喪喪太郎 第五話
翌る日、一行は険しい山道を登りきり、遂に鬼ヶ島を一望できる海辺まで辿り着いた。
「あれが、鬼ヶ島か....」喪喪太郎は言った。
四辺は快晴、しかし、四里程先の鬼ヶ島には底面がドス黒い雲がかかっており、そこだけは夜かと錯覚するほど暗かった。
「飛影、今から鬼ヶ島の偵察に行って貰いたい。特に地形、建物の数、波止場の数と場所を入念に頼む」
喪喪太郎の頼みに飛影は「承知しました」と返すと、急いで鬼ヶ島へ向かった。
飛影の姿はたちまち小さくなり、やがて粒ほどの大きさになった頃、喪喪太郎は語り出した。「英雄桃太郎は一つの過ちをおかした。しかし、それを過ちと呼ぶのは酷な話なのかもしれない...」
月光狼は秀吉の方を向いて、クイクイと二度頭を振った。
「英雄桃太郎にどのような過ちがあったのですか?」
喪喪太郎は海を眺めながら、話し始めた。「英雄桃太郎は鬼共の命を奪うことを躊躇ったのだ。いや、正しくは情けをかけたと言えよう。情けをかけられた鬼共は泣いて感謝したと聞いている」
「な、なるほど。たしかにそれを過ちと呼ぶには酷ですね」秀吉は頷きながら答えた。
「ああ、そうだ。しかしその鬼共の子孫は英雄の情けを屈辱と捉えた。そして再び、鬼共は暴虐の限りを尽くすようになったのだ」喪喪太郎は両の拳を握り締め、腕を小刻みに震わせていた。
「英雄の情けを屈辱と捉えるとは...」月光狼は芝居かかった声でそう言った。
「俺たち一行は、人と犬と鳥と猿だ。だが信頼し合い、互いを思いやれる。種が異なっていようとも心は通ずるのだ...。では、何故鬼共とは通じ合えぬのだ!かの英雄が情けをかけこそすれ、恥辱を与えるような男でないことが何故分からぬ!」喪喪太郎は深い悲嘆の声で言った。
「あ、あ、あ....」秀吉は喉に何かが詰まっているかのように、言葉を出せないでいた。
その時、陽光を上書きするほどの閃光が鬼ヶ島からカッ、カッと二度照って、ドゴン、ドゴンと雷鳴轟音。
喪喪太郎がピクッと身体を反応させると、腰の太刀はカチャと小さな音を立てた。
「喪喪太郎殿、最早止まれませぬ。我々の力で、英雄譚を完結させましょうぞ」月光狼の素晴らしい一言に、秀吉は胸を撫で下ろした。
「チッ、てか飛影の奴、チッ、おせぇな、チッ....チッ」喪喪太郎はごくごく小さな舌打ちを織り交ぜながらボソッと言った。
「何かおっしゃいましたか?我が君」秀吉は片膝をついて言った。
「ん、あ、いや。気にしないでくれ」
「喪喪太郎殿、腹が減っては戦はできぬと言います故、私と秀吉の二匹にて腹ごしらえのできる物を探しに出ようかと思いますが、よろしいでしょうか?」月光狼は丁寧な口調で言った。
「そうだな...。では、頼む」
月光狼と秀吉は食料を探しに出た。
秀吉は頭の後ろで指を組んでテクテク歩いていた。「いやー、喪喪太郎さんって実はいい人だったんすね。ほんと、見違えましたよ」
「いや、甘ぇよ。お前」
秀吉は露骨に大きなため息をついた。「月光狼さん...。飛影さんじゃないですけど、その斜に構えた感じ、ほんと良くないっすよ?」
月光狼も秀吉にため息をつき返した。「お前さ、なんで俺がさっき露骨に媚びたかわかる?本当に斜に構えてたらあんな媚びしないだろ?」
秀吉はピタリと立ち止まると思考を巡らせた。「いや、分かんないです...」
「アイツさっき、『飛影の奴遅ぇな』とか言ってたよ?めっちゃ舌打ちもしてたし」
「え?そうなんすか?僕聞こえなかったっすよ?」
月光狼は食い気味に答えた。「おめぇ、犬の聴覚舐めんなよ?嗅覚程じゃなくても、聴覚も割と哺乳類でもトップ寄りだからな?」
「え、あ、あぁ」
「しかも舌打ちの回数やばかったぞ?俺、舌打ちでビート刻んでる奴初めて見たよ。16小節分くらいしてたし」
「ビート刻んでたんですか?」
「ああ、いいヴァースだった。っていや、なわけねぇだろ。それぐらい多く舌打ちしてたってことだよ」
「マジっすか...?でもめちゃくちゃショックっすよ、僕....」秀吉は背骨を引き抜かれたかの如く、うなだれた。
「まあ、適当に飯でも獲って帰ろうや」
「はい...」
二匹が山菜を採り終えて戻ると、丁度飛影が帰ってきた。
飛影はスチャっと喪喪太郎の傍に止まった。「鳳雛飛影、ただいま戻りました」
「ご苦労だったな。飛影が偵察に出ている間に月光狼と秀吉が食料を探しに出てくれていた。それを食しながら報告を聞こう」
「ハッ!」飛影は元気に返事をした。
喪喪太郎はキノコを火で炙りながら飛影に聞いた。「して、鬼ヶ島の様子はいかがであった?」
「はい。まず地形ですが、鬼ヶ島の周囲は8里程あり、断崖に囲まれておりました。それに加え、木は極端に少なかったです」
喪喪太郎は小さく頷くと、顎に手を当てた。そしてしばらく押し黙った後、「続けよ」と告げた。
「はい。続いて建物の数ですが、島の中央に大きな屋敷があり、そこを中心に中小含め30戸ほどありました」
「なるほど。続けよ」
「はい。波止場の数に関しましては、一つです。場所はここから見て、丁度真裏にございました」
「ふむ。外に出ている鬼は何をしていた?」
「外に出ている鬼は、相撲や拳闘で稽古をしている様子でした」
「ふむ。他に気付いたことはあるか?」
飛影は少し考え込んだ。「アウトボクシングで丁寧に左を使う戦法が主流な様子で、玄人好みのスタイルの鬼が多かったです」
これがいけなかった。月光狼がかつて言っていたように、喪喪太郎はモードに入っていた。しかし、それは月光狼の推察とは異なり、皆から愛される英雄モードであったのだ。そのモードの喪喪太郎に対し、飛影は安易に目先の笑いを取りにいった。気分を害された喪喪太郎の眉間の皺は刻み込まれたように深く、その心情は音としても示された。
チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ
「うえ?喪喪太郎さん、エミネムのラップゴッドより早え舌打ち刻んでる....」月光狼は咄嗟の出来事に犬語で話してしまったため、はたからはワンと鳴いているだけに聞こえた。
喪喪太郎は次の瞬間にはピタリと舌打ちを止めた。
「左様か。大義であった。褒美を渡す故、目を瞑れ」
「ハッ!」飛影は勢いよく返事をするとパチっとウィンクをした後、両の目を閉じ、口を開けた。
喪喪太郎は真冬の海の底を思わせるような表情をしていた。凍て付き、暗く、そして揺らぎとでも言うべきものがない。
悲観すべきは喪喪太郎の怒りのラップゴッドを飛影が聴き逃していたことだった。
喪喪太郎は鯉口を切る。すると、僅かに刀身が露出した。
ザパンと波が岩礁に砕かれ、水飛沫が宙を舞う。飛沫も水面も波も等しく陽光を浴びていた。しかし、喪喪太郎の太刀も同様であると言うには、悲しいほど鮮やかな存在感がある。
喪喪太郎は目を閉じ、深く長く、息をゆっくりと吐き出しながら、握るか握らぬかのような力加減で柄に手を添えた。
息を吐くに従って、身体の険は徐々に除かれていく。やがて息を吐ききると、喪喪太郎はパチッと目を開けた。次の瞬間には、名刀"桃太郎祐定"は黒漆の鞘の中で加速し、その切先は鞘を飛び出る頃には亜音速を超えていた。
刹那、狂気一閃。
飛影の首と胴は泣き別れ、鮮血湧き立つのと時を同じくして、遅れた抜刀の音が波音を掻き消すかのように響いた。
飛影の残骸が砂浜に力なく倒れると、喪喪太郎は顔の返り血を袖で拭った。瞳には濁りも熱もなく、ただ刃だけが残っていた。そして何事もなかったかのように、左肩口から三日月を引く軌道で太刀を振るい、紅を散らす。
一陣の浜風が通り抜けると、海岸の空気が一段だけ軽くなった。
喪喪太郎は納刀することなく、飛影の亡骸を火に蹴り入れた後、ゆっくりと月光狼と秀吉の方へ振り返った。
「ほ、ほえ....?」秀吉はその場で目と口をポカンと開け、立ち尽くす。時に太刀、光冷ややかに、砂は紅に染まり、海岸を渡る風は、鉄の匂いを纏って死を運んでいた。
秀吉は、小便をチロチロと漏らす。
喪喪太郎の手に握られた太刀の、その刀身には、血払いの痕跡が僅かに線となって残っており、切先からは一滴、二滴とゆっくりと紅が滴る。
動くことのできない秀吉を見て、月光狼は後ろ足で喪喪太郎の目をめがけて、砂を浴びせた。「秀吉!逃げるぞ!」
月光狼の言葉に遅まきながら状況を理解した秀吉は、まるで血の色が変わったかのように顔面と尻を蒼白にさせ、涙と鼻水をジャバジャバと垂れ流しに、垂れ流しながら、全速力で駆け出した。
「どぅらぁ!殺すぞ!糞犬がよぉ!」二匹の背後では、喪喪太郎が太刀を振り回しながら怒号をあげていた。




