60.治療師マリア診療所
前話のあらすじ
マリアお姉ちゃんは治療師としてとても忙しそう。
「アマネ! 薬師様が来てくれたわよ!?」
狐獣人の中年の女性が戸の向こうに声をかけるが、返事は無い。代わりにゴソゴソと物音だけが僅かに聞こえるのを確認すると、薬師の老婆が「後は私たちに任せて」と不安顔のアンネの母親を下がらせた。
「ビャクだよ。お母さんには下がってもらったから、入ってもいいかい?」
相変わらず室内から返事はないが、薬師はそれを肯定と見做して戸を開け、同行していたマリアに頷いて入室を促した。
窓を覆いで隠した昼間でも薄暗い室内には、狐獣人の娘が一人、狐耳をシュンとしおらせていた。
「ビャク様……っ!? そ、そちらの人は?」
「ああ、この子は……私の下に勉強に来ている子でね――」
「ビャク様に弟子入りしたマリアと申します。よろしくお願いしますね」
言い淀んだ薬師の老婆に代わって、マリアはそう挨拶をする。勿論薬師のビャクの下で教えは請うているが、マリアは獣人領でも治療師として活動をするつもりなので、弟子入りというのは事実ではない。
しかし、治療の奇跡という未知の物に警戒心を抱く獣人たちのために、薬師たちが間に入ることを事前に提案していたのだ。今の嘘も、治療のためにというマリアの気持ちを察して、薬師は僅かに頭を下げた。
「尻尾の状態を確認したいのですが、暗いですね。窓を開けてもいいですか?」
「だ、ダメ! お願いだから、それだけは!」
窓を覆う布に手を伸ばしたマリアの手を、伸ばされた細い手が掴む。獣人の力で手加減無く引き留められた痛みを押し殺し、マリアは狐獣人の娘アマネに「分かりました。ごめんなさいね」と微笑みかける。
はらりとずり落ちた毛布の下からは、マリアと同年代の狐獣人の娘が目元を赤く泣き腫らして、悲愴な表情でマリアを見つめていた。
マリアと薬師、二人掛かりでアマネを宥めすかし、
「窓は開けないけれど、灯りは欲しいですね」
「それなら、私が用意しよう」
マリアに代わり、薬師が手早く蝋燭に火を灯す。ゆらゆらと揺れるぼんやりとした蝋燭の灯りに、アマネの尻尾が照らし出された。
「これは……」
薬師は目を伏せ、マリアが絶句する。
狐獣人の長毛なはずの尻尾が、毛が斑に抜け落ち、赤く腫れた地肌を覗かせていた。痒みを伴うのか、爪で掻いたような蚯蚓腫れの痕や、荒れた肌も目に付く。
自慢の尻尾を掻き毟ってしまう程の痒みと、毛が抜け落ちた事。閉じ籠ってしまった狐娘の心にも、どれだけの傷が付いたことか。
マリアは憐れむ気持ちを飲み込み、「すぐに良くなりますから」と微笑みかけた。
「え……?」
「アマネさんを支えてください」
マリアが薬師に目配せする。言外に伝えたのは、「押さえ付けて」ということだった。
意図を察して頷いた薬師が、アマネを優しく抱きしめる。
「ビャク様?」
「大丈夫。私たちを信じて。すぐに終わるから」
「いきます」
薬師がアンネを拘束したのを確認すると、マリアはアマネの尻尾へと手を差し伸べた。触れないように慎重に近づけた手は、しかし仄かに熱が伝わるのか、裸の尻尾がビクリと震えた。
今にも暴れだしそうなアマネを薬師が強く抱きすくめると、マリアは震える尻尾に暖かな光を翳した。
オウガの耳や尻尾を知らなかった自分は生やす事が出来なかったが、シュリの力を借りて彼の尻尾を治した今の自分なら彼女の尻尾の治療が出来るはず。
マリアは確信を持って神経を掌に集中させた。
「んんっ!? はぅっ! ビャ、ビャクッ様!?」
治療の奇跡により、傷口が蠢くのは小さな切り傷でさえむず痒さのような物を感じるものだ。それを痛痒を伴う患部に行えばどうなるか。
「っふ、くぅ! っーーーぁ!?」
暴れる尻尾を根元から押さえつけるようにして治療の仕上げを始めると、薬師の胸元に顔を押し付けたアマネが悶絶し、声にならない悲鳴を上げる。
「ふぅ。終わりましたよ」
無事にアマネの尻尾に産毛のような柔らかな毛が生え揃ったのを確認すると、モフっと最後に一撫でしたマリアが満足そうに笑顔を浮かべる。
「はぁ……はぁ……、……え?」
肩で荒く息を吐いていたアマネがマリアの言葉に、恐る恐る尻尾へと手を伸ばした。
怯えながら触れたとんっと触れた手は、次に優しく撫で、最後には包み込んだ。
「わ、わたしのしっぽ……?」
呆然と、静かに歓喜の涙を流すアマネに、マリアと薬師はホッと胸を撫で下ろす。
だが、まだ全てが解決したわけではない。
マリアは蝋燭の灯りを吹き消すと、窓を覆う布を取り払った。
「アマネさん。治療は成功しましたけれど、再発の可能性があります」
「っ!? マリア、人間だったの?」
差し込む陽光の眩しさに目を細めていたアマネだったが、マリアの銀髪が煌き、獣人の特徴がない事に気付き目を見開いた。
「はい、そうですけど……?」
「…………マリアは恩人、恩人だ。信じよう」
「どうかしましたか?」
「何でもない。それで、再発?」
首を傾げるマリアに、首を幾度か横に振ったアンナが問い返す。
「原因が分からなければ、また同じ事が起こるかもしれません。何か心当たりはありませんか?」
「心当たりか。一つしかないよ」
そういってアマネが取り出したのは、小さな瓶に入ったトロリとした液体だった。
「これは?」
「王国から来たっていう人間の商人がね。王国の女が毛の艶を良くするのに使うって言って売っていたんだ。試しに少しだけ付けてみてあの様さ。たっぷり付けてたらと思うとゾッとするね」
マリアが窓の明かりに照らすと、紅く鮮やかに染まった液体がちゃぷんと揺れている。毒物ではなさそうだが、と警戒しながら蓋を開けると、仄かに甘い花の香りが辺りに漂い始めた。
「ふむ。嗅ぎなれない花の香りのように思うが。いい匂いではあるな」
「香油でしょうか?」
「香油?」
首を傾げる狐獣人二人に、マリアが自身の頭を指す。
「王国領では髪の毛に艶を出したり、良い香りをさせたりする目的で使われますね」
「匂いは好き嫌いがあるので私は何も付けないようにしていますが」と続けたマリアが、王国では実際に使われている物であること説明する。
「ただ、そう見えるだけでこれが何であるか確証は持てません。その商人の方を探したいので、アマネさん、その方の特徴を教えていただけますか?」
「ああ。こんな恐ろしい物を人に寄越す奴をとっちめてやってくれよ」
落ち着いて怒りが湧いてきたのか、怒気を孕んだアマネの様子に、マリアは商人に悪意がないことを願うのだった。
◇
「まさかまだ町にいて商売してるとはな」
「商人さんに悪気はなかったみたいで、獣人さんに売った分は全て回収してもらうことになりましたよ!」
危険人物だったらとマリアの護衛も兼ねて町中を駆け回ったレイアを伴い、アマネの下にマリアが報告に戻る。レイアの心配は杞憂に終わり、事情聴取を受けた商人は低頭に謝罪を口にしたのだった。
「何でマリアが嬉しそうなのさ?」
我が事のように上機嫌なマリアの様子に、アマネが首を傾げる。
「アマネさんたちに、人間を嫌いになって欲しくなかったんです」
マリアは問題の香油瓶を手に取ると、爪先に付けた少量を自身の銀髪に塗って見せた。
「おいっ!?」
「大丈夫です。本当に王国では使われている物ですから」
罪を咎められた商人が、実際に商品でやってみせたことを伝える。その商人はと言えば、今は町役場にて被害者であるアマネの沙汰を大人しく待っている。
「シュリさんが言うには、獣人さんが使って問題のない香油もあるそうなんです。でも、今回のは不運にも獣人さんに合わない物でした。確認を怠った商人さんにも非はあると思いますが……」
「分かった分かった。許すよ。だから、その頭で私に近づかないでくれ。もうその匂いは苦手になったんだよ」
苦笑して追いやる身振りをするアマネに、マリアは嬉しそうに微笑んだ。
「喜んでくれてる所悪いが、私は獣人のトコに嫁に行く予定でね。あんまり人間とは関わらないと思うよ?」
「まあ! ご結婚なさるんですか!?」
「聞いちゃいない……。まあ向こうさん次第でもあるけどな。マリアも知ってる奴だよ」
「え?」
「あのトラヤ町長の下にいる、ツザの英雄のオウガ」
「……ええ!?」
「ほら、あの人の周りって犬やら猫やら色んな種族の獣人がいるだろ? 狐だけ仲間外れにされるとマズイぞってキツネ族の長老たちがね」
「ア、アマネさんはいいんですか!?」
「うーん、まあ、顔はカッコいいし……何より強いんだよな?」
詰め寄るマリアに動じず、アマネが頬を朱に染める。
「レ、レイアぁ……」
「あー……。獣人は強いのがモテるし、重婚も事情によっては肯定されるって話だったよ」
「じ、事情?」
目を白黒とさせるマリアに、レイアが止めのとある事情を口にする。
「戦争で男が随分死んだからな。女が余る。今はこのツザでも重婚を推奨してるぞ」
◇
「オウガさんはどうお思いなんですか!?」
「ええと、何の話?」
夕暮れ、全ての業務を終えて帰宅したオウガたちの家に飛び込んできたマリアが、オウガに詰め寄っていた。
「キツネ族のアマネさんとのご結婚についてです!」
「ああ、そういう話があるみたいだね? うーん。それでキツネ族の人たちが安心できるなら、別にいいんじゃないかな?」
「なっ!? シュ、シュリさん!?」
「強い雄が多数の女性に求められるのは獣人の定め。多少のお零れを分けるくらいは気にしない」
「お零れ?」
「オウガは気にしないでいい」
「はい」
「なんか私の時と態度が違いすぎませんか!?」
「そんなことはない」
必死に詰め寄るマリアをシュリはじっと見つめ返す。彼女の表面上には嘘偽りの動揺は見られない。
「じゃあナターシャさんはどうなんですか!?」
「アレはオウガよりも自分の欲を満足させることを優先するからダメ。マリアはまだマシだけど――」
「だけど?」
シュリの視線がマリアの顔から徐々に下がり――
「やっぱりダメ。危険」
「危険!?」
「溺れる」
「何にですか」!?」
姦しく騒ぐ年頃の娘二人を余所に、オウガは猫獣人の少女ミライの耳を塞いで、夕食の準備に逃げるのだった。
◇
「そういえば、どうして昔、俺の治療をした時には耳と尻尾は復活しなかったの?」
ついでとばかりに夕食に人間の友人たちを招待したオウガが、マリアに問いかける。彼が思いだしたのは、マリアと出会ったアマーストの町で、乱暴な尋問を受けたオウガの治療がされた時のことだ。
「多分だけど、私がオウガさんを人間だと思っていて、そのイメージだけで治療しようとしたからだと思うんです」
「ふんふん……?」
「それで、シュリさんの補助があったこの間は、シュリさんがオウガさんの健全な姿を願ったから、本来合ったはずの耳や尻尾も生えたんじゃないかと」
「なるほど……?」
「ええと、あんまり興味が無い感じですか?」
「ごめん、よく分かんなかったけど、マリアが『何で』を一生懸命考えてくれてたんだな、って思ったよ」
「所で、今日マリア変な匂いがするね?」
「変、ですか……」
「うん。いつものマリアの匂いの方が好きだな」
「オウガさんっ」
「ん? 痛っ!? シュリ!? 何するんだよ!?」
「ふんっ」
いつも応援ありがとうございます。
ブックマークや評価、ご意見ご感想など頂けますと作者が喜びます。
最後に取って付けたかのような設定説明を入れてしまいました。
どこかで入れないといけないな、と思いつつタイミングを掴めなかった物で、
もしも、もっと最適なシーンが今後あれば、こっそりカットしているかもしれません。




