第2話 自分で選んだデート
「変じゃない?」
日曜の駅前で会った紬は、挨拶より先にそう聞いた。
薄い水色のワンピース。肩にかかる髪はいつもより丁寧に巻かれている。見慣れた幼馴染なのに、待ち合わせの柱にもたれているだけで知らない女に見えた。
「変じゃない」
「頑張りすぎ?」
「そのくらいでいい」
「こういうの、男の人は好きかな」
喉に小さな骨が刺さった。
「男全体は知らない。俺は似合うと思ってる」
思ったより硬い声が出た気がする。
紬が瞬く。すぐに視線を落とし、鞄の持ち手を握り直した。
「……ありがとう」
「ちゃんと見て答えたから、彼氏役の採点に入れといてくれよ」
紬の頬が少し赤くなる。茶化してみたが、開始一分で俺の耳もたぶん同じ色になった。
二枚目の封筒には〈自分で行きたい店を決める〉と書かれていた。
「律くんは何が食べたい?」
「紬が決める練習だろ」
「呼び方は、やっぱりいつも通りにしようか」
俺の返事に視線を横に逃がしながら紬は言った後、照れくささを隠すように続けて問いかけてきた。
「じゃあ、麺とご飯なら?」
「選択肢を狭めてみても、俺に選ばせてる」
「面倒な客だなあ」
「客じゃない。三千円もらう側だけど」
紬は少し悩みながら駅前を歩き、二度曲がり、古い洋食店の前で止まった。
赤いひさしは色が抜け、入口の食品見本も少しくたびれている。
「ここ」
「あぁ。……懐かしいな」
高校の合格発表の日、親には内緒で二人だけで来た店だ。当時の俺は大盛りのナポリタンを頼み、紬はオムライスへ猫の顔を描いていた。
「近かったから。偶然ね」
紬は早口で言い、先に中へ入った。
窓際の席でメニューを開く。紬の指がオムライスの写真で止まり、別のページへ逃げた。
「頼めばいいじゃないか」
「二十五歳でこれは、ちょっと子どもっぽくない?」
「卵を食うのに年齢制限はないんだぞ」
「言い方が身も蓋もない」
結局、紬はオムライスを注文した。届くと、ケチャップで丸い輪郭を描き、耳とひげを足していく。
「まだやるんだ、それ」
「手が勝手に……」
俺がスマートフォンを向けると、紬は頬を赤くしながら皿を両手で隠した。
「やめて。これは恋人練習に含まれてないんだから」
「どうなったら猫を撮っていいんだよ」
「……本物の彼氏になら」
言ったあとで、紬の動きが止まった。
目が合う。紬は先に逸らし、猫の片耳をスプーンで潰した。
「今のなし」
「もったいない。片耳になった」
「そっちじゃなくて」
耳まで赤い。指先はくるくると髪の毛をいじっている。
紬はオムライスを食べながら、何度も俺の顔を見た。
「味、大丈夫?」
「あぁ、あの時のナポリタンと同じ……だと思う、美味いよ」
「店、外してない?」
「自分が食べたかったんだろ?」
「そうだけど」
「なら正解。俺の顔色で判断するな」
紬はスプーンを置いた。
「……藤代さんの前でも、そうだったかも」
「何が」
「これを言ったら困るかな、とか。店はどこでもいいって言ったほうが楽かな、とか。結局、二人でどこにも行かなかったけど」
俺なら、紬が面倒なのは知っている。アイス一つ選ぶのに十分かかるし、映画のあとには感想を言い合いたがる。それでも一緒にいたいと思ってきた。
いつか誰かにもそう思われればいい、とは思えない。
「今度から、オムライスが食いたいならそう言え」
「律以外にも?」
「……そうなるための、練習なんだから」
紬は少しだけ唇を尖らせた。
食後、紬は伝票を取ろうとした。
「今日は俺が払う」
「駄目。練習なんだから割り勘」
「三千円もらうのに、飯まで払わせるのはダサいだろ」
「役者に食事代を出してもらう依頼人はいないでしょ」
「なら、役を守るためにも俺が出すべきだろ」
伝票の両端を持ったまま、しばらく動けない。店員がこちらを見ていた。
「半分」
「一円単位で?」
「律が七円多く払って」
「そこは譲るんだな」
会計を終え、駅ビルへ入った。外が暑すぎて、冷房のある通路を遠回りする。紬は雑貨店の前で足を止めた。
「ちょっと見てもいい?」
「ああ、雑貨屋デートの練習か?」
「普通に見たいの」
店内にはアクセサリーや小さな鞄が並んでいる。紬は銀色のイヤリングを耳に当て、鏡をのぞいた。
「どう?」
「似合う」
「早い。ちゃんと見てくれた?」
「見た」
「こういう揺れるやつのほうが、男の人は好きかな」
「相手の好みでつけるものを変えるなら、今は買わない方がいいんじゃないか」
「……そうかも」
紬はイヤリングを戻した。鏡越しにこちらを見る。その目が少し寂しそうで、俺は自分の言い方を後悔した。
「俺は、そっちの青いのが紬には似合うと思う」
隣にあった小さな青い石を指す。紬は驚いた顔をし、それを手に取った。
「これ?」
「好みじゃないなら別に」
「嫌じゃない」
紬はもう一度鏡へ当てる。髪を耳にかける指が、さっきよりゆっくり動いた。
「うん。買おうかな」
「俺の意見で決めていいのか?」
「私もこのデザイン気に入ったから」
紬はイヤリングを買い、その場ではつけなかった。紙袋を鞄の一番上へ丁寧にしまった。
駅ビルの上階へ移動すると、俺が働く書店の前を通った。
「律、いつもここにいるんだよね」
「週五日は」
「入っていい?」
「客としてなら」
本当は休みの日まで職場へ入りたくはなかったが、紬はもう自動ドアを抜けている。新刊台を見て、文庫棚を回り、旅行書の前で足を止めた。
児童書売り場を通りかかると、低学年くらいの男の子にシャツの裾を引かれた。以前、母親と来た客だった。
「お兄さん。怖いけど、夜に眠れる本、どれ?」
「難しい注文だな。お化けと怪獣なら、どっちが平気?」
「怪獣」
予算と読める漢字を聞き、挿絵の多い冒険物を二冊見せる。男の子は真剣に悩み、薄いほうを選んだ。
「読み終わったら、次は厚いほうな」
「うん」
走っていく背中を見送り、振り返る。紬が妙に静かだった。
「何?」
「律って、ちゃんと本屋さんの店員さんなんだね」
「今まで何だと思ってた」
「休日も本に囲まれていたい変な人」
「だいたい合ってる」
紬は笑ったあと、男の子が抱えていった本と同じ本をもう一度見た。その横顔は、さっきまでより柔らかかった。
「本屋でデートって、何をするのかな」
「お互いに好きな本を一冊ずつ選ぶとか?」
「誰かとやったことある?」
「ない」
「じゃあ、今やる?」
紬は返事を待たず、俺へ千円札を一枚渡した。
「予算千円。相手に読ませたい本を選ぶ。十分後に集合」
「急に追加するな」
「デートは予定外を楽しむものなのです」
誰に教わったのか知らないが、もっともらしいことだ。
俺は文庫棚を歩いた。紬に読ませたい本、と考えると難しい。
普段は食べ物のエッセイや軽い推理小説を読んでいる。失恋したばかりの相手へ恋愛小説を渡すのも違うだろう。
結局、地方の小さな書店を巡る旅行記を選んだ。紬は、建築家が町の古い建物を紹介する写真文庫を持ってきた。
「俺に?」
「律、休みの日も本屋にいるから。外に出るきっかけになるほうがいいと思って」
「お前は俺の母親か」
「その本に載ってる町、電車で二時間だって。いつか行けたら楽しそう」
「行く相手の都合も聞けよ」
紬は写真文庫を胸へ抱え、俺を見た。
「……今、聞いたつもりだったんだけど」
都合のいい解釈をしそうになり、言葉に詰まる。紬は追及せず、二冊ともをレジへ持っていった。
自分の勤める店で、幼馴染と互いの本を買う。同僚が俺と紬を見比べ、意味ありげに笑っていた。
「彼女?」
「違います」
俺が答えるより先に、紬が言った。
正しい答えなのに、胸へ刺さった。
店を出たあと、紬は買った本を俺へ渡す。
「今は違うけど」
「何が?」
「何でもない。読んだら感想を聞かせて」
前を歩く紬の耳は、ほんのりと赤かった。
店を出ると、夏の日差しが道路を白く焼いていた。駅へ戻る途中、紬が俺の半歩後ろを歩く。
「今日は、ありがとう」
「三千円分は働いたな」
「満足度は七十点かなー」
「きびしいな。前払いで契約済みだからクレームにはお答えできません」
「しょうがないから、返金は請求しないでおく」
いつもの軽口に戻り、少し安心した。
部屋へ帰ると、紬から次の封筒を開けるようメッセージが届いた。三枚目には、水族館のパンフレットが入っている。
その下の一行を見て、俺はしばらく天井を仰いだ。
〈自然に手をつなぐ〉
自然に、と指定された時点で、たぶん無理だ。




