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第五八話 鉱山殺し


(――あった!)


 座禅を解いてうつ伏せで寝そべる。


 上ではなく下だ。下から確かな自然の息吹を感じる。


 盆地の底で地面に耳を押し当て、呼吸を浅く長く、邪魔な心臓の音を穏やかに。


 地中の奥深くからじんわりと感じる暖かさ。頭蓋を伝播し脳に響く水の音。


(師匠はたしか……)


 師匠の発勁は海を割るレベル。とてもじゃないが及ばない。


 僕にもやれるだろうかと思った時、不意にアイゼの笑顔が浮かんできた。


(やれるかじゃない)


 女の笑顔見たさに胸の奥が熱く滾り、丹田に気が満ちる。


 大地に両掌を当てがい、息を静かに深く吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら全身に気を巡らせ――、


「――ハっ!」

 

 螺旋の渦を押し出すイメージで決して力まず、しかし最大限に練り上げた勁で大地の点穴を突く。


「……ダメか」


 やはり一撃では無理だった。繰り返し勁を練り上げ、渾身の一撃を送り込む。

 

 数を打って意味があるのかわからないが、これ以外に道は無い。僕には人の心も、魔女の魔法も変えられない。


「――ハっ!」

 

 しかし、どれほど凝り固まった人心だろうと、どれだけ大きな魔法だろうと、この世界の全の前では等しく小さな泡沫(うたかた)に過ぎない。


(何もかもすべて……呑んでもらう!)


 不自然は自然に及ばない。それが世界の理だ。便利な魔法も儲かる鉱山も知ったことか。


「ぐっ……!」


 気を吐きすぎて眩暈がしてきた。額から脂汗が噴き出し地面に滴り落ちる。今にも意識が飛びそうだ。


(……まだ届かないのか!)


 もう無理だと何度も思って、その度にアイゼの笑顔が脳裏に浮かび、再び丹田に気が満ちる。


「――ハァッ!」


 盆地の底は大きく抉れ、全周に亀裂が入っていた。


 まだまだ下手くそだ。余計なところに勁が散っているせいで無用な破壊を生んでいる。


 師匠のはこうじゃない。もっと優しく柔らかく、すべてを流れのままに活かす。


(もっと優しく……そう……例えば……)


 アイゼの乳に触れるように――、急所を突く。


「――ふっ!」


 音すら発せず、僕の発勁は波の伝うように地中を(ほどこ)り、目指した全の末端を叩いた。


(――よし! 通った!)


 盆地の底から地鳴りが響き、僕は即座に逃げ出した。


 ここからは自然との戦いだ。下手をすれば普通に呑まれて死ぬ。


(僕はなんで手漕ぎ舟で海に出たんだ……バカなのか?)


 今にして思えば無謀にも程がある。よほどビビッとくる女に会いたかったんだろう。


(ベルさんがそうだったし、他に船も無かったんだけど)


 クレーターの端へ脱した時、中心部の亀裂から水蒸気が噴き出した。


 間欠泉の吹きつけられた岩の天井から湯滴が降り注ぎ、岩肌を舐める湯気が球状空間から吐き出される。


「ふぅ……ギリギリだ。まったく」


 湧き出した温泉はかなりの高温で、直接浴びていたら数秒後には茹で上がって死んでいた。


 

**********



「なっ、なな、なんだぁ!?」


 拠点に狼狽した声が響く。


 ヤクトが深部に下りて行って数時間後、断続的な地響きが聞こえて、今は鉱山全体が鳴動している。


「総員退避せよ! 鉱山から出るのだ!」


 ハリッシュの命令を受けて男たちが鉱石を満載した荷車を押し、女たちは子供を集めて先導しようとした。


(――ああっ! ヤクトぉ〜!)


 その光景を私は生涯忘れないだろう。


「ひぃやぁあああ〜!」

「煙が〜! 煙が襲ってくるぅ〜!」


 深部から大勢の人間が尻尾を巻いて逃げてきた。


「新手か!? 槌が効かんではないか〜!」

「なんか熱い! ダメだ逃げろぉ!」

 

 皆が必死の形相で中層に駆け上がってくる。


「撤退ぃ〜! 撤退するのである!」


 その中には男爵の姿もあり、一瞬見えた瞬間に下から噴き出した白い煙に巻かれて見えなくなった。


(くんくん……――ん? これは……!)


 この独特の臭いは嗅いだことがある。


 皇后様の計らいで学園に下賜されたタミアラ自治区旅行券。


 馬鹿な男子たちはターミラの里一択だったが、私は何人かの女生徒と共にタミアラ温泉郷へ行ったのだ。樹海温泉の湯加減は最高だった。


(まさか!? ヤクトあいつ! 鉱山で温泉を掘り当てたのか!)


 西南五島で温泉が湧くなど聞いたこともない。


 ヤクトは鉱山の成り立ちを看破し、それ故に無理だと言っていたのに、温泉の熱と蒸気でガメツイ遭難者たちを深部から追い出してしまった。


「はは……はははははははははっ!」


 これは行くしかない。早く行ってヤクトと一緒に温泉に入るしかない。


 そういう雰囲気になって初めてを捧げることになるかもしれないが、ここまでされたら嫌だなんて言えないじゃないか。


 あえて言おう。むしろ望むところだと。


「親父殿!? 親父殿ぉおおお!」

「ハリッシュ!? 今までどこにおった!」

「こちらのセリフである!」


 あちこちで似たような再会の場面が起き、お祭り騒ぎになった拠点をそそくさと抜け出した私は湯煙に紛れた。


「義姉上! 義姉上はいずこぉ〜!」


 野暮な義弟に邪魔される前に下へ降りねば。


 遭難者の波を掻き分け進んでいくと、不思議なことに大きな一本道がどこまでも続くだけで、分岐や脇道は1つも無かった。


 あれだけ複雑な迷路のように入り組んでいたのに一体どういうことかわからないが、10分くらい歩いたところで広い空洞に出た。


 中心付近に間欠泉が高く噴き上がり、盆地の底に出来た大きな湯だまりから湯気が立ち昇っている。


「ヤクト!」


 盆地の縁に立つ黒髪の美少年を見つけた。


 声を掛けて走っていくと、私を見返り笑ってくれる。


(あぁ……っ! なんてイケメン! なんて尊い!)


 ヤクトがこんな風に笑うなんて滅多に無いことだ。というか今日が初めてだ。


 しかも、私の胸の中で泣いてくれた。


 泣き疲れて、そのまま安らかな寝息を立て始めた時には感動で胸が張り裂けそうだった。


 あのカンカンが無ければもっと浸っていられたのに。落盤がなんだ。どうしてくれよう。


 笑顔も涙も、どちらもちゃんと見たことがある女はこの世界で私だけじゃあるまいか。いや、確実に私だけだ。ヤクトは私が見つけたんだ。


(ビビッときてる! 私は今! この上なく! 猛烈にビビッときてる!)


 私はヤクトに抱きつき、思いっきり抱きしめて叫んだ。


「ヤクト! 一緒に温泉入ろう!」

「熱いから無理だ」


 どうやら源泉は煮えたぎるほど熱かったらしい。


「そうか……はぁ」

 

 残念だ。心の底から残念に思う。



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