


 黒目の周りは充血し、こめかみに青筋を幾本も走らせ、鼻血まで滴らせている。


『…………』

「お願いだから早く持ってきてぇ……もう渇いた〜。喉……喉が……喉が渇くって言ってるでしょ〜」

『アンタの稼ぎが群を抜いてなけりゃねぇ……とっくに殺してるんだが。はぁ……移動中にさっさと次の原稿上げな』

「すぐコピペするから水筒を送ってください」

『わかったさ。だけど……次にババアと呼んでみな! 大事な水筒は海にレッコするからね!』

「こ、この鬼バ『あ?』……ババンババンバンバン♪」


 この女は何も変わっちゃいない。トティアス語を習得して会話は可能となったことがせめてもの救いだろうか。


 ヤクトの物語に介入するなど考えたくもない。ヤクトはこの女と出会うべきではない。


 10年前のあの日――、僕はこの女に殺されたのだ。


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