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第六九話 船旅3500マイル


 せっかくなので航海術を覚えようと船長やら航海士やらに聞いて回った。


 軍艦だった頃は艦橋と呼ばれていたという船橋。甲板の中央に聳える背の高い建物の最上階にあって、その屋上のさらに上には見張り台が天を突いている。


 天辺のお立ち台に男が1人立っていたので登ってみた。


「おい」

「うおっ!? びっくりしたぁ〜! 勝手に上がってくんなガキ!」


 360度に円弧を描く水平線を望む絶景だ。


 海と空の蒼い境界線に小さな影を見つけた。目を凝らすと船の形が確認できる。


 船影は徐々に小さく薄くなり、やがて水平線の下に隠れた。

 

「ここが本船の1番高い場所だ。つまり最も遠くまで見えるってことだ」

「水平線で視界が途切れるからな。高い方がいいに決まってる」

「そういうこった」

 

 当直の見張り要員が周辺監視に当たり、何か異常を見つけたならば備え付けられた鐘を鳴らして船橋に知らせる。


「遭難者を見つけたら助けにゃならん。その場合は長短短短長の号鐘を繰り返すんだ」

「符牒が決まってるのか。危険な時は?」

「とにかく掻き鳴らす。号鐘乱打だ。海獣が出た時なんかはそれだな」


 粗野でスケベで荒々しい印象とは裏腹に、船員たちは合理的だった。


 船内の人間は船長をボスとして組み分けされていて、甲板部、航海部、司厨部、医務部、事務部などの組織に別れて働いている。


 個人が持っている技能は様々であり、甲板長と事務長はまったく別種の人間に見えた。


「そら、もう飯時だ。ガキは食堂行って飯食って寝ろ」

「星読みを教えろ」

「なんでおれの飯のタネをお前に教えにゃならんのだ」


 日が落ちれば海上は深い闇に染まり、月明かりの落ちる範囲でしか海面を目視できなくなるが、代わりに星がよく見える。


 特徴的な星の位置から船の現在地を捉え、海図上で確認しながら針路を大まかに調整する。予定航路に船を乗せて走るためには必須の技能だ。


「おれぐらい達者になりゃ座標魔堰と変わんねぇ。ほぼドンピシャよぉ〜」

「だからそれを教えろ」

「こちとら20年前からこれで食ってんだ! ガキがそう簡単に覚えられて堪るかってんでい!」


 経験と勘所が何よりも大切だと言っているが、重要なのは目標とする星を間違えないことと、水平線からの仰角を正確に測ることと、時計魔堰の整合性だろう。


「時計魔堰は合ってるのか? そもそもここには無いのにどうやって時刻を読むんだ?」

「…………ガキはどっか行け」

「教えろ。一晩で覚えるから」

「こんの……生意気なガキが! 海の(かお)が読めなきゃ話にならねぇんだよ!」


 海の貌――どうやら海象や海域特有の生物相のことを言っているらしいが、水深の深い外洋で海面付近に上がってくる生き物はほとんど居ない。


 どこも同じ程度の白波が立っているだけで、この男が何をどう読んでいるのかさっぱりわからない。


「帰れぇ!」

「……何を怒ってるんだ?」


 他のヤツに聞くことにする。



**********



 西南五島を発して早10日――ゴーイング・ブラド号は間もなく目的地であるムーア・ドラント中継島へ到着する。


 中継島は西南五島の東北東へ約3,500マイル離れた海域にポツンと浮かぶ孤島だ。1マイルは1,852メートル。ドラント州王国からおよそ6,482キロも離れている計算になる。


 西南五島最小のブラフマ島よりさらに小さい島で、海図にはムーア大陸との中間地点に四角く描かれている。


 場所がいい。国ではないのに栄えるわけだ。


 大陸から見て西南五島はこの星のほぼ真裏にあり、直接向かえば推進魔堰の魔力カートリッジが持たない。


 満タンの30日パック1つでギリギリ届くかといった距離にあり、何か不測の事態で航海予定が狂えばそれだけで人が死ぬ。


 死亡原因は主に水と食糧の不足による飢餓と、そうなれば避けられない乗組員の反乱だ。統率を失った人間は混乱し、冷静な判断ができずに自滅する。


 魔力カートリッジは陸の魔力容量の大きい運動魔法適性者が何日も掛けて魔力をチャージし、寄港した船の空カートリッジと交換する形で運用されている。


 ただの船員が寄って集ってチャージしても数パーセントで魔力欠乏になるほどたくさんの魔力を溜め込むことができ、その魔力で以って推進魔堰が駆動する。


 まさに船の心臓と呼ぶべき重要なものなので、最近では帝国法も改訂され、最低でも7日パックを予備として保有することが義務付けられているらしい。


「のう。ヤクト」

 

 2つの三角定規で直線を引き、1マイルに合わせたコンパスを何回か回して本船の現在位置をプロットしたところで、船長が声を掛けてきた。

 

「お前さん、どうや? わしのトコで船乗りにならんか?」

「もうだいたい覚えたからいい」

「……さよか」


 ムーア・ドラント間の主要航路が集まる中継島は遠洋航海に従事する船の生命線であり、地政学的に見ても非常に重要な島であると言える。


「船長室の蔵書も全部読みおった……信じられん童じゃ……」

「多少は新しい本だったから。10年でかなり変わったらしいな」

「……お前さんは何になりたいんじゃ?」

 

 何になりたいか。考えたこともなかった。


 僕は初めから僕である――そういうことではないのだろうが、近年では自らの道は自分で決めるものとする風潮があるのは確かなようだ。


「昔は漁師の子は漁師になったもんじゃし、今でも多くはそうじゃがな。大英雄に拾われた子らの活躍を知ると、変わるべくして変わったとも思えるのう」

「また大英雄か。何を当たり前のことを」


 生き物は勝手に生きて勝手に死んでいくものだ。


 人間の多くは周りに元からある枠に嵌って生きるそうだが、基本的には同じはず。より強い者が多くを得るのは当然だろう。


「何と言えば良いか……ある時から肩の荷が下りたような気がしたんじゃ。それから平民が元気になった」

「……どういう意味だ?」

「貴族が抑えきれんほど元気になって、文句を言うようになった。あれから世の中がガラリと変わったのう」


 船長からは色々と学べたと思う。


 この船のヤツらの中では最も強い人間だ。だからこそ長なのだろうが、同じくボスであるはずのドラントの王様との違いに納得がいかない。


「ぶははっ! 何じゃい、そりゃ!」

「何が違うんだ?」

「一国の王と比べてくれるな。従える人数を考えい。持つ力も負うべき責任も桁違いじゃ」

 

 自分は船長であって王様ではないし、王様になりたいとも思わないと言う。


(何になりたいか……)


 それを決めるには、まだ僕は人間の世界を知らな過ぎた。


「ヤクト〜! ヤクトどこ行った〜!」


 居住区からアイゼの声が聞こえた。日の出から数時間が経過してようやく目覚めたようだ。


 気絶直前の笑顔がどんどん魔女っぽくなっている気はするものの、理とのズレが大きくなっているわけじゃない。


 アイゼがどんな気持ちなのか僕にはわからないが、アレでいいと言っているから問題は無いはずだ。


「お前さん……女には気ぃ付けいよ?」

「……わかった」


 これも意味はわからないが、含蓄ある者からの忠告として素直に受け取っておこう。


 水平線に平たい島が見えてきた。



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