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第二九話 君の名は



 山羊教会の捜索を手伝ってもらうために閣下を訪ねたエルフだったが、老獪な駐在大使に丸め込まれて逆に仕事を与えられた。


「なんか楽しいねぇ! 私も上手くやってたら君達くらいの子供が居たのかな〜? いいねいいね! こういうの!」

「あの……本当に異端審問官なのですか?」

「そうだよアユーちゃん。エルフお姉さんは異端審問官なのです。しかもかなりのベテランです」


 エルフはヤクトとアユーを伴い自治部会庁舎へ向かっていた。ご機嫌でステップを踏みながら踊るように歩く姿は嬉しそうに見える。


 アユーから予報官の奇妙な業務内容を報告された閣下は何か勘付いたように暑苦しく笑い、地下の黒い扉の先を調査せよと命じた。


 その後、たまたま現れたエルフを言葉巧みに誘導し、テロリスト捜索の一環であるとして2人に協力するよう仕向けたのだ。


「でもね! ヤクト君! その歳で性奴隷なんて感心しません! しかも半魔の女の子なんて危ないでしょ!」

「正奴隷? 正しくない奴隷もいるのか?」

「おバカ! もうおバカ! でも、おバカな子ほど可愛いのね! 報われなかった私の母性が溢れてくる! ヤッフゥウウウウウ〜!」

 

 ヤクトの発した『傍に居ろ』という男前な命令に従い、フマフラーも付いてきていた。


 フードを目深に被って黒髪は隠しているが、笑う口元にマフラーは無くなって赤ん坊のお包みに変わっている。


「ヤクト君の子供じゃないのよね? ヤっちゃってないのよね? だったらセーフ。ギリギリセーフ。アイゼちゃんを泣かせちゃダメなんだからね!」

「何の話だ?」

「赤ちゃんの話よ〜? 決まってるでしょ〜?」


 貫頭衣の下で抱かれたままの赤ん坊はマフラーに包まれてスヤスヤ寝息を立てている。半魔奴隷に抱かれた人間の赤ん坊という奇妙な構図だ。


 エルフはその子を見た瞬間に頬を緩ませ「抱かせて抱かせて」と迫ったが、フマフラーは断固として渡さず貫頭衣の下に隠してしまった。

 

「名前は何ていうの? 教えて教えて?」

「黒いのだ」

「何それ〜? それは名前じゃないでしょ? それに私が聞きたいのは赤ちゃんの名前なんだけど? アユーちゃん? ヤクト君の中身はどうなってるのかな?」

「絶海の孤島の野生児です」


 アユーの的を射た回答に首を傾げるエルフだったが、トティアスの広い海には未発見の島も数多くあるはず。そういうこともあるかと納得した様子だ。


「でもでもぉ〜、それにしてはキレイなトティアス語ね? ダミダ島民なんてひどい訛りよ? どやっで覚えだの?」


 エルフは顎をしゃくれさせた変顔と一緒にダミダ島とやらの地方訛りを披露した。最後尾を歩くフマフラーの笑顔がピクリと歪んだことに誰も気付かない。


「ベルさんに教えてもらった」

「ヤクトにトティアス語の読み書きと最低限の常識を教え込んだ御仁です。その島には師匠とベルさんとヤクトの3人しか人間が居なかったそうなので」


 ダメだ。それ以上エルフに余計な情報を与えてもらっては困る。せっかく無人島でのスローなアフターライフを手に入れたばかりなのに、この女が来たら水の泡だ。


「ベルさん! ベルさんねぇ! アレレ……ん〜?」

 

 良かった。ヤクトにヴェルフの名前を教えてなくて本当に良かった。最初に名乗った気もするが、幼い頃のことだ。以降はずっと『ベルさん』だったし、覚えてもいないだろう。


「まっ! いっか! それより名前が無いなら付けてあげなきゃ可哀想でしょ? ブリエタース・ノーマンさんも気が利かないんだから〜」


 勘違いされがちだが、エルフは異端審問官の中でも常識的な部類である。ただ陽気にしかなれないだけだ。


 上位席次の精神疾患はより極まったもので、今は改名して教皇を継いだらしい元第三席ドライは『痛みを感じない』という重篤な症状を抱えていた。


 もはや日常生活に支障をきたすレベルの疾患であり、試練で支払った代償に見合う力は得られたものの、僕ら下位席次が担当するような任務には不向きだったりする。


「うっかりしてました。黒いのにも名前はあるんでしょうか?」

「しゃべらないし、コイツ頑固だからな」

「しゃべれないの〜? アハトと同じ? だったら――」

 

 商店街に立ち寄って数軒の店を回り、目当ての品を揃えて戻ってくるとフマフラーに歩み寄ってテキパキと装備させていく。


「はいコレ背負って。赤ちゃんは抱っこ紐に入れてね〜。そしたら手が空くからコレ持ってハイ。こっちも首から下げて予備は腰にと。ホラできた!」


 フマフラーは肩から黒板を下げ、右手にチョークを持ち、背負った大きな背嚢には哺乳瓶と大量のニホン製の粉ミルクとお湯の入ったポット、腰には予備のチョークが入ったポシェットを装着させられた。


 そうだった。エルフは基本的に面倒見がいいのだ。僕にも何かと世話を焼いてきたが、それが僕にとってはストレスを増幅させる苦痛だった。

 

「なるほど。筆談ですか」

「同僚にも似た子がいるからね〜。その半魔に読み書きができるかは知らな〜い」

「名前は何だ?」


 ヤクトの質問を受けてか、それを命令と認識してかはわからないが、フマフラーは黒板にチョークを走らせくるんと回して見せた。


『メル』


 フマフラーもといメルと名乗った半魔は続けてチョークを走らせる。


「カリカリカリカリ……くるん『この子の名前はツヨコだ』」


 赤ん坊の名前は既に付いていたらしい。だがしかし、あの妊婦が我が子をそう呼んだとは思えない。


「ツヨコぉ? なんかダサくな〜い? 私がもっといいの付けてあげるよ! 女の子でしょ? だったらエルちゃんがいいよ! うん! 絶対そっちのがいい!」

「何やら個人的な思いの丈が出てませんか?」

「ツヨコでいいだろ。きっと強く生きる」

「エル! エルでいいよね!? エルがいいよ〜!」

「カリカリ……くるん『ツヨコだ』」


 ニコニコ笑うメルは決してツヨコを譲らず、死んだ奴隷の女が産み落とした女児はツヨコと名付けられた。


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