59.新たな世界で聖女は
前話のあらすじ
元王国騎士ナターシャがツザの町に仕官した。
布教という名目でレムリア王国を飛び出し、ツザの町へと身を寄せた元教会の聖女と呼ばれたマリア。
厳しい戒律から解き放たれ、大好きな友人や獣人たちに囲まれ爛れたモフモフ生活を満喫する――かと思われたのだが。
「はい、これでおしまい。どう?」
「痛くない!? お母さん、痛くないよ!? すごいね!」
マリアのかざした両手から暖かな光が零れると、シュンと耳を項垂れさせていた猫獣人の少女が途端に元気に飛び跳ねた。その横では、少女の母親が言葉も出せず深く頭を下げている。
獣人領では子供は親の手伝いをして仕事や家事を覚えることが習わしとなっている。この少女も、母親の料理を手伝っていた最中、誤ってナイフで指を切り落としかけたのだ。
手を包み込んでいた赤く汚れた布巾を取り去ると、そこには傷跡一つない可愛らしい小さな手が姿を現した。
にこやかな笑顔と共に小さな手をニギニギと動かすネコ少女に、「私の不注意の所為で」と自身を責めていた母親も微笑みを浮かべ、幾度もマリアに頭を下げた。
「次は気を付けてくださいねー?」
「お姉ちゃんバイバーイ!」と元気よく猫獣人の母娘が退室すると、部屋の外でも「あ、ミライお姉ちゃんとシュリお姉ちゃんもバイバイ」という声が聞こえ、母娘を見送ったミライとシュリが顔を出した。
「今の子で今日は終わり」
「マリアお姉ちゃんお疲れさまー」
「お二人もお疲れさまです」
外を見ればまだ日も登り切っていない時間ではあるが、緊急時に備えて余力を残しているマリアは程々で診療を終えなければいけない。一方で、隣室で軽症者の手当てを行っていたシュリの表情には疲労の色がわずかに覗いている。
その治癒能力の高さから聖女と称されたマリアと比較して、圧倒的に奇跡の力が劣っている事に加えて、経験が浅く治療の奇跡の強弱の加減が上手く出来ないことも消耗に繋がっている。
それらの向上には兎に角場数を踏むしかないと、即席のツザ治療院では連日シュリの限界まで患者を招き入れている。
実はマリアもシュリ以上の患者を治療しているのだが、治癒の力を温存しておきたいはずの彼女がそれほどまでに患者を診るのには理由がある。
人間にしか無いと思われた『神の奇跡』が獣人であるシュリにも扱えたことで、獣人にも奇跡の可能性があると見做されて一月以上経つのだが、ツザの町でシュリ相応に実用的な奇跡の力を手に入れた獣人はいない。
確認された獣人たちも、擦り傷を治す程度で力を使い切ってしまう者や、爪先から僅かに炎が出る程度の火の奇跡、微風を送る程度の風の奇跡を使える程度だった。
そのような中で獣人たちに治療の軌跡の効果を示すために、マリアは王国の教会に籍を置いていた時以上の治療を連日行っているのだ。
そして、診療が終わっても彼女たちの仕事は終わらない。
「私はキツネ族の薬師さんの所に伺いますが、お二人はどうしますか?」
「私はオウガの手伝いに――」
「ナターシャさんは大変優秀だそうですが、手伝う必要はあるのですか?」
「…………あの女の見張りに行ってくる」
マリアに指摘されて言葉を飲み込んだシュリは、ツンと顔を背けると頬を僅かに赤らめて言い捨てる。狼娘の本心を聞き出したマリアは微笑みを浮かべると、
「私の分もしっかり見張ってくださいね?」
「むぅ……」
からかわれたことに不服そうに口を尖らせるシュリに、マリアは楽しそうに笑うのだった。
◇
「失礼します」
「おお、よく来たね。ささ、お入り」
狐獣人の老婆の薬師が手招きする。薄暗い薬師の部屋は様々な草や花の香りが入り混じって混沌とした臭いが漂っているが、マリアはそれを気にすることなく用意された椅子に腰かけた。
「さて、今日も前回の続きでいいかね?」
「はい。よろしくお願いします」
薬師にマリアが頭を下げると、薬師は満足そうに頷き手元に用意した草を手に取り説明を始めた。
治療の奇跡の行使に限界がある以上、全ての治療に治癒の力を使うわけにはいかない。
王国でも症状の軽い者には薬が処方されていたのだが、それらの薬が獣人領で手に入るかは分からない。
マリアは治療院を開くにあたって、獣人領で長く傷病者の面倒を見てきた薬師たちに教えを請うたのだ。
その真摯な態度に獣人の薬師たちも快諾し、今では半場弟子となっているマリアを可愛がってさえいる。
さらには、
「――今日はこんな所かのう。マリア、実はお主に頼みたい事があってのう」
「なんでしょう?」
「キツネ族の娘なんじゃが、妙な症状が出ておってのう。ワシ等には手に負えん。一度、様子を見てやってほしいんじゃ」
「わかりました。お力になれるのであれば喜んで」
悩まし気な薬師の様子に、マリアも否応もなく頷いた。
マリアが真摯に教えを請う態度を示したことで気付かれた師弟関係は、獣人たちにとって未知である『神の奇跡』に対しても、「マリアになら頼んでもいいだろう」と思わせる程になっていた。
人間の運営する治療院を警戒して近寄らない患者も、こうして相談した薬師に仲介されることで、拒絶することもできずに素直に治療を受けることになる。
「それで、どのような症状なんですか?」
「うむ、それがのう……」
薬師も今まで助けられなかった患者を助けられるという互いに利害の一致した関係なのだが、ここで紹介される患者は一筋縄ではいかないことも多い。
「尻尾の毛が抜けてしまった、ですか?」
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